15歳で召集された少年兵 ~ 「第二護郷隊」仲泊栄吉さん証言

 

第二護郷隊 仲泊栄吉さん証言

「戦場で知った死の恐怖」|戦争|NHKアーカイブス

 

当時15歳だった少年たちに役場からの呼び出しがかかる。

15歳の少年に役所からの呼び出し

役所から、呼び出しが来て、呼び出しが来て、川田(国頭郡東村)まで行ってね、川田から行って、それからすぐ、恩納安富祖まで歩いて行ったわけですよ。

(召集令状は)

ううん、そんなものはない。令状とかは。もう、ただ、仲泊君、栄吉、どこに来なさいという、役所にね、役所に行ってきなさいといって、それしかなかったですよ。召集令状というのは、それはない。もとはもう、命令だから。

 

護郷隊という縛り

1日目の訓示ではもう… 部隊長が、…「沖縄は、あんた方の郷土だから、あんた方、守って、あんた方があれ(戦闘)するんだよ」って。やっぱ、あんた方は、いわば、犠牲になってもいいんだから、というあれ(感じ) はしていましたね。訓示にも。だから、部隊長はね、「おうちに帰りたい人はね、帰ってもいいよ」そう言ったですよ。帰っていいよ、というのはね、「あんた方は逃げてもいいからね、帰ってもいいから、帰ってもいいから、あんた方は、明日はね、ハガキ一本で、ハガキ一本であれするから」。それは言ったよ。…… 一本であれすれば、それ、それあったら、あれした。いわば、自分で考えて、帰ってくるんだから、軍のあれでは、もう死刑だなと。ねえ、思うわけよ、自分でも。

 

三角山の襲撃

いちばん大変だったと思うのがね、三角山(恩納岳の南東に位置・第3中隊が布陣していた)ですね。伊芸(金武町)部落の。…

僕らの中隊長、小隊長、分隊長、「突撃」と言って、向こうの陣地に入って行ったみたい。だから、向こうで、みんな3名とも戦死。僕らはすぐ、そばだったもんだからね、「突撃」って、こうしてかがんでるから、

(突撃はしなかった?)

もう、できないんだよね。機銃もボンボン来るから、前に進めないんだから。怖かったですよ、私。もう、もう、死ぬと思ったな、機銃がもう、大変や、もう。

 

護郷隊の野戦病院撤退

Q:何人ぐらい全部でいたか、覚えています?

それは分からん。いっぱいいたろうに。みんな。あっちこっち。… 病院に行ったから、(仲泊さんと同じ村出身の)高江洲義英、あの人をやる(殺す)のを、見たわけよ。軍医が。土手に、(座らせて)、毛布かぶして、拳銃でやったから、

歩けん人はもう、あんた無理だから、また、みんなに迷惑もあるし、そのあれじゃないかなあ。戦前生まれたら捕虜とられれば、自分で死になさいって言って、自殺。その教育だから。(軍医は)人をあれ (殺す) するのは、当たり前と思って、なかったんじゃないですか。

 

今でも夢に

やっぱり、負けてるもんだから、いつも、追われていくんだが、隠れるんだが、隠れるんだが、また、あれが、見える、隠れてるのが見えると、そんなものが、ちょっと、また、逃げたりする。それがちょっと、あれですね。

Q:今でもそんな夢見るんですか?

うん、たまには見るね。それは、もう……「あい、夢だったなあ」ってことで。……やっぱ、その記録が、ちょっと、あるかもしれないですね。いつも、追われる夢が見るから。

Q:今でも護郷隊で行った戦争のことを思い出すことはありますか、ときどき。

自分の? 夢でなくて? それはあるさ。いつも、いつも、いつも覚えてる、感じてる。うん。いつも、那覇に行くときも、金武から、伊芸部落からですよ、あっち通ったら、もうすぐ、ああ、どこにいた、こっちにいた、すぐもう思い出すね。