NHK 鉄血勤皇隊 証言リスト 沖縄県立第一中学校

 

f:id:neverforget1945:20200807003018p:plain 証言記録 兵士たちの戦争 

戦場の少年兵たち ~沖縄・鉄血勤皇隊~

64年前、この島で日本軍とアメリカ軍による激しい地上戦が繰り広げられた。犠牲者は20万人あまり。この戦いには日本で初めて14歳から17歳の中学生、900人あまりが陸軍の兵士として動員された。鉄血勤皇隊。少年たちは、年長の兵士に命じられるまま、戦場でさまざまな役割を担わされる。

圧倒的なアメリカ軍の戦力の前に、追い詰められて行く日本軍。後方にいた少年たちの命も、次々に奪われていった。極限の状態で戦場をさまよった少年たち。沖縄全土で招集された中学生、900人のうち実に400人以上が命を落とす。

 

f:id:neverforget1945:20200807001606p:plain 宮平 盛彦さん「組織された少年兵」

一中通信隊として、電信第36連隊第6中隊へ配属

10月に投降、捕虜となる

 

f:id:neverforget1945:20200807001850p:plain比嘉 重智さん 「砲弾の嵐の中で」

沖縄県立第一中学校を繰り上げ卒業

野戦重砲第1連隊第2大隊へ配属

6月、米軍に捕らえられ捕虜となる

 

f:id:neverforget1945:20200807003615p:plain 與座 章健さん「少年兵への理不尽な暴力」

第一中学校を繰り上げ卒業

鉄血勤皇隊へ入隊するも、部隊配属前に除隊

6月、家族とともに捕虜となる

 

f:id:neverforget1945:20200807003947p:plain 摩文仁 朝彦さん 「少年兵 仲間の死」

第一中学校3年時に、鉄血勤皇隊へ入隊
野戦重砲兵第1連隊に配属
6月、米軍に捕らえられ捕虜となる

 

f:id:neverforget1945:20200807004320p:plain 神谷 依信さん「果たせなかった自決」

第一中学校3年時に、鉄血勤皇隊へ入隊
野戦重砲兵第1連隊に配属
6月、米軍に捕らえられ捕虜となる

 

f:id:neverforget1945:20200807004719p:plain 山田 義邦さん「少年兵の斬り込み」

第一中学校卒業、鉄血勤皇隊へ入隊

6月、負傷して倒れているところを米軍に捕らえられ捕虜となる

戦後の出来事

実はね、昭和25年か24年です。行ったときに、僕は友だちのところを探していたんだが、よく分からないわけです。しょうがないから新宿の地下街、当時負傷兵がいまして、包帯を巻いて目の見えない、今の物ごいみたいなもんで、歌を歌いながらハーモニカを吹いたりなんかしてお金をもらって生活している。この連中と僕2日間いたんですよ。行く場所がないから。でもとっても親切だったですよ。寒いでしょう。新聞紙をクルクル巻いて寝ていましたけど、2日間。そのときに、確かどこそこだったなと思って探しに行ったら、今の豪徳寺というところかな、あの辺だったと僕は思う。はっきりしませんけど。そうしたら、玉砂利の敷かれた道なんですよ、きれいな。松の木が横から大きな塀のあるところから松がのぞいているでしょう。そこの屋敷からピアノの音が聞こえるんですよ。あのときは僕は「エリーゼのために」なんて知らなかったんですよ。聞いたことないし。タンタン…って鳴るでしょう。そうしたら僕は一瞬立ち止まりましたよ。玉砂利の敷かれた立派なところですよ。いったい誰が戦争したんだと。俺がこんなみじめなかっこして、あんなみじめな思いして、振り返ってみて。僕が1週間前に出てきた石川は、ネズミ、シラミの生活で、みんな虫みたいにうごめいた生活をさせられているんですよ。やぶけた天幕の中で。ああいうことをさせられている沖縄の人間。いったいここで、こういうピアノを弾いている。いったい誰が戦争をしたんだと。悔しいやらなんやらで、一瞬立ち止まっていましたよ。それから、わたしは当時はやまとぐち、日本語があまり話せない、話せないっておかしいけど、受け答えぐらいしか。だって家庭で日本語で話するところないですから。そうしたら、そこにまた差別というのがあったんですよ。僕は知らなかったの。差別というのがあって、お前、琉球人かなんて言われたら、あれっと思ったんですよ。なんだろうと思った。そういうのが重なって、僕はそのピアノの音を聞いたとき一瞬立ち止まって、「いったいどうなっているんだ、この国は。誰が戦争して、なんのために僕はこんなみじめな格好してここに立ちすくんでいるんだ」って。悔しいやらなんやらもう複雑な気持ちだったですね。

山田 義邦さん|証言|NHK 戦争証言アーカイブス

 

 

f:id:neverforget1945:20200807010806p:plain 運天 政和さん「自決を迫られた負傷兵たち」

第一中学校三年生時に鉄血勤皇隊へ入隊。

独立重砲兵第百大隊に配属

6月、米軍に捕らえられ捕虜となる。

 

   比嘉 森正さん「死屍累々の逃避行」

沖縄県立第一中学4年生で繰り上げ卒業後、鉄血勤皇隊

鉄血勤皇隊本部に配属、一中の校長らと行動をともに。

 

f:id:neverforget1945:20200807011224p:plain 石川 栄喜さん 「死んでゆく少年兵」

第一中学校入学3年生を終え鉄血勤皇隊へ。

鉄血勤皇隊本部に配属、一中の校長らと行動をともに。

 

 

f:id:neverforget1945:20200807011730p:plain 新垣 幸栄さん 「軍隊への失望」

沖縄県立第1中学校3年生時に鉄血勤皇隊へ入隊

部隊配置の前に除隊。家族とともに捕虜となる。

 

f:id:neverforget1945:20200807011849p:plain 宮城 真一さん “日本軍が怖かった”

沖縄県立第一中学校卒業後、鉄血勤皇隊へ入隊。

第5砲兵司令部に配属

摩文仁で捕虜に

捕虜になってから

恐い。かえって、日本軍が恐かった。日本軍は友軍、友達の軍で友軍と言っていたが、友軍が恐い。夜、襲われておった。それは、まだ後の話だけどね。トミザトとオオヤマという人が来てね、アラザトイサオのお母さんにそこで偶然会ったわけ、捕虜になってから。そのアラザトイサオのお母さんが、いろいろ、おれを息子さんの代わりに、シラミがたかっている洋服を洗ってくれたりしていた。ある晩、このお母さんの残っている民家に、そこで寝ていた。「あんたたちは奥の方に寝なさいよ」と言われた。「表の方はわたしたちが寝る」。「逆じゃないの」と思ったんだけど、「女が外の方に寝るとあれじゃないの」と言っていたのよ。夜中に兵隊が3人来た。起きろ、食糧を出せと。おばさんたちが説得した。ここに僕たちが、男がいたら、男は連れていかれて、もしあれだったら殺される。あのときはほんとに困った。そのおばさんたちのグループがいろいろ「兵隊さん帰ってちょうだい」と。「わたしたちは女だけしかいないから、恐いから帰ってくれ」と。帰って、それを翌日までに米軍に報告したら、すぐ米軍の兵隊が来てね、家探しじゃない、野良探しをした。恐かったね、友軍が。夜中から何をするかわからない。

 

f:id:neverforget1945:20200807012258p:plain 山城 興文さん “捕虜になるならたたき切る”

沖縄県立第1中学校卒業後、鉄血勤皇隊へ。

野戦重砲兵第1連隊に配属され、沖縄本島での戦闘に参加。

米軍に捕らえられ捕虜となる。