慶良間諸島

慶良間諸島

那覇空港から西におよそ30km、地元のダイバーもその美しさを随一と誇る慶良間諸島がある。なぜこのようなことがおこったのか。

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戦場の住民たち:沖縄戦75年/上 姉奪った集団自決 日本軍「米兵の恐怖」植え付け - 毎日新聞

 

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米軍慶良間上陸あす26日で70年 座間味で慰霊祭 | 沖縄タイムス ※ 沖縄タイムス作成のマップに、便宜上、当サイトで慶良間諸島の三部隊を書き入れています。

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HyperWar: USMC Monograph--OKINAWA : VICTORY IN THE PACIFIC

 

さて、山にこもることになった「海上挺進戦隊」は、生存のための食糧戦争を戦うことになる。

 

1945年3月26日

米軍の進軍をブルーで書き入れています。

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海上挺進第1戦隊 (梅沢祐) - 座間味島

3月26日午前9時ころ、米77師団の一コ隊が、座間味に上陸してきた。第1戦隊長梅沢祐少佐、28歳。拳銃、軍刀、手榴弾しか持たない特攻隊員約100名。陸上戦闘訓練など、ほとんどしたことのない特殊勤務部隊約300名と、機関銃9、小銃250、擲弾筒2。それに武器を持たぬ朝鮮人軍夫300名が、かれのもつ全戦力である。上陸を迎え撃つ常道の水際撃滅戦など、成り立たない。まず特攻艇の破壊と、陣地のある、島で一番高い所山(143メートル)への集結を下令した。あとは斬り込みしかない。夕方までに結集したのは、1、2中隊。第3中隊は、途中で米軍とぶつかり、格闘戦になって多数の死者を出し、前に進めず、舟艇壕に逆戻りしていた。

《「沖縄 Z旗のあがらぬ最後の決戦」(吉田俊雄/オリオン出版社) 120、121頁より》

 

海上挺進第2戦隊 (野田義彦) - 阿嘉島慶留間島

海上挺進第2戦隊の兵力、装備、編成は、座間味とほぼ同じ(阿嘉に2、3中隊、慶留間に1中隊を配置)。戦隊長野田義彦少佐26歳。阿嘉島では、すでに男子青壮年は防衛隊にとられ、13歳からの男子(中学生)80名は義勇隊として、海上挺進隊各中隊に3、4名ずつ配属させられていた。

《「沖縄 Z旗のあがらぬ最後の決戦」(吉田俊雄/オリオン出版社) 122頁より》

 

海上挺進第3戦隊 (赤松嘉次) - 渡嘉敷島

海上挺進第3隊は、104名に対して機関短銃5(弾薬6000発)、各人拳銃(1銃につき弾薬4発)、軍刀、手榴弾(数の記載なし)、勤務隊(161名)には重機関銃2(弾薬1200発)、軽機関銃6、擲弾筒7、小銃152、黄色薬550キロ、整備中隊(55名)には小銃45、特設水上勤務中隊(14名の将兵朝鮮人軍夫210名)には「少数の小銃」となっている(防衛庁「沖縄方面陸軍作戦」244頁)。(39頁)

《「沖縄戦 強制された「集団自決」」(林 博史/吉川弘文館) 39頁より》

 

2005年8月5日 集団自決をめぐる裁判

座間味島守備隊長の梅澤裕と渡嘉敷島守備隊長の故・赤松嘉次遺族が、大江健三郎の『沖縄ノート』の内容をめぐり、著者の大江と発行元である岩波書店を大阪地裁に訴える。それを契機として、2007年3月30日、文部科学省が、高校用歴史教科書の記述から「沖縄戦における住民集団自決」の「軍の強制」部分を削除方針を打ち出した。 

大江健三郎・岩波書店沖縄戦「集団自決」訴訟〜大江健三郎・岩波書店沖縄戦「集団自決」訴訟第1審判決を前に