みなと村 (みなとそん) (1947-1950)

 

    1947年5月1日、沖縄民政府告示18号により、みなと村設置。
    1950年8月1日、那覇市に吸収合併され消滅。

 

みなと村役場跡(ミナトソンヤクバアト)
那覇市奥武山町42-3

 沖縄戦 の後、特別に設置された行政区 みなと村の役場跡 。
 1945年(昭和20)の沖縄戦の後、米軍専用となった那覇港 での米軍需物資や民間の食料品等の荷役作業は、当初日本軍捕虜によって行われていたが、捕虜の解放、本土への引揚げにより、沖縄県民約2千人の那覇港湾作業隊(なはこうわんさぎょうたい)が組織された。この作業隊及びその家族を含めて約1万人の生活・労務管理等を円滑に行うため、1947年(昭和22)5月1日、当時の沖縄民政府 によりみなと村が設置された。初代村長には港湾作業隊の指揮を執っていた国場幸太郎(こくばこうたろう)氏が就任。役場庁舎には奥武山(おうのやま)の世持(よもち)神社の建物が使用された。
 村の行政区域は、奥武山を中心に戦前の那覇市山下町、真和志(まわし)村の楚辺(そべ)・松尾(まつお)・壺川(つぼがわ)など約23万坪にも及んだ。また米軍のテントカバーで作られた規格住宅 が1世帯に1棟づつ割り当てられ、奥武山など区域内には規格住宅が立ち並んだ。
 1950年(昭和25)、港湾作業が民間の業者による請負制になったため、村存続の意義がなくなり、同年8月1日那覇市に合併 し、みなと村は解消された。

みなと村役場跡(ミナトソンヤクバアト) - Monumento(モニュメント)

 

 日本軍から請け負い、多くの日本軍基地を建設した国場幸太郎は、みなと村の「村長」となる。

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