沖縄県史 < INDEX >

コンコーダンス用の書きおこしです。誤字などがありますので、必ず原典をお確かめください。《沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)》 Part 1 補遺編 沖縄戦証言 首里 (1) (PDF) 沖縄戦証言 首里 (2) (PDF) …

学徒動員 < Index > 

随時ゆっくり更新していきます。 学徒動員への過程 1) 沖縄師範学校男子部(師範鉄血勤皇隊) 2) 沖縄県立第一中学校(一中鉄血勤皇隊・一中通信隊) 3) 沖縄県立第二中学校(二中鉄血勤皇隊・二中通信隊) 4) 沖縄県立第三中学校(三中鉄血勤皇隊・三中通信…

山里将林「沖縄を変えた十・十空襲」

山里将林 (当時十九歳) 那覇電気通信工事局庶務係に勤める公務員。 沖縄を変えた十・十空襲 山里将林 今日の演習はすごい 昭和十九年十月十日午前六時五十分頃のことでした。いつものように、そろそろ朝食をという時、北の方から「ブウーウン」という小さい…

1944年12月 西表島の船浮要塞「安東丸」事件 ~ 闇に葬られたままの小野部隊による遺棄事件

「安東丸」事件とは 西表島の船浮要塞 - 小野部隊 安東丸とは 穀物は収奪され、乗組員は軍夫として使役された なぜ小野隊は乗組員を鹿川に置き去りにしたのか 山城孫勇「あれはいわれない罪を着せての工作としか思えない」 遺体の収容 「安東丸」事件とは 19…

酒井喜代輔「山下虎雄という自分」を語る ~「楠山忠之『日本のいちばん南にあるぜいたく』情報センター出版局 (1993/10/1)

「わが島を語る」酒井喜代輔 「山下虎雄という自分」を語る 楠山忠之『日本のいちばん南にあるぜいたく ― 不思議空間「八重山」から「もうひとつの日本」が見えてくる』情報センター出版局 (1993/10/1) なんだろうこのタイトルの、上から斜め下のオリエンタ…

歴史とは ~ シリーズ沖縄戦について ➀

歴史とは・・・ 歴史とは何か 「歴史の授業がなかった」 !? 沖縄戦に関する記述は、たったの一行 !? オーラル・ヒストリーの大切さ なぜ歴史を学ぶのか 歴史とは・・・ 歴史とは何か 歴史 (history) とは、古代ギリシア語で、historeo (尋ねる、探求すること…

飯田邦彦「沖縄戦記 中・北部戦線 生き残り兵士の記録」(1982年)

十・十空襲 谷茶の掃討 投降へ 十・十空襲 蜻蛉が群れをなして飛ぶ秋日和がつづいたある日、突然、B29が1機ま昼の青空の中をかげろうのように身を透かせながら飛翔してゆき、兵隊たちが「あれよ、あれよ」といってる間に、高射砲もとどかない1万メートルの飛…

座間味守備隊の場合 - 梅澤隊と7人の朝鮮人慰安婦 

座間味守備隊の場合 - 梅澤隊と7人の朝鮮人慰安婦 座間味守備隊の場合 - 梅澤隊と7人の朝鮮人慰安婦 那覇市内でひっそりと生涯を終えた女性のこと。女性はペ・ポンギさん。ペさんは1944年、朝鮮半島から渡嘉敷島に連れて行かれ、日本軍の慰安婦として働か…

福地曠昭「強制連行された朝鮮人の沖縄戦」

沖縄戦では日本植民地だった朝鮮から軍夫として約1万5千人(あるいは約3万人とも)が連行されたと推定されている。彼らは「牛馬以下にあつかわれて」、酷使され、その大半が戦没したと考えられている。軍夫というのは軍の命令にしたがって陣地構築や飛行場建…

名護の立ち入り禁止令

名護の立ち入り禁止令 名護の立ち入り禁止令 米軍は本部 (もとぶ) 半島を軍事拠点化し、本部飛行場のほか少なくとも3カ所に小飛行場 (名護・備瀬・崎山) を建設した。また古宇利島、瀬長島などが陸軍の保養地区となり、そのため、住民は本部半島・名護から排…

儀同保『ある沖縄戦 慶良間戦記』(1992年)

