住民虐殺

久米島の日本軍 海軍通信隊の鹿山正隊長と陸軍中野学校の上原敏夫

久米島は那覇市の西方100 km の東シナ海に浮かぶ周囲48 km、人口約一万数千人の島で、 沖縄戦では米軍の作戦計画(アイスバーグ作戦)の攻撃目標からもはずされ、日本軍の守備部隊も配置されない孤立した島であったから、本来は戦争の惨劇とは程遠い平和の島の…

1945年5月12日 今帰仁村の住民虐殺、日本軍は住民の「殺害リスト」を持ち歩いていた

1945年5月12日、警防団長 謝花喜睦 の虐殺 「あの人ぐらい友軍 (日本軍) に協力した人はいない」 殺害リストを持ち歩く「友軍」 食料収奪と敵前敗走の口実が「スパイ」だった 日本軍の残存兵は、沖縄人のなかから「スパイ」を選び出して殺すことを「整理」す…

1945年5月12日 渡野喜屋の住民虐殺 4歳でも「スパイ」

沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 - 15年戦争資料渡野喜屋事件 (とのきやじけん) とは、 1945年5月12日、大宜味村塩屋の渡野喜屋 (白浜) で起きた日本軍による虐殺事件。 日本兵10人が渡野喜屋に現れ、民間人を集め手榴弾を投げ入れた。4…

1945年4月17日、あれだけ軍に貢献したのに・・・、国民学校 照屋忠英 校長の虐殺 ~ 日本軍「今帰仁の整理」の最初の犠牲者

なぜ日本軍は住民を虐殺したのか「今帰仁の整理」 1945年3月28日、運天港の特殊潜航艇基地が破壊される 1945年4月17日、照屋忠英校長の虐殺 2005年に見つかった日本兵軍用手帳「スパイ殺害」記述 1945年4月17日、太田守徳の虐殺 4月17日、照屋校長殺害事件と…

壕を掘らされ壕に幽閉された朝鮮人軍夫 / アメリカ軍の捕虜になった人を殺したのは、日本軍だったんです

沖縄戦には、当時、日本の植民地であった朝鮮半島から、たくさんの「朝鮮人軍夫」も投入された。彼らはいったいどのように異国の沖縄戦に巻き込まれていったのだろう。当時十五歳の少年であり、また国民学校ごと少年兵 (防衛隊) に召集された阿嘉島の垣花さ…