『“書きかえられた”沖縄戦 ~ 国家と戦死者・知られざる記録』

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“書きかえられた”沖縄戦

~国家と戦死者・知られざる記録~  

NHK ETV (2015/8/15)

 

アジア・太平洋で膨大な戦死者を出したあの戦争から70年。日本人だけで310万人を超す犠牲に、国はどう向き合ってきたのか?

 

そのことを考える上で、重要な場所がある。太平洋戦争末期、日米が激しい地上戦を繰り広げた沖縄だ。戦死者は軍民合わせておよそ20万人。沖縄県民だけで12万人に上る。日本軍は、アメリカ軍の本土侵攻を食い止めるため、沖縄で"時間稼ぎ"のための持久戦を展開。深刻な兵力不足を補うため、学生や女性、老人までもさまざまな形で戦場に"根こそぎ動員"した。日本軍が潜む地下壕(ごう)やガマと呼ばれる洞窟に、軍民が混在する状況が生まれ、アメリカ軍の無差別の攻撃の中で、住民の犠牲も拡大していった。戦後、国は、沖縄県民の4人に1人という甚大な犠牲に報いるために、ある支援制度を拡大していく。軍人・軍属の遺族を支援するための「戦傷病者戦没者遺族等援護法」だ。今回、NHKはその援護法関連の国の膨大な内部資料を入手した。本来、一般住民には適用されないこの制度を、国は民間人にまで拡大していた。日本軍に協力して亡くなった人を「戦闘参加者」と位置づけ、およそ5万6千人を、軍人・軍属に準ずる存在として援護の対象としたのである。

 

ところが5万を超す「戦闘参加者」の名簿をつぶさに見て行くと、不自然な部分があることが分かってきた。住民が日本軍に協力して亡くなったという「死の理由」の多くが実態とは異なるものに"書きかえ"られていたのだ。日本軍に強制的に壕を追い出されて亡くなったケースは、軍に「壕を提供」して亡くなった、と書きかえられていた。なぜ、そのような事態が起きたのか。そしてその事は今に何を突きつけているのか。膨大な資料と関係者の証言から、戦後70年たってようやく浮かび上がった、知られざる戦後補償の歴史をひもとく。

  

 

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