なぜ !? 沖縄平和学習デジタルアーカイブが5年で運営停止 !? - 5千万近くの予算が投じられた未来の世代のためのアーカイブス、担当部署の方は早急に対応してください !

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驚いています。

 

沖縄県が運営するサイト、沖縄平和学習デジタルアーカイブがアクセスできなくなっています。

 

沖縄戦から73年の年月を経て、沖縄戦の証言を生で聞くことも年々困難になり、昨年のチビチリガマ破壊事件にもみられるように、沖縄戦の歴史継承の難しさが課題となっている。

 

誰もが今、老いも若きも懸命に沖縄の歴史を伝える方法を模索しているなか、

 

沖縄県公式事業として予算 (五千万) をくみ、東京大学大学院・先端表現情報学の渡邉英徳教授 (現在) の総合監修のもと、一つのプロジェクトが進められた。

 

ビッグデータをつかって沖縄戦を生きた人々のフロー (流動的動き) をマッピングし、証言と写真をくみあわせ、多元的デジタルアーカイブを作るというものだ。

 

沖縄平和学習デジタルアーカイブ。それは、これから沖縄戦を学ぶたくさんの若者たちのためのプロジェクトだった。まさに百年先をみすえた戦史学習の未来だ。

 

東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 – 渡邉 英徳

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渡邊教授のプロジェクトは、沖縄県の「沖縄平和学習デジタルアーカイブ」だけではなく、広島や長崎のアーカイブスや、東日本大震災の記録など、さまざまなフィールドでデジタルを利用した若者たちの平和学習に役立てられ、2015年度と2016年度のジャーナリズム・イノベーション・アワード最優秀賞など数々受賞されている。

 

渡邊教授が制作した画像データは、テレビやドキュメンタリーや記事などでも頻繁に使用されたり紹介されているので、皆さんも、きっとどこかでご覧になっているはずだ。

 

・ヒロシマ・アーカイブ

・ナガサキ・アーカイブ

・沖縄戦デジタルアーカイブ「戦世からぬ伝言」 | 沖縄タイムス+プラス

・震災犠牲者の行動記録マップ「忘れない」

 

また渡邊教授は白黒の写真をニューラルネットワークによる自動色付けでカラーリングして公開、展示。あるいは学生たち自身でカラーリングしながら歴史を学ぶフィールドワークなども実践していらっしゃる。

 

渡邉英徳 on Twitter: "日本新聞博物館「よみがえる沖縄 1935」展、本日ぶじ終了。昨年の沖縄慰霊の日にスタートしたこのプロジェクト。とても永い旅をしてきたような感覚。この写真の向こうにいるお母さんたちとも、すっかり仲良くなったような。また、いつかどこかで。… https://t.co/u3aCUxDws1"

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で、話は戻るが。

 

沖縄県が、県の公式事業として5千万近くの予算をつけて完成した「沖縄平和学習デジタルアーカイブ」。

 

2012年の6月23日「慰霊の日」に公開スタートし、数ある渡邊氏の仕事の中でも、とくにすばらしい完成度となっている。

 

ビデオ証言に、なんと 6カ国語の翻訳表示、沖縄公文書館の資料写真。それがフロー化したマッピングのうえで体験できる。

 

6か国語表示に対応 !

渡邉英徳 on Twitter:

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スマホ対応 !

渡邉英徳 on Twitter:

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おそらく、現在日本にある戦史の多元的デジタルアーカイブスの中で、質と量ともに最高のものとなっているはずなのだが、

 

沖縄県は、巨額の予算を捻出し作ったものの、あまり活用促進していたとはいいがたい。宝の持ち腐れである。

 

基地問題の不正確な情報や、沖縄戦歴史修正主義の波がネットにあふれている今こそ、若者たちにちゃんと沖縄戦の歴史証言に触れてもらいたいのだが、・・・。

 

 

 

もう一度ページを見てみよう。

県のページに文字リンクが張られているだけでは、あまり活用されることもない。沖縄県のこの HP にリンクがあるのをどれだけの人が知ってアクセスしただろうか。

 

平和/沖縄県

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しかも現在は、リンクすら無効になっている。

 

