閉鎖はありえない - 県は「沖縄平和学習アーカイブ」の管理運営を (県や企業でなく) 学術機関に委託してください !

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さて、

 

いつのまにか沖縄県運用を停止していたという、沖縄県の、あの「沖縄平和学習アーカイブ」の件だが。

 

battle-of-okinawa.hatenablog.com

 

幸いにも、多くの反響が寄せられ、二紙や沖縄テレビもとりあげるなかで、データをサルベージしてくださっている東京大学大学院教授・渡邊英徳氏に、県側からやっとの返答があったという。

 

 

運営を再開する方向で検討、ということだが、

 

しかし、

 

これで一件落着というわけ、

で、あるわけがない。

 

真の「問題」は、

これまで、6年間も県の運営のもとで多額の予算を投じながら、実は、ほとんどそれを活用できていなかったという点だ。

 

ページにアクセスした人の数は、12年度1万8285人、13年度1万4649人、14年度1万6674人、15年度1万4679人、16年度8812人、17年度は8067人。

 県の担当者は「低コストでアクセスを上げる手法が見つからず、予算の折り合いがつかなかった。・・・」

「沖縄平和学習アーカイブ」が見られない 制作費は8千万円以上 県は早急に再公開へ | 沖縄タイムス+プラス

 

当然だろう。

 

県の公式サイトで探すのも苦労するほどの小さなリンク貼っただけでは、だれがアクセスできようか。有効活用できていないどころか、ほとんど知られてもいない。

 

それで、県はサイトの維持管理費用に見合わないとして、運営停止の判断をした。

 

それが、いざ世間に知られ、問題化されたから、「じゃあ運営再開します」、では、何の解決にもならない。

 

なぜ、県はデジタルアーカイブを活用できなかったのか。

 

( 1 ) 多元的デジタルアーカイブスとは?

 

戦史のデジタルアーカイブの有用性を疑問視し、批判する人たちも少なからず存在するなかで、

 

まるでコンピューターゲームでもしているかのように画像が動きまわる。しかし、これで、果たして「沖縄戦の実相」が分かるのかと、もう一つ納得がいかない。(1)

 

そもそも、県側がサイトの利用を人々に促進する以前に、多元的デジタルアーカイブはどのようなものなのか、どのような可能性があるのか、

 

多額の予算をつけて製作したものの、運営 (県) 側は、実は、デジタルアーカイブスの意義と方法論をまったく理解していなかったのではないか

 

なるほど、運転の仕方も知らぬ側が、高級車を与えられたとしても、運転のしようがない。

 

では、多元的デジタルアーカイブス化の可能性とはなにか。書籍や資料館展示とは何が異なるのか。なぜこれからの時代の戦史学習と平和教育に有用なのか。

 

( 2 ) 「記憶の解凍」ニューラルネットワークとは ?

 

まずこの記事をご紹介したい。

 

 

原爆が奪い去った日常を色鮮やかによみがえらせたい――。広島の高校生たちが、原爆投下以前に撮影された白黒写真を、最新技術と人々への聞き取りをもとにカラー化することに取り組んでいる。写真は、今年秋にも広島市内で展覧会を開き、公開する予定だ。

広島市中区広島女学院高の有志たちが昨年始めた。被爆者らから戦前、戦中の白黒写真を提供してもらい、人工知能(AI)を使って自動で色づけする。さらにその写真を持ち主に見せて記憶の中の色を聞き取り、最後は手作業で補正する。1枚に費やす時間は1週間から長いもので数カ月かかる。昨年11月以降、約140枚をカラー化した。

「昔ここで遊んだ」被爆前の広島写真、AIでカラー化:朝日新聞デジタル

 

渡邊教授は、デジタルアーカイブスと、ニューラルネットワークという白黒写真のカラー化技術を使って、生徒たちに様々なワークショップやプロジェクトの機会を提供している。

 

渡邉英徳 on Twitter:

戦争体験者と若者はともに,デジタルメディアよりも「手で触れられる」メディアに愛着を持つのかも知れません。だから生徒さんには,写真を「印刷」してお渡しする。このことは,若い世代によるデジタル技術を用いた取り組みが,今後大きく発展していく可能性を示しています。

 

そして、白黒の写真は、生徒たちの手によって、目の前で瞬間に命を与えられたように輝き始める。

 

まずその感動は、実際に写真を手にもったものでしか味わえないような臨場的な体験といってもいい。

 

戦史学習を、一定の「理念」から始めるのではなく、とりあえず見て触れて体験する。そして顕現する歴史の「フロー」のなかに自分をおいてみる。

 

頭の知識や単語の暗記ではない。人間は、自分の生きるこの時と場所が、過去とつながって流れていることを体感したとき、はじめて歴史を咀嚼し始める。

 

記憶が掘り起こされる瞬間

───「ヒロシマアーカイブ」に掲載されている写真もカラー化されました。

 

パブリック・ドメイン化されている写真はすべてカラー化して、元の写真にマウスオーバーさせるとカラー写真に切り替わるようにしました。この仕組みによって、写真が“タイムマシンのようにはたらく”ようになったと思います。これも「記憶の解凍」のトリガーとして機能することを期待しています。

