K 久米島

久米島の戦争を記録する会『沖縄戦 久米島の戦争』インパクト出版 (2021年)

久米島の戦争を知るための必読書 沖縄戦 久米島の戦争 私は6歳のスパイ容疑者 [ 久米島の戦争を記録する会 ] 証言 1 谷川一家虐殺事件 谷川一家の殺害 見せしめに花岡兵曹長を惨殺 証言 2 仲村渠明勇さんは久米島を救った 証言 4 少年兵はがたがた震えていた…

久米島の戦争 鹿山隊と住民虐殺

久米島の日本軍、鹿山隊 久米島海軍通信隊 (鹿山隊) の虐殺事件 6月15日 - 鹿山文書 6月26日 - 米軍の上陸 6月27日、久米島郵便局員 安里正次郎の殺害 6月29日、区長や警防班長および宮城一家、九人の虐殺 7月5日頃、花岡兵曹長の「処刑」 8月18日、久米島の…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 久米島編

渡辺憲央「久米島に生きて」 十・十空襲 南部への敗走 本島脱出 久米島へ 「いやな予感鹿」- 鹿山部隊の陰湿さ 陸軍だけの寄合 仲村渠さんの説得 屋嘉収容所で鹿山隊長と会う 「谷川ウタは私の娘」 同胞の骨を拾って 沖縄戦中の朝鮮人 あいまいな点 吉浜智改…

久米島住民虐殺 ~ 鹿山正「私は悪くない」 (1972年琉球新報インタビュー記事) を再読する

1972年3月25日「わたしは悪くない・当然の処罰と思う」 「日本軍人として当然のことをやった」 「久米島は離島で一植民地である」 1972年5月28日「ワシは日本軍人としての誇りがある」 「日本の国土防衛の為」というエゴ 「地元に感謝されていた」という修正…

「現地妻が告白する『沖縄の怨』」『サンデー毎日』(1972年6月4日) を再読する

鹿山はどこからやってきたのか 16歳の彼女は「現地妻」ではなく、被害者だ 「現地妻が告白する『沖縄の怨』」『サンデー毎日』(1972年6月4日) どのように少女は軍に「徴発」されたのか 6月26日、久米島上陸と鹿山の暴走 苦しみぬいた戦後 1972年、久米島事件…

鹿山正『私の信念はお国の為であった』( サンデー毎日 1972年4月23日)を再読する

鹿山正『私の信念はお国の為であった』 27年後の「久米島住民集団虐殺事件」 鹿山正の謝罪文「沖縄の皆さんえ」 本土メディアと沖縄メディアへの大きく異なる内容 『モーニングジャンボ』テレビ対決 沖縄と本土で大きく異なる番組の反応 1945年の沖縄戦当時…

「27年間ヤミに葬られていた・沖縄のソンミ事件」(サンデー毎日1972年4月2日) を再読する

鹿山事件 - 1971年スクープ記事の背景 「27年間ヤミに葬られていた・沖縄のソンミ事件」 久米島の日本軍は米軍と戦わずして住民と「戦争」していた 1972年、久米島の自衛隊移駐問題と鹿山隊の戦争犯罪 6月26日、米軍上陸後の住民虐殺 気に入らない部下の処刑…

久米島「鹿山文書」1945年6月15日

「鹿山文書」とは 1945年6月15日「鹿山文書」 「鹿山文書」とは 通訳兵として沖縄戦に参加したハーバート柳村さんは、捕虜への尋問中に日本の軍人に殺された人が多数いたとの証言を聞いたと話した。日系二世の儀間真栄さんも、アメリアへの忠誠を試された1人…