住民虐殺

久米島の日本軍 海軍通信隊の鹿山正隊長と陸軍中野学校の上原敏夫

久米島は那覇市の西方100 km の東シナ海に浮かぶ周囲48 km、人口約一万数千人の島で、 沖縄戦では米軍の作戦計画(アイスバーグ作戦)の攻撃目標からもはずされ、日本軍の守備部隊も配置されない孤立した島であったから、本来は戦争の惨劇とは程遠い平和の島の…

1945年5月12日 今帰仁村の住民虐殺、日本軍は住民の「殺害リスト」を持ち歩いていた

《AIによるカラー化》 Unten Ko midget submarine base. There was space here for eight midget submarines.運天港にある小型潜水艦基地。8隻の小型潜水艦が寄港できるスペースがあった。撮影日: 1945年 6月 写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館 日本軍…

1945年5月12日 渡野喜屋の住民虐殺 4歳でも「スパイ」

沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 - 15年戦争資料渡野喜屋事件 (とのきやじけん) とは、 1945年5月12日、大宜味村塩屋の渡野喜屋 (白浜) で起きた日本軍による虐殺事件。 日本兵10人が渡野喜屋に現れ、民間人を集め手榴弾を投げ入れた。4…

壕を掘らされ壕に幽閉された朝鮮人軍夫 / アメリカ軍の捕虜になった人を殺したのは、日本軍だったんです

沖縄戦には、当時、日本の植民地であった朝鮮半島から、たくさんの「朝鮮人軍夫」も投入された。彼らはいったいどのように異国の沖縄戦に巻き込まれていったのだろう。当時十五歳の少年であり、また国民学校ごと少年兵 (防衛隊) に召集された阿嘉島の垣花さ…