儀同保『ある沖縄戦 慶良間戦記』(1992年) 儀同保 著書 捕虜収容所 若い兵士の自殺 捕虜収容所の英会話教室 コザの戦病院 - マラリアと赤痢 儀同保『ある沖縄戦 慶良間戦記』(1992年) 儀同保 1926年4月20日新潟県中魚沼郡川西町生まれ。1947年専検合格、代用…

みなと村 (みなとそん) (1947-1950)

1947年5月1日、沖縄民政府告示18号により、みなと村設置。 1950年8月1日、那覇市に吸収合併され消滅。 みなと村役場跡(ミナトソンヤクバアト)那覇市奥武山町42-3 沖縄戦 の後、特別に設置された行政区 みなと村の役場跡 。 1945年(昭和20)の沖縄戦の後、…

山田有昻「屋嘉収容所」~ 那覇市『沖縄の慟哭 市民の戦時戦後体験記・戦後編』(1981)

屋嘉捕虜収容所 山田有昻 囲には監視哨のが六、七ヵ所設けられてあった。夜になればサーチライトが輝き、四六時中監視は厳重であった。 棚への出入口は北寄りに一個所で通路の中央に検問所がありMPが立哨していた。柵内は中央に十位の通路があり、その両側を…

渡辺憲央「逃げる兵 高射砲は見ていた」

渡辺憲央「逃げる兵 高射砲は見ていた」 十・十空襲 渡辺憲央「逃げる兵 高射砲は見ていた」 十・十空襲 10月、沖縄の朝夕はめっきり涼しくなり、真っ赤な落日をバックに芒の穂先だけがひっそりと秋風にそよいでいた。その頃から米軍のB29が1機高射砲の届か…

伊平屋島の戦争

[語れども語れども・うまんちゅの戦争体験](412) 島に米軍上陸 家焼き払う 東江三秀さん(90)伊平屋村前泊 「日本また戦前に」 危機感2023年6月4日 5:00 伊平屋島で6人きょうだいの次男に生まれた。幼い頃は山間を流れる小川や緑豊かな景色が好き…

 海野福寿、権丙卓 『恨 : 朝鮮人軍夫の沖縄戦』河出書房新社 (1987年)

8月15日 海野福寿、権丙卓 『恨 : 朝鮮人軍夫の沖縄戦』河出書房新社 (1987年) ★ ★ ★ ★ ★ pp. 223-228 く生きした「死亡区分」にいう戦死したのではなく「刑死」である同じ時「処刑」された慶山郡出身者三人のうち金相吉(創氏名金海相吉)も「戦死」扱いされ…

渡辺憲央『逃げる兵ーサンゴ礁の碑』マルジュ社 (1979年)

屋嘉収容所における捕虜生活 8月15日 未確認の摩文仁司令部の降伏勧告交渉 敗戦後の収容所 宣撫班 - デテコイ役 収容所指揮班 『沖縄捕虜新聞』 独立高射砲27大隊の兵士 断末魔の砦 渡辺憲央『逃げる兵ーサンゴ礁の碑』マルジュ社 (1979年) pp. 198-205 逃げ…

宮古島の南静園

宮古島の南静園 宮古南静園の開設 (1931年) 宮古島の南静園 沖縄には沖縄島の愛楽園と宮古島の南静園、二つのハンセン病療養所があった。 宮古南静園の開設 (1931年) 宮古島の北端近くの海岸添いに位置する宮古南静園は、1931年、平屋三棟による「県立宮古保…

読売新聞 2022年7月3日「元語学将校のドナルド・キーン氏が読んだ日本兵の日記「仲間が死んで一人」「腹減った」 」

元語学将校のドナルド・キーン氏が読んだ日本兵の日記「仲間が死んで一人」「腹減った」 読売新聞 2022/07/03 09:23 神奈川近代文学館の入り口に掲示されているドナルド・キーン100年展の案内 【英字版】THE JAPAN NEWSでも公開中 三島由紀夫、川端康成、…

タイム誌 1949年11月28日「沖縄:忘れられた島」

未修整です。 利用される方はリンクから原文をお確かめください。 https://content.time.com/time/subscriber/article/0,33009,856392-1,00.html 沖縄:忘れられた島 タイム誌 1949年11月28日 4年以上前に米軍が有名で犠牲の大きい勝利(8万人の死者と負傷者…

本部半島の海岸で発見された「牽牛」と記された九九式双発軽爆撃機

ここまで情報があれば、なんとか、搭乗していた隊員も特定できるのではないかと思い、まとめておきます。 尾翼に「牽牛」(けんぎゅう) と銘のある双発機。牽牛とは、年に一度、7月7日の七夕の夜に天の川を渡って彦星と織姫が出会うという牽牛・織女伝説の牽牛…

