そもそも「散華」とはなにか ~ 教科書に「特攻隊が散華」と記述 ~ 「自爆散華」という戦時レトリックが日本にもたらしたもの

 

特攻隊を「散華」と記述する「教科書」が出現

2024年、特攻隊員が「散華した」と記述する歴史教科書が文部科学省に認定された。

文部科学省は22日までに、来春から中学校で使用される教科書の検定で合否を保留していた「令和書籍」の歴史教科書2点を追加合格にしたと発表した。同社の教科書は沖縄戦で「沖縄を守るために、… 2,800以上の特攻隊員が散華しました」と記載したほか、…

特攻隊を「散華」と記述 学徒隊は「動員」ではなく「志願」 ~ 中学教科書検定で文科省 ~ 令和書籍の2点を合格 (沖縄タイムス、2024年4月23日) - 歴史の記録

「散華する」とはいったいどういう意味なのか。

 

「散華」とは

いうまでもなく「散華」(さんげ) とは仏教用語である。

Lotus flower (wikicommons)

 

仏を讃嘆、供養するため花をまく。法要などでは、の花をかたどった「華葩」(けは) と呼ばれる色紙をまく。

「けは」は、蓮の花びらの形をしている。芸術性が高く精巧で美しいものが多い。

法会の種類|文化デジタルライブラリー舞台芸術教材「声明」

 

多くの仏教の宗派で、法要など、仏を迎える際に、その場に花を床に散らして飾りお迎えするというものである。寺院で華葩を塗り、法要で撒いていただくこともできる。また、華籠皿 (けこざら) に入れられ散華された華葩は、人々が持ち帰り、経典などのしおりとして使うこともできる。

散華 華葩 さんげ けは :京都の仏具屋さん 香華堂

 

奉請釈迦如来 入道場散華楽: 請じ奉る釈迦如来、道場に入りたまえ、散華楽。※「散」の字のところで華葩を散らす。

 四奉請  | 浄土宗【公式サイト】

 

兵丈無用 (ひょうがむよう:

「武力も武器も必要がない」 (『仏説無量寿経』) と仏が説き、

殺さない、殺されない、殺させない、

「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」(法句経) という不殺生(アヒンサー)の哲学を共通として持つ仏教の一方で、

 

それでは、なぜ、いつ、日本において、そのまったく対極に存在する肉弾戦や自爆攻撃手法を含む特別攻撃隊 (特攻) での死を、「散華する」と表現するようになったのだか。

 

精進し、殺生せず、仏に肉を供えることがない仏教の伝統がありながら、日本は、なぜ特攻で人間の肉を散らすことを「散華」と表現するようになったのか。

 

戦時レトリックとしての「散華」

戦争中の日本では、戦争正当化のレトリックが大量に量産された。

戦争レトリックは、国民に軍事行動の正当性を納得させ、国民の戦意を高揚させ、戦争を開始・継続させるための言葉の技巧である。血みどろの「撤退・退却」を、「転進」と記す際の受容の差異を想像すれば、わかりやすいだろう。

 

しかし、より内面的効果を誘発させる点で、宗教的なレトリックの転用・盗用ほど効率的なものはなかった。

 

戦争時、日本政府は、神道的な「玉砕」*1 や、仏教用語である「散華」*2あるいは「生死を超越」した「悠久の大義*3 といった宗教的レトリックで国家のための死を理想化 (romantisize) し、国民を誘導し、戦争を賛美した。

 

「玉砕」と表現された「全滅」

大本営が「全滅・殲滅」ではなく「玉砕」という語を公に使用したのは1943年5月29日アッツ島の殲滅からといわれている。バックアップ部隊もなく全滅したアッツ島敗北を隠蔽するため、大本営「玉砕」という表現を使用。こうした集団死の宗教的隠喩化は、人民の「死」自体が戦いの目的になるような倒錯状態を生んでいくことになる。

1943年5月29日、大本営は初めてアリューシャン列島アッツ島の日本軍守備隊の全滅を玉砕として報じる。玉のように美しく砕け散る、という表現で揃って死ぬことを理想化し、やがて「一億玉砕」という言葉で、国民に対しても集団的な死の覚悟を求めるようになった。

