宜名真・辺戸住民斬殺事件

 

 

日本兵、国頭で住民虐殺 スパイ嫌疑で9人 事件詳細、村史に初記録
2016年11月15日 06:30

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 【国頭】沖縄戦中や戦後に国頭村の伊地、桃原、半地の各地区で、日本兵が同村の地元住民や中南部からの避難民らをスパイ嫌疑などを理由に殺害する事件が相次いでいたことが14日までに明らかになった。3地区で少なくとも計9人が日本兵に殺害された。国頭村制100周年記念で村が10月末に発刊した村史「くんじゃん―国頭村近現代のあゆみ」に戦争体験者の証言や文献を基に、当時の様子が掲載された。日本兵による同村内での住民虐殺は地元住民には知られていたが、表だって口外してこなかったため、具体的な場所や状況が記録されるのは初めて。証言できる住民が年々減る中、貴重な記録となる。

 村史編さん室によると、沖縄戦日本兵による住民虐殺は従来の村史や県史などで抽象的な記述があったが、今回のような具体的な内容の記録はなかった。

 伊地での「宜名真・辺戸住民斬殺事件」は1945年7月に発生、同村の宜名真と辺戸の住民4人が犠牲になったと記している。住民の男女十数人は羽地(現名護市)の田井等収容所から解放され、県道を歩いて地元へ帰る途中、伊地の開墾地跡で、追い掛けてきた日本軍の「紫雲隊の伊沢」ら敗残兵グループに襲われた。女性らは逃げたが、男性4人が斬殺された。「伊沢」は「収容所に入った者はスパイだ」と話したという。

 桃原での「疎開民惨殺事件」は村内在住の84歳男性の証言を基にまとめた。時期は不明で、那覇市泉崎から避難していた「高嶺さん一家」が公会堂近くの宿で日本兵の夜襲を受けた。手りゅう弾のような爆発物が投げ込まれ「奥さんが死亡、高嶺さんと子どもが軽傷を負った」

 また「半地ザークビーでの疎開民斬殺事件」では、読谷山(読谷村)の喜名から来た2~3家族が早い時期に下山し、半地に住んでいた。それを知った日本兵がスパイ嫌疑で4~5人を手首を縛り、処刑した。

 沖縄戦を研究してきた沖縄国際大学安仁屋政昭名誉教授は、国頭村での住民虐殺について「これまで聞いたことがない」と述べ「(住民らが)伏せて語らなかったことを記録できたのは大事な点だ」と意義を指摘した。さらに「ウチナーンチュの言い方では『日本兵』とはヤマト(県外出身の)兵隊という意味で言ったりするが、沖縄出身の日本兵もいる。また、沖縄戦での住民被害は中南部だけでなく、北部もたくさんある」と指摘し、多面的に戦争の証言を掘り起こし、継承する大切さを強調した。(古堅一樹)