 

しかしぼくは最近、こうした「記憶の解凍」の仕組みは、ウェブコンテンツのように多数の人々に向けたものにだけではなく、もっと小さな、顔のみえるコミュニティにこそ活かせると考えています。

 

たとえば、「ヒロシマアーカイブ」の制作過程でこんなことがありました。ヒロシマアーカイブ」は、広島女学院高の生徒たちと共同制作したものです。アーカイブの証言収録を、地元の生徒たちが行なっているようすがしばしば報道されますが、最近は、カラー化でもコラボレーションしています。

 

昨年秋にワークショップを開き、高校生たちにカラー化の手順を教えました。するとその後、彼女たちが、なかなか粋なことをはじめました。

戦時中、広島の中島本町にお住まいだった濵井德三さんは、原爆が投下された日、疎開中で無事でした。しかしご家族はみなさん、亡くなってしまいました。でも、濵井さんの手元には、家族のアルバムが残っていた。その白黒写真を、生徒たちが濵井さんの目の前でカラー化したのです。

 

その中の一枚、お花見の写真をカラー化したところ、背後の杉並木の青々とした色彩がよみがえりました。それを見た濵井さんは、「杉鉄砲でよう遊んだなあ」と当時を思い出し、「長寿園までの道に弾薬庫があって幼心に怖かった」といった記憶まで語ってくださいました。カラー化がトリガーとなって、濱井さんの胸のうちに凍りついていた記憶が溶かされ、ことばとして流れ出したのです。

 

その後生徒たちは、カラー化した写真をアルバムにまとめてプレゼントし、濵井さんはたいへん喜ばれたそうです。このように、証言者の目の前でカラー化してみせ、お話のお礼として、実物のアルバム届けるという発想に、ぼくは強い感銘を受けました。地元の若者ならではの活動だと思います。

渡邉英徳(情報アーキテクチャ)|INFORIUM|NTTデータ

 

最初に「理念」あっての平和教育を「受ける」というのとはちがう。考えの垣根を超えて、生徒たちが「歴史を再体験」することから始まる、いわばアクティヴな平和学の可能性がここにある。

 

( 3 ) 進化し続けるデジタルアーカイブスの可能性

 

そうしてインスパイアされた生徒たちは、大人たちの思惑をこえ、見惚れるほどに成長していく。

 

感動的である。

 

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広島のまち歩きのしおり「ワークブック」の実地検証中の広島女学院の高校生たち(提供:渡邉教授)

 

たとえば、ぼくの研究室の学生たちは、広島女学院高の生徒たちと協力して「ヒロシマアーカイブ」の副読本である「ワークブック」を制作しています。

 

これはもともと、生徒たちから提案されたプロダクトです。「ヒロシマアーカイブ」はスマホで見られて便利だけれど、その分、ささっと眺めて終わりになってしまい、心に残らない。だから旅のしおりのように、手元に残るものがほしいという。なるほどと思いました。平和学習のみで構成するとどうしても重くなるので、例えば、観光の情報も載せようじゃないか、とか。生徒たちからのボトムアップで生まれ、育っているところがいいです。と思いながら、ぼくは見ているだけですが。

渡邉英徳(情報アーキテクチャ)|INFORIUM|NTTデータ

 

そうして、生徒たちは白黒の写真1枚1枚を介して、年寄りたちの言葉に寄り添い、その歴史の証言者となる。大人にはとてもできない奇跡を起こす。

 

 

貴重な時代の記録である白黒写真をカラー化することに、何かしら冒涜的であると感じる人も多いだろうが、それは実は逆なのだろう。

 

つまり、カラーリングすることで、生徒たちは逆説的に、白黒の写真に込められた深い歴史とその意味を理解するようになるのだから。

 

渡邊教授はこう語る。

  

渡邉英徳 on Twitter

色つけ結果は対話を生み出すトリガーで、もともとの白黒資料の価値をむしろ高めると考えています。

 

生徒たちの仕事の成果が実際の映像作品に反映されることも。夏のこの時期、ヒロシマアーカイブと渡邊教授は、毎日、各局の取材やら番組やらで、文字通り「ひっぱりだこ」だ。

 

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時代をつなぐ媒体として、また個々ばらばらの空間情報をつなぐ媒体として、こうした多元的デジタルアーカイブスは、活用次第でいくらでも有機的に展開し、「成長」することができる。

 

そのモデルケースを広島の高校生たちは私たちに示してくれている。

 

ところが・・・

 

なんということだろうか。

 

 

 ・・・・そういう事である。

 

( 4 ) 一方、沖縄のアーカイブは・・・

 

昨夜の沖縄タイムスでは、13年度から17年度まで、サイトの維持管理費などとして毎年150~180万円もの県の予算が使われていたという。

 

 同アーカイブの予算は、「修学旅行誘致強化のための平和学習デジタルコンテンツの開発」として2011年度に5408万1355円、12年度に「平和学習デジタルコンテンツ整備事業」として2068万5525円で、いずれも沖縄振興一括交付金が充てられた。13年度から17年度までは毎年、サイトの維持管理費などとして県の予算で150~180万円を計上。総額は少なくとも8226万6880円。