平和祈念資料館から県のアーカイブにリンクも張られているのだが、県が運営をストップし、データが消えているので、そちらのリンクも無効になっているはずだ。

 

なぜなのか。

 

 

その返事はびっくりするようなものだった。

 

 

つまり、県の担当者の返答は、Google Earth API の廃止で動かない、という内容だったらしいが、

 

渡邊教授によれば、それはシステム移行済みで解決済み。なんの理由にすらならない。

 

もちろんだが、同じシステムを利用している、ほかのヒロシマナガサキアーカイブも同様に変わりなく動き、活用できる状態になっている。

 

 

解決済みでアップグレードされているのに、なぜ運営停止するのだろう。われわれの県の資金、5千万円をどぶに捨てるつもりだろうか。お金の使い方も知らず、デジタルアーカイブスの使い方も知らないという事だろうか。。。。

 

いやいや、それよりも更につらいのは、沖縄戦アーカイブを県庁にないがしろにされることだ。

 

沖縄戦の歴史は沖縄のいのちの歴史だ。四人に一人の県民の命が奪われ、過去の遺構も文献もふくめ、その多くが失われたのだ。これ以上、何も奪われるべきではない。

 

教授は語る。「記録・アーカイブを消し去る風潮に抗おうと懸命に取り組んでいたけれど。まさか、自分自身が監修したコンテンツにも降りかかってくるとは。・・・」

 

 

権利って・・・沖縄戦アーカイブを削除する県庁が、いったい沖縄戦の資料の何の権利を持っているのでしょうか、意味が解りません。

 

逆に、ここまでの想いで、元データを保存してくださっている教授のほうが、県庁の職員よりも、よっぽどうちなーんちゅであると言い切れる !

 

 

こちらからも渡邊教授に尋ねてみた。

 

 

 

なんと、その後の担当部署からの返事は、ないという !

 

お役所はお役所仕事しかしないといわれるが、お役所仕事もしないのなら、何を一体やっているのかということになる。

 

私たち県民の五千万という予算がかけられたデジタル・アーカイブスは、沖縄戦の記憶を残す百年先まで考えたプロジェクトのはずだが、なぜ五年しか運用されないのか。

 

5千万の公的資金を投じて、

これは、いったいどういうことになっているのか。

 

職員はどういう認識や判断で勝手に運営を打ち切ったのだろうか。

 

担当部局は

子ども生活福祉部平和援護・男女参画課です。

〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎1-2-2 行政棟3階(南側)

電話番号:098-866-2500

FAX番号:098-866-2589

 

また⇩ こちらの県民意見箱にご意見をお願いします。

ご提言・ご意見/沖縄県

 

 

もう一度言いますが、すでに完成している、質と量ともに現時点の日本で最高峰の戦史デジタルアーカイブスです。

 

ぜひとも復活させましょう !

 

 

 

 こちらは、5年前の記事からご紹介。

 

沖縄戦の記憶をアーカイブでひもとく

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昨日6月23日は、太平洋戦争末期の沖縄における戦闘終結を記憶に刻む「慰霊の日」です。激戦地となった沖縄本島南部の糸満市にて、戦没者追悼式が開催されました。

 

私が総合監修を担当した「沖縄平和学習アーカイブ」は、ナガサキヒロシマ東日本大震災アーカイブとほぼ同様のつくりになっています。沖縄県の公式事業として収集されたコンテンツはとても充実しており、ビデオ証言+6カ国語翻訳、沖縄公文書館から提供された資料写真などが掲載されています。

 

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今回の記事では、遠い歴史となりつつある沖縄戦の記憶を辿る足がかりになればと考え、この「沖縄平和学習アーカイブ」に収録された資料のうち、いくつかをご紹介していきます。

 

まず、尖閣列島尖閣諸島)で戦争を体験された石垣正子さんの証言映像です。

 

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youtu.be

石垣さんの証言は、宮古島西表島尖閣諸島に至る、疎開の行程に沿ってマッピングされています。現在、さまざまな意味で世界の注目を集めている尖閣諸島で、68年前に何があったのかを知る手がかりとなる貴重な資料となっています。

