「忘ららん、戦さ世ぬ哀り、童達に、語てぃ行かな」 - 座間味「集団自決」を語る

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戦後70年の沖縄の夏、名護市辺野古の米軍基地建設現場には不自由な体を押して座り込む「おじい」「おばあ」の姿があったーー。 なぜ、彼らはそこまでして抗議を続けるのか。週プレNEWS

 

心を苦しめる沖縄戦の記憶 PTSD とたたかいながら、沖縄戦のこと、集団自決のことを語り、辺野古の新基地建設に反対して座り込んできた、宮里洋子さん。

 

集団自決があった座間味で、宮里さんのお父さんは当時、教頭先生として赴任していました。宮里さんが四歳の時に経験した「集団自決」は、どのようなものだったのでしょう。

 

youtu.be

 

しかし、この「集団自決」に日本軍が関与したかどうかについて、ネットにあふれる歴史修正主義は、やがて「集団自決裁判」を起こし、そして教科書からは「集団自決」の言葉すら削除させるという、歴史教科書論争にまで発展しました。

  

www.okinawatimes.co.jp

 

なぜ、ある種の人々は、島の「集団自決」の史実に向き合うことを、これほどまでに否定するのでしょうか。

 

coco on Twitter:

集団自決を生き残った宮里洋子さん(沖縄タイムス

戦争の記憶は脳裏から消えない。しかし「私は沖縄戦で死ぬことを拒否した。戦争体験者として辺野古を止めたい。反戦を訴えたい」辺野古の新基地建設抗議にも出向いた。

 

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忘てぃ、忘ららん、戦さ世ぬ哀り

わしてぃ、わしららん、いくさゆぬあわり

 

童達に、語てぃ行かな、語てぃ行かな

わらびんちゃーにかたてぃいかなかたてぃいかな

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沖縄戦から

今年で74年目。

 

ひとり、またひとりと、沖縄戦の生き証人がグソーに旅立っていったとしても、

 

沖縄の大地におちた歴史のバトンを、ひとつづつ、ひとつづつ、私たちが拾いあげ、

 

しっかりと次の世代の子供達へと手渡していくよと、そう、グソーのおじいさんおばあさんたちに伝えたいと思います。

 

沖縄のおばあが語る沖縄戦・最後の証言「母は自決用に日本兵から配られたカミソリで弟と姉の首を切りました」

週プレNEWS

2015年08月29日

辺野古新基地建設現場の海で、海保隊員に「私は『集団自決の生き残りだ、もう二度と戦争はイヤだ」と訴える宮里洋子さん辺野古新基地建設現場の海で、海保隊員に「私は『集団自決の生き残りだ、もう二度と戦争はイヤだ」と訴える宮里洋子さん

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戦後70年の沖縄の夏、名護市辺野古の米軍基地建設現場には不自由な体を押して座り込む「おじい」「おばあ」の姿があったーー。

 

なぜ、彼らはそこまでして抗議を続けるのか。その中にいる多くの戦争体験者が抱く強い思い、エネルギーの源泉となる沖縄戦とはなんだったのか?

 

1945年3月に始まり、米軍が凄まじい戦力で進攻する中、3ヵ月以上続いた無謀な戦いで県民の4人にひとり、12万人以上が亡くなった。そこで起こったことに戦後70年の今、体験者の証言から思いを馳せてほしい。シリーズ第3回。

 

* * *

昨年9月9日、大潮の日。辺野古の海はリーフ(珊瑚礁さんごしょう>の内海。沖縄では「イノー」と呼ばれる)で浅瀬ができるほど潮が引いた。干潮時間に合わせ、一斉に市民が海に入って、埋め立てボーリング調査に抗議した。

 

その時、警備にあたっていた若い海保隊員に「私は『集団自決』の生き残りだ、もう二度と戦争はイヤだ」と語りかけている宮里洋子さんの姿があった。

 

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* * *

洋子さんの両親は、座間味(ざまみ)国民学校の教頭と教師をしていた。お国のために死ぬことが美徳とされた時代。米軍上陸直前から、父は教頭であるにもかかわらず、座間味に駐屯した海上特攻隊第1戦隊・梅沢隊長と共に行動し、壕(ほり)を回って「みんな何をしている、早く自決しないか」と言っていたという。そのため生き延びた住民から戦後、恨まれていたそうだ。

 

座間味島など慶良間(けらま)諸島に配備された海上特攻部隊は、本島に押し寄せる米軍艦船に背後から特攻攻撃を仕掛ける部隊でした。慶良間の島々は日本軍の秘密基地だったんです。座間味の島民は日本軍と一体となり、特殊特攻艇を隠す壕掘りや塹壕(ざんごう)掘りを強制されました。そして、軍の機密を知ってしまった住民は日本軍から監視され、島外に出る自由も奪われました。

 

慶良間諸島の秘密特攻基地の情報を事前につかんでいた米軍は、沖縄本島上陸の数日前から慶良間諸島へ攻撃を開始し、座間味島に上陸したのは1945年3月26日でした。

 

neverforget1945.hatenablog.com

 

