住民虐殺

日本軍にとって「スパイ」とは誰だったのか ~ 沖縄語を喋るだけで日本軍に「スパイ」として処刑される

日本軍にとって「スパイ」とは誰だったのか 1944年11月18日 - 「報道宣伝防諜等に関する県民指導要綱」 1945年3月12日 - 特務機関「国士隊」結成 1945年4月9日 - 沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜 沖縄人というだけでスパイ 沖縄人だというだけで「スパイ」 …

久米島の日本軍 海軍通信隊の鹿山正隊長と陸軍中野学校の「上原敏夫」

久米島の日本軍 6月15日 - 鹿山文書 久米島海軍通信隊 (鹿山隊) の虐殺事件 6月27日、久米島郵便局員 安里正次郎の殺害 6月29日、区長や警防班長および宮城一家、九人の虐殺 8月18日、久米島の恩人、仲村渠明勇一家三人の斬殺 8月20日、谷川昇一家、無実の朝…

1945年5月12日 今帰仁村の住民虐殺、日本軍は住民の「殺害リスト」を持ち歩いていた

1945年5月12日、警防団長 謝花喜睦 の虐殺 「あの人ぐらい友軍 (日本軍) に協力した人はいない」 殺害リストを持ち歩く「友軍」 食料収奪と敵前敗走の口実が「スパイ」だった 日本軍の残存兵は、沖縄人のなかから「スパイ」を選び出して殺すことを「整理」す…

1945年5月12日 渡野喜屋の住民虐殺 4歳でも「スパイ」

沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 - 15年戦争資料渡野喜屋事件 (とのきやじけん) とは、 1945年5月12日、大宜味村塩屋の渡野喜屋 (白浜) で起きた日本軍による虐殺事件。 日本兵10人が渡野喜屋に現れ、民間人を集め手榴弾を投げ入れた。4…

琉球新報「東村有銘で住民2人虐殺 日本兵、米兵を銃殺後」

沖縄タイムス「沖縄戦記 鉄の暴風」1970年 琉球新報「東村有銘で住民2人虐殺 日本兵、米兵を銃殺後」2010年 本部半島から敗走しつつ、次々と住民を虐殺していった宇土部隊は、到着した先の東村有銘でも避難していた罪なき住民を虐殺する。 有銘の住民虐殺に…

1945年4月17日、あれだけ軍に貢献したのに・・・、国民学校 照屋忠英 校長の虐殺 ~ 日本軍「今帰仁の整理」の最初の犠牲者

なぜ日本軍は住民を虐殺したのか「今帰仁の整理」 1945年3月28日、運天港の特殊潜航艇基地が破壊される 1945年4月17日、照屋忠英校長の虐殺 1945年4月17日、太田守徳の虐殺 軍用手帳のメモ内容 なぜ日本軍は住民を虐殺したのか「今帰仁の整理」 1945年4月9日…

阿嘉島からの証言 ~ 垣花武一さん

軍を頂点として重層的に繰り広げられる人種と性の抑圧構造。 国民学校が兵舎に 島民の郷土部隊、防衛隊の結成 連れてこられた朝鮮人軍夫 米軍上陸 朝鮮人軍夫たちの食事 住民の処刑 朝鮮人軍夫が閉じ込められた壕 朝鮮人軍夫 - 処刑場と銃殺 不信感「こいつ…