Battle of Okinawa

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1945年7月4日 伊地の宜名真・辺戸住民斬殺事件と井澤曹長

 

 

 

 

 

 

日本兵、国頭で住民虐殺 スパイ嫌疑で9人 事件詳細、村史に初記録
伊地での「宜名真・辺戸住民斬殺事件」は1945年7月に発生、同村の宜名真と辺戸の住民4人が犠牲になったと記している。住民の男女十数人は羽地(現名護市)の田井等収容所から解放され、県道を歩いて地元へ帰る途中、伊地の開墾地跡で、追い掛けてきた日本軍の「紫雲隊の伊沢」ら敗残兵グループに襲われた。女性らは逃げたが、男性4人が斬殺された。「伊沢」は「収容所に入った者はスパイだ」と話したという。

 

 桃原での「疎開民惨殺事件」は村内在住の84歳男性の証言を基にまとめた。時期は不明で、那覇市泉崎から避難していた「高嶺さん一家」が公会堂近くの宿で日本兵の夜襲を受けた。手りゅう弾のような爆発物が投げ込まれ「奥さんが死亡、高嶺さんと子どもが軽傷を負った」

 また「半地ザークビーでの疎開民斬殺事件」では、読谷山(読谷村)の喜名から来た2~3家族が早い時期に下山し、半地に住んでいた。それを知った日本兵がスパイ嫌疑で4~5人を手首を縛り、処刑した。

 沖縄戦を研究してきた沖縄国際大学安仁屋政昭名誉教授は、国頭村での住民虐殺について「これまで聞いたことがない」と述べ「(住民らが)伏せて語らなかったことを記録できたのは大事な点だ」と意義を指摘した。さらに「ウチナーンチュの言い方では『日本兵』とはヤマト(県外出身の)兵隊という意味で言ったりするが、沖縄出身の日本兵もいる。また、沖縄戦での住民被害は中南部だけでなく、北部もたくさんある」と指摘し、多面的に戦争の証言を掘り起こし、継承する大切さを強調した。(古堅一樹)