《参考 NHKスペシャル | 玉砕 隠された真実

 

「散華」と表現された「自爆」~「自爆散華」

真珠湾攻撃以前の1941年の「日本ニュース」をみてみよう。「散華」とは、前述したように、仏教で仏を迎えるため精進し仏前に花をまくことであるが、戦時レトリックは「散華」を人間の肉弾戦で肉を散らす死を表すために使用し、その死で「護国の神」になるという「聖戦」を主張する。いつの間にか仏教用語護国の神道に取り込まれているのである。

「7月30日、爆弾を抱いて北部仏印支那との国境に自爆散華(さんげ)し、護国の神となった松村大尉、上原曹長の英霊を弔うべく、僚友、スズキ中尉とタニ中尉は心づくしの花束を積んで両勇士自爆の地に向かいました。ここに在りし日の戦友の武勲をしのび、その冥福を祈るとともに、仇敵(きゅうてき)撃滅、聖戦完遂の誓いをいよいよ固くしました。」< 検閲合格日 1941年8月26日 >

日本ニュース 第64号|戦争|NHKアーカイブス

※ 上記は、1941年7月28日の日本軍の南部仏印進駐に伴い、自爆攻撃を賞賛する「日本ニュース」*4 で、8月26日に軍の検閲を経て作成されている。

 

ここで注目したいのは、まだこの時点では、特攻の自爆攻撃による死を「自爆散華」と語っている点である。つまり特攻による死を単に「散華した」と表現して流通する素地は、この時点ではまださほど造成されていなかったと思われる。「自爆散華」という使用を繰り返し「学習」させることで、本来は仏教の法会で行われる「散華」が、特攻の「自爆」の意味で盗用され、レトリックとして定着したのだろう。

 

米兵のみた「特攻の死」の現場

特攻を、美しいレトリックで飾り立て、いざ護国の神だ軍神だと若者を送り出した無慈悲で無責任な日本という国は、ほんとうに特攻という自爆攻撃の現実に目を向けているのだろうか。美しい言葉や、勇ましい旗やタスキで送り出す、その景色だけで、特攻を知った気になってはいないだろうか。

 

美しい言葉に送られて旅だった特攻隊員の最期を、むしろ実際に見届けたのは「敵」とよばれた者たちのほうであった。

義烈空挺隊 

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Dead Japs amid wreckage of transport plane which crashed in attempted airborne invasion of Yontan Airfield.読谷飛行場へ空からの攻撃を試みて墜落した輸送機残骸の中の日本兵の死体

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

This Japanese transport converted-bomber made a night crash landing on Yontan airfield, Okinawa, to unload a dozen suicidal airborne troops. 【訳】この日本の輸送用改造爆撃機は、自殺志願の空挺部隊十数人を降ろすため、夜間に沖縄の読谷飛行場に不時着した。

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

日本軍は、兵士に日記をつけさせないなど、基本的な軍事機密管理もできていなかったため、米軍の情報将校は、著しく損傷し、あるいは潰れた多くの日本兵の遺体から回収した日記などを翻訳、解析することで多くの機密情報を得ていた。

 

ある米軍の情報将校は、粗雑なパラシュートのまま送り出され、次々と無残に地面にたたきつけられ潰れた日本軍の落下傘部隊の遺体から手帳を回収してまわらなければならなかったことがトラウマになった。

 

また八重山群島に展開していたイギリス太平洋艦隊のイラストリアス級空母は重装甲で、ジーク (ゼロ戦) が来ても「ほうきをもって掃くだけ」と言われたほどだったが、突入する特攻隊員のからだは潰れてバラバラに四散し焼けただれた。こうした兵士からも軍人手帳や日記が回収され、情報将校のチームに持ち込まれた。米海軍の情報将校だったオーティス・ケーリは、彼の手記にこのように記している。

 