石垣さんの例で示されているように、長期戦を扱う「沖縄平和学習アーカイブ」では、タイムスライダーを使って、証言者のかたの「足跡」を辿ることができます。例えば全証言を表示してみると、西太平洋の広い範囲に渡って証言が分布していることが確認できます。

 

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この様子から、沖縄戦を語ることは即ち太平洋戦争を語ることに他ならないのだ、ということが良く分かります。全ての証言はGoogle Earthインターフェイス上、あるいはこちらのYouTubeチャンネルでも閲覧できます。

次いで、写真資料を紹介していきます。これらの写真はGoogle Earthの空中写真と地形に目視で重ねあわされており、過去と現在の光景を比較することができます。この手法は、ヒロシマナガサキ東日本大震災アーカイブと同様のものです。

まず慶良間諸島で撮影された、アメリカ軍の上陸用舟艇を捉えた貴重なカラー写真です。エメラルド色の海と真っ白な砂浜、背景の空中写真と写真内の風景はほとんど変わっていません。美しい光景のなかに挟み込まれた、禍々しい被写体に愕然とさせられます。

 

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次は、那覇港を空爆する爆撃機から撮影された写真です。港湾施設から大きな爆炎が上がっています。この写真は、太平洋戦争で沖縄が経験した市街戦のようすを捉えたものです。背景にみえているのは現在の那覇の空中写真ですが、おおまかな地形は68年経った今でも変わっていません。

 

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こちらは旧日本軍の嘉手納飛行場の写真で、攻撃に向かう米軍機から撮影されたものです。背景にみえているのは現在の嘉手納基地です。米軍は日本軍の飛行場を占領して、自らの基地として利用していきました。この写真に写っているできごとは、現代の沖縄が直面している基地問題に繋がっています。

 

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次いで現在、美ら海水族館からも眺めることのできる伊江島の、米軍による攻撃直前の写真です。島にそびえるタッチュー(小山)の横に、米軍の急降下爆撃機の姿が小さく写っています。この伊江島にも日本軍の飛行場がありました。この攻撃で占領され、現在はアメリ海兵隊の飛行場として利用されています。

 

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なお敗走する日本軍は、滑走路に溝を掘り、再利用を難しくする妨害工作を行いました。そこを、米軍がブルドーザなどの重機を大量に持ち込み、急ピッチで造成している写真が残されています。これらの資料からは日本軍・米軍の大きな戦力差が伺え、沖縄戦が苦しい戦いだったことが分かります。

 

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こちらは1950年に撮影された写真で、慰霊碑「ひめゆりの塔」に花輪を捧げる沖縄の若者を捉えたものです。前方には鳥居、後方には十字架がみえます。複雑な文脈を感じ、言いようのない思いに囚われます。なお、鳥居の上部にズームインすると、鳥居は恩納村の青年会から奉納されたことが分かります。

 

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次は首里城近辺で撮影された写真です。「鉄の暴風」と呼ばれた米軍の爆撃により、まったく何も残らないほどに破壊しつくされています。世界遺産となり、観光客でにぎわう現在の状況は、この写真からは想像もできませんが、つい68年前、ここは焦土だったのです。

 

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私たちはアーカイブ制作にあたり、個々の証言者の目線で捉えた沖縄戦と、アメリカ軍が冷徹に記録していった沖縄戦の双方を併置することを意識しました。ここでは個人が語る歴史と、イデオロギーによって形成されてきた歴史が重層されています。前回の記事で書いた「福島をいかにアーカイブするか」という課題のヒントになるかも知れません。

 

「沖縄平和学習アーカイブ」にはこのほかにも多数の資料が掲載されています。ぜひ、お時間のあるときにアクセスし、沖縄戦の記憶をひもといてみてください。

 

お願いします。県民の公的資金と命の歴史と祈りがつまったデジタルアーカイブです。担当職員は早急に対処に向けて動いてください。

 

 

 

閉鎖はありえない - 県は「沖縄平和学習アーカイブ」の管理運営を (県や企業でなく) 学術機関に委託してください ! - Battle of Okinawa

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