北中城村瑞慶覧 ~ 奪われた集落 今も帰れず

 

キャンプ瑞慶覧 (キャンプフォスター)

 

宜野湾街道の松並木

戦前に普天間景勝地として知られた宜野湾街道の松並木。1932年に国の天然記念物に指定され、人々に親しまれた。沖縄本島の南部と北部の間に位置し交通の要衝として多くの人々が行き交った。戦後は起点となっていた普天満宮周辺に商店のほか、そば屋や医者、馬車を一時的に預ける「ヤード」と呼ばれる場所などがあった。(写真は朝日新聞社提供)

写真:【普天間松並木】緑広がる交通の要衝 戦火や米軍飛行場建設の伐採で姿消す | 1935沖縄 よみがえる古里 | 沖縄タイムス+プラス

 

1945年4月4日 上陸4日目の米軍が普天間まで進軍する。

http://www.archives.pref.okinawa.jp/USA/337961.jpg

Infantrymen of the 382nd Regiment, 96th Division, move forward over the roads under cover of our tanks.

戦車に守られて進軍する第96師団第382連隊の歩兵(1945年4月4日撮影)

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

沖縄タイムス[語れども語れども・うまんちゅの戦争体験](416) 

奪われた集落 今も帰れず 仲村武雄さん(86) 

北中城村瑞慶覧 捕虜になり命をつなぐ

2023年7月2日

 沖縄市宜野湾市北中城村などにまたがる米軍キャンプ瑞慶覧の中に戦前、家族で過ごした旧瑞慶覧集落があった。旧集落は戦後、米軍に全域を接収され、1960年に一部が開放されて現在の瑞慶覧となったが、約77%が基地のままだ。

 

 住んでいた場所にはフェンスが敷かれ、見るたびに「瑞慶覧集落は基地に消えたんだな」と現実を突き付けられる。私たちはただ、帰りたいだけなんだよ。

 

 旧集落出身の両親の間に次男として生まれた。旧集落には松の木に囲まれた県内有数の広大な馬場があり、絶好の遊び場だった。

 

 8歳の頃、旧日本軍の歩兵旅団が喜舎場国民学校を拠点に各集落へ移駐してきた。瑞慶覧には、50人を超える兵士が各家で寝泊まりしていた。広い部屋は隊員が集団で使い、家族は狭い場所で生活していた。

 

 部隊は毎朝の朝礼で全員が道へ出て点呼を取る。多くの兵士が並び、背筋を伸ばした姿は今でも目に焼き付いている。住民との関係も良好で憧れでもあった。

 

 米軍が沖縄に上陸し、瑞慶覧に近づいてくると日本兵の姿が消えた夜に南部へ撤退したという。残された住民は空襲警報が鳴るたび、近くにあった自然壕「御願山の壕」に身を寄せた。

 

 壕は1、2階のような構造で家族は2階部分に避難した。ある日、銃を持った米兵が入り口をふさいだ。祖父は日本刀を背中に隠していたが、呼びかけに応じて捕虜となった。

 

 現在の国道330号を通り、北谷の収容所に歩いて向かった。途中、高台から集落の別の壕「名幸の壕」で白煙が上がっているのを見た。そこでは米軍の投降に応じず、多くの住民が火炎放射器の犠牲となった。あの壕に避難していたら今の自分はいなかった。

 

 北谷の収容所から宜野湾の野嵩収容所に徒歩で移動させられた。ある日、大勢の米兵が雄たけびを上げながら空に向かって機関銃を撃って喜んでいた。ラジオはなかったが、日本が負けたんだなと悟った。

 

 瑞慶覧に戻ると家は焼かれずに残っていたが、一帯は米軍領地にされており、集落の南に位置する安谷屋に移住した。地域住民の世話になり、一つ屋根の下で数世帯が共同生活していた。

 

 琉球大学卒業後は教員になった。同時に瑞慶覧の一部が開放され、故郷に戻れると喜んだが移転先は旧集落ではなく、不便な別の土地。それでも家族や地域の人々と協力し、瑞慶覧を再興させようと汗を流してきた。

 

 30年前に母が亡くなった。父は私が生まれて間もなく、出征先の中国東北部で戦死したと聞いていた。

 

 母の死後、遺品を整理していると木箱の底から一通の手紙を発見した。北九州の門司から中国へ向かう前に父が母へ送った手紙だ。「私が戦死すると保険が1千円あるはずだから子どもに使ってほしい」「話したいことはたくさんあるが中国に着いて話します」と記されていた。

 

 帰れなかった父の存在を初めて感じた瞬間だったよ。母も父の居場所を用意しようと旧集落で過ごしたかったと思う。もう一度、あの家に住みたかった。

 

編集後記 

 仲村さんとの出会いは北中城村のあやかりの杜図書館だった。村内の防空壕を紹介するパネル展で御願山の壕の写真を見つめ、「ここで過ごしたんだよ」と語りかけてきた。自宅で土地接収の記憶を丁寧にひもときながら「ただ、帰りたいだけ」と繰り返す言葉には家族や地域の思いが込められている。帰りたいのに帰れない。そんな不条理が78年も続いている。(中部報道部・砂川孫優)=日曜日掲載

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