住民虐殺

久米島の日本軍 海軍通信隊の鹿山正隊長と陸軍中野学校の「上原敏夫」

久米島の日本軍 6月15日、鹿山文書 1925年、久米島海軍通信隊 (鹿山隊) の虐殺事件 6月26日、久米島郵便局員 安里正次郎の殺害 6月29日、区長や警防班長および宮城一家、九人の虐殺 8月18日、久米島の恩人、仲村渠明勇一家三人の斬殺 8月20日、谷川昇一家、…

1945年5月12日 今帰仁村の住民虐殺、日本軍は住民の「殺害リスト」を持ち歩いていた

1945年5月12日、警防団長 謝花喜睦 の虐殺 「あの人ぐらい友軍 (日本軍) に協力した人はいない」 殺害リストを持ち歩く「友軍」 食料収奪と敵前敗走の口実が「スパイ」だった 日本軍の残存兵は、沖縄人のなかから「スパイ」を選び出して殺すことを「整理」す…

1945年5月12日 渡野喜屋の住民虐殺 4歳でも「スパイ」

沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧 - 15年戦争資料渡野喜屋事件 (とのきやじけん) とは、 1945年5月12日、大宜味村塩屋の渡野喜屋 (白浜) で起きた日本軍による虐殺事件。 日本兵10人が渡野喜屋に現れ、民間人を集め手榴弾を投げ入れた。4…

1945年4月17日、あれだけ軍に貢献したのに・・・、国民学校 照屋忠英 校長の虐殺 ~ 日本軍「今帰仁の整理」の最初の犠牲者

なぜ日本軍は住民を虐殺したのか「今帰仁の整理」 1945年3月28日、運天港の特殊潜航艇基地が破壊される 1945年4月17日、照屋忠英校長の虐殺 2005年に見つかった日本兵軍用手帳「スパイ殺害」記述 1945年4月17日、太田守徳の虐殺 4月17日、照屋校長殺害事件と…

壕を掘らされ壕に幽閉された朝鮮人軍夫 / アメリカ軍の捕虜になった人を殺したのは、日本軍だったんです

軍を頂点として重層的に繰り広げられる人種と性の抑圧構造。 国民学校が兵舎に 島民の郷土部隊、防衛隊の結成 連れてこられた朝鮮人軍夫 米軍上陸 朝鮮人軍夫たちの食事 住民の処刑 朝鮮人軍夫が閉じ込められた壕 朝鮮人軍夫 - 処刑場と銃殺 不信感「こいつ…