 ページにアクセスした人の数は、12年度1万8285人、13年度1万4649人、14年度1万6674人、15年度1万4679人、16年度8812人、17年度は8067人。

 県の担当者は「低コストでアクセスを上げる手法が見つからず、予算の折り合いがつかなかった。制作した当時、18年度以降はアーカイブを外部機関に委譲するという話だったが、難航した」と話した。本年度の予算は93万円。

 

「沖縄平和学習アーカイブ」が見られない  | 沖縄タイムス+プラス

 

渡邊教授のタイムラインから。

 

 

 

 

「2012年の公開以降リンク張ってるだけ」で、なぜ維持管理費が毎年150~180万円も必要だったのか、

 

修学旅行誘致強化のための平和学習デジタルコンテンツの開発」を名目で多額の資金を投入しながら、県の権限で「利活用の提案をすべて拒否」するのであれば、生徒たちが利用できないのは当たり前だ。クリエイティブなことは何もできない。何も。

 

第一、沖縄県は、広島県の女学院高のケースのようなモデル校を指定し、パイロット・プロジェクトの一つでも取り組んだことがあるのだろうか。膨大な運営資金はどこに行ったのか。

 

これだからお役所仕事は・・・

といわれてしまう。

 

まず、絶対に ! 沖縄戦アーカイブを何の実績もない営利の IT 業者に業務委託させてはいけない !

 

( 5 ) 沖縄戦の歴史は、県民の命の歴史である

 

もう一度言うが、沖縄戦の歴史は、県民のいのちの歴史だ。四人に一人の県民の命が奪われ、過去の遺構も文献もふくめ、その多くが失われた。もう、これ以上、何も奪われるべきではない。

 

家に先祖の写真一枚も残っていない友たちは少なくない。

 

先祖のことになると、もうこれ以上は語りたくないという友たちも少なくない。

 

身内を失っただけではない、家財も代々の家系図も先祖の遺骨も、そして愛する家族の写真一枚すら・・・。先祖のの面影すら奪われたのだ。

 

だから、すべての現存する写真の一枚一枚、証言の言葉の一言一言が、我々県民の、大切な大切な遺産であり、それは公的機関の所有資産などではない。

 

平和を願う、心から願うみんなに共有されるべき、ぬちどぅ宝の未来と祈りそのものだ。

 

ゆえに、

 

県は沖縄戦アーカイブの運営を、企業ではなく、しっかりとした学術機関に委託運営させるべきである。

  

県は唐突に運営停止したが、

そのデータをすべてサルベージし、断固たる意志でもって、消させなかったその人物の言葉をここで引用したい。

 

東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 – 渡邉 英徳

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約10年のあいだ、「デジタルアーカイブ」をつくり続けてきました。今回、デジタルアース技術からはじめて離れ、自動色付け技術を応用した活動をはじめた。このタイミングで、いままでつくったものを俯瞰してみると、ここに「記憶の解凍」という一本線が引けるな、と気づけました。

 

思い出してみれば、ぼくの両親はけっこう平和教育に熱心なひとたちで、小さい頃、広島平和記念資料館に連れて行ってくれたり、誕生日プレゼントに『はだしのゲン』を贈ってくれたりしたんですよね。しかも、マンガ版じゃなく、小説版。当時は「こんなのやだー」って思ったように記憶していますが(笑)そうした体験もぼくの血になっているのかもしれません、めぐりめぐって。

 

先の戦争を体験したひとも、被爆者もいない時代が、もうすぐやって来ます。未来の子どもたちは戦争や原爆の話を直接、体験者から聞くことができない。では彼らはどうやって、過去のできごとを知るのか。あいだをつなぐ世代のぼくたち自身が、過去の記憶を解凍し、記憶のコミュニティを形成して、記憶を継承していきたい。そのための活動を継続していきたい、と思っています。

渡邉英徳(情報アーキテクチャ)

 

ある意味、沖縄にとって幸運だったのは、

製作者が日本で随一の映像アーキテクトであり、また沖縄戦アーカイブを、ぜったいに意地でも潰させなかった、歴史の記録者で研究者であったという事だ。

 

沖縄平和研究アーカイブを県や企業がクローズで運営するのではなく、オープンな運営で

 

明日の世代に沖縄戦史をつないでいきましょう。

 

業者ではなく,学術機関(=東大渡邉研)での運用を。将来にむけてのオープンソース化 (だれでもアクセスできる史料) への提案を。

 

皆さんの声をお寄せください。

子ども生活福祉部平和援護・男女参画課です。

〒900-8570 沖縄県那覇市泉崎1-2-2 行政棟3階(南側)

電話番号:098-866-2500

FAX番号:098-866-2589

 

また⇩ こちらの県民意見箱にご意見をお願いします。

ご提言・ご意見/沖縄県

 

もう一度、確認しますが、沖縄県の「沖縄平和学習アーカイブ」は、すでに完成している、現在日本で質と量ともに最高峰の戦史デジタルアーカイブです。

 

 

 

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