沖縄周辺で死んだ特攻隊員に送った女学生の手紙を翻訳していたディーン中尉が、近くにいた二、三人を呼んで、「見て下さい。ぼくはとても苦しくて、こんな手紙は訳せません」と体をふるわせていった。写真を添えた手紙には乙女の純情を一心に捧げて、愛国の熱情が綴ってあった。「特攻隊が、実際どんな惨めな死に方をしているかぼくは知っているだけに辛い。こんなに可愛い娘さんたちが、"大空に散華" などという言葉に騙されて、間違った方向に引きずられてゆくのを見るのは堪らない」

    《オーティス・ケーリ『真珠湾収容所の捕虜たち:情報将校の見た日本軍と敗戦日本』150頁》

 

同じく米海軍の軍医で情報将校であったスタンレー・ベネットは、検証することなく言葉に流され、ブレーキを喪失する日本の言論の弱さを指摘している。

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沖縄戦を記録した軍医ヘンリー・スタンレー・ベネット「沖縄の民間人における侵略と占領の影響」(1946) - Battle of Okinawa

 

日本で今も見て見ぬふりをされる特攻の現実

戦争も、特攻を送り出す戦時レトリックはそのまま無傷で生き残り、ジャーナリズムですらが無検証で自爆死の婉曲表現として「散華」という言葉を使用した。

 

その言葉が持つ宗教的なイメージによって、「無能な戦争指導者の尻拭い」のために若者たちを地上にたたきつけてきた特攻作戦は、なにか日本の美しい遺産のように賞賛され、今に至る。

 

しかし、日本のウィキペディアですら、特攻の自爆死を「散華」と表現するのは客観性に欠けた語として使用していないものを、学校の教科書としてひねり出し、文部科学省がそれを合格認定する。いったい、どんな時代なのか。

 

令和書籍は作家の竹田恒泰氏が代表を務め、2018年度の検定から中学の歴史教科書を申請。これまで3回不合格となっていた。

特攻隊を「散華」と記述 学徒隊は「動員」ではなく「志願」 ~ 中学教科書検定で文科省 ~ 令和書籍の2点を合格 (沖縄タイムス、2024年4月23日) - 歴史の記録

 

竹田恒泰とは

 

また追従ネトウヨは、「散華」の意味も知らぬまま、「サンゲ」「サンゲ」と叫び出す。歴史を知らなければ、何が間違っているのかにも気づけないのだ。

https://twitter.com/fm21wannuumui/status/1782750862932402451

 

このような質の悪い「教科書」を押しつけられれは、私たちの歴史は偽物となり、戦前の戦陣訓と教育勅語時代に限りなく近づく。

 

ただただ仏のためだけにおこなわれる「散華」は、特攻を宗教化するために使われ、戦争の道具にされた。日本の仏教界は、この言葉を無知と蒙昧の淵から取り戻し、戦争加担させられた過去と決別するため、全力で声を上げ、この教科書に抗議することが必要だろう。

 

またジャーナリストは、「散華」という意味を検証し、言語学者や、浄土真宗や浄土宗、日蓮宗、さまざま仏教者に取材し、戦時レトリックを再検証していくことも大切だろう。

 

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*1:「玉砕」... 玉とは「たましい」を表す「魂」 (タマ) と同源とされ、「玉が美しく砕けるように」(広辞苑) いさぎよく死ぬこと

*2:「散華」… 仏教用語。「仏に供養するために花を散布すること、法会で、読経しながら列を作って歩き、はすの花びらにかたどった紙をまき散らすこと」 (広辞苑) 。

*3:「悠久の大義」… 戰陣訓第七「第七。死生観。死生を貫くものは崇高なる献身奉公の精神なり。生死を超越し一意任務の完遂に邁進すべし。身心一切の力を尽くし、従容として悠久の大義に生くることを悦びとすべし。」

*4:「日本ニュース」… は、「太平洋戦争を間近に控えた1940(昭和15)年から終戦をはさみ、1951(昭和26)年まで製作されたニュース映画で、戦時中は、日本軍や内務省の検閲を受けた後、毎週映画館で封切られ、国民の戦意高揚に用いられました。」(NHK)