四方を海に囲まれた小さな島で逃げ場を失った住民は、自決用に日本兵から配られた手榴弾やカミソリ、鎌、農薬、ネズミ駆除の毒薬などで妻を、子を、弟を、母を、肉親を次々と殺していったのです。いわゆる凄惨な『集団自決』です。

 

そのとき私は4歳だったので記憶にないのですが、母の話では、壕には母と姉と弟で避難しました。同じ壕には座間味国民学校の校長先生夫妻、音楽の先生など数家族が避難していたそうです」

 

「集団自決」の現場を体験したおじいの証言

 

洋子さんと同じ壕に避難し、「集団自決」の現場を体験した宮里哲夫さん(当時10歳)は2007年頃、歴史教科書から「集団自決が日本軍の命令や強制によって起こった」ことが削除されるのを知り、「集団自決」の真実を子供たちに話しておかなければと思い、修学旅行生などに語ってきていた。

 

哲夫さんは昨年亡くなったが、2008年当時の哲夫さんのインタビュー(『沖縄戦「集団自決」を生きる』(森住卓著、高文研)から、そこで何が起こったのか、要約してみたい。

 

 

 

 

 

* * *

1945年3月26日、慶良間諸島を包囲していた米軍は座間味島に上陸を開始した。宮里哲夫さんは母親や姉と一緒に、日本軍が弾薬庫として掘った壕に逃げ込んだ。中は座間味国民学校の先生やその家族、近所の人たちでいっぱいになっていた。

 

哲夫さんとお母さんと姉の3人は入り口付近に座り込んだ。哲夫さんの目の前には国民学校の校長先生夫妻が座っていた。

 

アメリカが上陸したことを知った校長先生は『いよいよですね。天皇陛下万歳をしましょう、身を整えてください』と言って万歳三唱をしました。それから“自決”用に軍が住民に配った手榴弾が壕の奥で爆発しました。耳をつんざく爆発音と、もうもうと立ち込める煙で息が苦しくなりました。奥からうめき声や悲鳴が聞こえてきました」

 

壕の入り口近くにいた哲夫さんと母親と姉は無事だった。

 

「『捕虜になったら日本人の恥、米軍に捕まれば男は八つ裂きにされ戦車にひき殺される、女は辱(はずかし)めを受ける』と日本軍から教え込まれていたので、自決することしか頭にない母は米軍に捕まる前に『私たちを先に殺してください』と校長先生に懇願していました。校長先生夫妻も入り口付近にいたので無事だったのです。

 

校長先生はじっと目をつむり、鞄からカミソリを取り出し、隣に座っていた奥さんを抱き寄せ、カミソリで奥さんの首を切り始めました。奥さんの首のあちこちから血が噴き出しました。奥さんが『まだですよ、まだですよ、お父さん、まだ死んでいませんよ』と言いました。校長先生は目をつむりながら切っていたので急所をうまく切れなかったのです。

 

何度もカミソリを引いているうちに、奥さんの声が聞こえなくなりました。呆然としていた校長先生は自分の首にカミソリをひと振りしました。『シュッ』という血が噴き出る音とともに、向かいに座っていた私の体に血が降りかかってきました。あの時の生暖かい血とそのにおいは今もはっきりと記憶にあります

 

家族で殺し合った集団自決は島のタブーに

 

* * *

その時、洋子さんの母も弟と姉の首をカミソリで切ったが、怖くなった洋子さんは「死にたくない」と叫んで壕を逃げ出したという。母や姉、弟も生き延びたが、首にはその時の傷痕がずっと残っていた。

 

「座間味には傷を隠すために、戦争が終わった後も首に布を巻いている人がたくさんいました。座間味島の『集団自決』では177人が亡くなりました。肉親同士が殺し合う、この凄惨な事件は小さな島内では誰もが知っていたことでした。しかし、ずっと誰もが口に出してはいけないタブーになっていたんです

 

前述のように、当時4歳だった洋子さんには壕の中の記憶はない。しかし、そこでの恐怖感は記憶の深いところに残っているようだ。それは今でもよみがえり、不眠、動悸(どうき)、頭痛、過剰な唾液分泌などさまざまな症状が現れるという。

 

 

 

 

「実は私は辺野古にあまり関心を持っていなかったんですが、気づいたら(辺野古に)通うようになっていました。座間味島での辛い話も、辺野古に行くようになって話せるようになりました。二度とあの戦争を繰り返してはならない。戦争で物事を解決する時代はもう終わりにしてほしい。辺野古の新基地は、米軍がいなくなったら日本が使うんじゃないかしら。だから民意を無視して強引に造ろうとしているんだと思う。

 

安倍さんが国会で通そうとしている集団的自衛権の行使ができ、“戦争法”ができたら、辺野古の基地は日本の海外への出撃基地になる。そうしたら、沖縄はまた戦場になる。辺野古には絶対に基地を造らせません

(取材・文・撮影/森住卓

 

 

www.nikkei.com

 

 

オスプレイ不安クラブでは、今年も米軍の沖縄攻略戦の開始3月23日から沖縄戦の正式な終戦九月7日まで、毎日、沖縄戦の記録を配信していきます。