ナバホ・コードトーカーについての米国議会証言記録 (2011年)

ナバホ・コードトーカーとは 議会証言 1942年 - ナバホ入隊への提案 1942年の「オリジナル29」 チェスター・ネズ サミュエル・トム・ホリデー アレン・デール・ジューン ナバホコードトーカーの名簿: オリジナル29 ナバホ・コードトーカー名簿 ナバホ・コー…

毎日新聞 2023/6/23「機銃掃射、マラリア…510キロ離れた与那国島にも爪痕残した沖縄戦」

毎日新聞「与那国島にも爪痕残した沖縄戦」 中日新聞「沖縄戦の記憶が蘇る」 毎日新聞「与那国島にも爪痕残した沖縄戦」 機銃掃射、マラリア…510キロ離れた与那国島にも爪痕残した沖縄戦 6/23(金) 16:00配信毎日新聞 1944年10月の空襲体験などについて語る大…

神奈川新聞「戦争だけは駄目だ ~ 沖縄戦で日本兵殺害 元日本兵の飯田直次郎さん」(2017年11月3日)

「戦争だけは駄目だ」 沖縄戦で日本兵殺害 元日本兵の飯田直次郎さん 神奈川新聞 | 2017年11月3日(金) 11:06 湘南の柔らかな陽光が障子越しに差し込む。ベッドに横たわる男性の顔が陰影を帯び、深く刻まれたしわが沈痛な胸の内を際立たせる。 「やっぱり勘弁…

ウイラード・A・ハンナ少佐(1911~1993年)

ウイラード・A・ハンナ少佐 1945年9月17日 - 恩納博物館 ウイラード・A・ハンナ少佐 (1911~1993年) 沖縄テレビ「沖縄の歴史的建物が“シロアリ”“老朽化”で取り壊しへ…」 米軍は軍事占領とその後の軍政のため、一部、大学の優れた研究者を登用した。特に米…

首里占領から78年目の獅子の帰郷 ~ 「獅子には魂がある。道のりが長くても、きっと帰ってきますよ」

故郷にもどってきた獅子 沖縄公文書館所蔵の三枚の写真 2022年11月 - 「鳥肌が立ったんですよ」16歳の発見 2023年5月29日 - 78年ぶり、獅子の帰還 気になる撮影日時 実はもう一枚、獅子頭の写真が・・・ 撮影日時について 撮影場所について 獅子頭の形状につ…

15歳で従軍、翁長安子さん「なぜ戦争が起きたのか、歴史を学ぶことを疎かにしては平和な社会はつくれない」

翁長安子さん 永岡隊 たったひとりの南下 轟の壕とマヤーガマ 石川収容所と瀬嵩収容所 真和志村民と糸満の魂魄の塔 若い世代に伝えたい事 翁長安子さん 県立第一高等女学校生、15歳で郷土部隊「永岡隊」に従軍。 「子供が死んだお母さんのおっぱいを…」脳裏…

伊芸平八郎 (Ige H. Thomas) ~ 沖縄戦での経験

沖縄語を使って住民を救出したイゲ 沖縄語専門の特別班を編成 沖縄戦での経験 by トム・イゲ 8th University of Ryukyus' Commencement: Dr. Thomas H. IGE Associate Economic Professor of Hawaii University【和訳】 第8回琉球大学卒業式 トーマス・H・…

火炎放射器 (flame thrower)

ナパームの製造 火炎放射器 火炎放射装甲車 書きかけ記事です。 火炎放射器 (flame thrower) とは、ナパームを圧縮空気で噴射、ターゲットに付着し焼夷する。対塹壕戦で多用された。 焼夷兵器としては、特定通常兵器使用禁止制限条約 III に記載され使用禁止…

沖縄タイムス「秘密戦 ~ 中野学校出身 住民を監視・虐殺や防諜活動に関与」

沖縄タイムス・戦後15年・沖縄戦研究の視点 中野学校出身 住民を監視・虐殺や防諜活動に関与 秘密戦 秘密戦とは、諜報・防諜 ・謀略・宣伝等を主な任務と し敵国の中に潜伏、内部から かく乱・崩壊させるとともに、戦場では遊撃戦、いわゆ ゲリラ戦をもって…