沖縄タイムス「秘密戦 ~ 中野学校出身 住民を監視・虐殺や防諜活動に関与」

 

沖縄タイムス・戦後15年・沖縄戦研究の視点

中野学校出身 住民を監視・虐殺や防諜活動に関与

 

秘密戦

秘密戦とは、諜報・防諜 ・謀略・宣伝等を主な任務と し敵国の中に潜伏、内部から かく乱・崩壊させるとともに、戦場では遊撃戦、いわゆ ゲリラ戦をもって敵陣地に忍び込み、かく乱・攻撃することである。沖縄戦では、そ の特殊任務訓練を終えた陸軍中野学校出身者らが中心とな り遊撃戦を展開する一方で、 住民が住民を監視するという防諜活動が行われていた。 今 回はこの二つの秘密戦を報告したい。


少年召集訓練
ヤンバル(沖縄島北部)では、15歳から18歳の少年たち約千人が召集され遊撃隊・秘匿名「護郷隊」を編成し実戦していたことは近年知られる ようになった。その主力とな ったのが村上治夫をはじめと する陸軍中野学校出身者らである。村上は「(1944年) 9月9日、陸軍中野学校卒業と同時に沖縄行きを命じられたと述べている。沖縄に到 着した村上は (9月13日)、その足で第三十二軍牛島満中将、長勇参謀長らに「第三十二軍壊滅後に遊撃戦を行なう旨の着任のあいさつを行っており、牛島満も長男もすでに承知していたという。大本営は沖縄を、第三十二軍壊 滅後も続ける終わりのない戦 場と位置付けていたのである。 12月7日、陸軍中野学校 二俣分校出身者6人が沖縄入 したことで28人全員がそろった。


1944年10月25日(23日説あり)の第一次召集から数次にわたって召集された少年たちは遊撃戦訓練、陣地構築3年分の食糧備蓄等を行っており、暴力を取り入れ た軍隊式教育は、少年たちの人間性を喪失させ「自ら死んでも、相手を殺しても 何とも思わない」 兵士へと仕立て上げた。少年らは傍らで死んでいく友の姿を見ても何とも思わなくなったと証言する。護郷隊員160人が犠牲となった。

 

1945年1月、第三十二軍は長勇の「無防備な離島に諜報員を」という発案で2人の中から4人を第三十二軍参部情報班へ、11人を伊平屋 ・伊是名島粟国島久米島多良間島西表島、黒島、波照間島与那国島へ1~2人 ずつ教員・訓導として潜伏さ せた。彼らが離島へ潜伏するということは、遊撃隊の戦力低下を招く一方で、潜伏した 島々に住民被害が飛び火した格好となる。伊是名島での米兵捕虜・住民殺害、久米島で 鹿山正兵曹長による20人の 住民虐殺(兵士1人)事件へ の関与は、島々に残る忌まわしい記憶となっている。 なかでも波照間島に潜伏した酒井喜代輔 (偽名・山下虎雄) は、 マラリアが蔓延する西表島南風見田に住民を強制疎開させたことで、波照間島住民の約30%を死に追いやった。

 

村上治夫は沖縄着任時に 「(遊撃戦は) こんな小さな島で通用しません。無理です」と、牛島満・長勇に述べている。小さな沖縄島では潜伏場所が限られるなど、困難というのが理由だった。さらに小与那国島に潜伏した宮島 敏朗 (偽名・柿沼秀男) も「小 さな島では無理」と述べており、長勇発案の離島での遊撃隊は最初から無謀な戦略だっ たのである。

 

本土決戦へ潜伏

一方、大本営は本土決戦に 向けて戦況を掌握するため、 1944年6月に大本営陸軍 部特殊勤務部隊 (陸軍中野学校出身者で構成) を創設。 うち1人をヤンバル(剣隊)、 宮古島石垣島西表島へ、 1944年1月から翌年1月 にかけ随時潜伏させていた。 当時、ヤンバルの一ツ岳に剣 隊(隊長北一郎)の補助兵と して潜伏していた宮城康成 (当時17歳)は「暗号書といって柳行李に梱包されてぎっしり詰まったものを持って」「(大本営に) モールス信号で1日4回連絡」をとっていた、と述べている。 宮古島に潜伏していた野村精一(中野学校出身)は「実際に(無線)が機能しているかわからなかった」と述べ、戦後、大 本営で無線を受領した同期に確認すると「『無線は届いた が、何が書いているのさっぱ わからなかった』と言われた」と述べている。 大本営のお粗末さが際立つ。沖縄戦陸軍中野学校出身者総数4人中7人が戦死した。終戦後も 山中に潜伏していた村上治夫 は1946年1月6日頃、米軍の住民を介した説得により投降した。

 

有力者で国士隊

もう一つの秘密戦をみてみ る。ヤンバルでは村の有力者28人で、国頭支隊秘密戦機関「国士隊」が結成されて いた。国士隊の任務は反軍・ 反官的、反戦厭戦の意識を持つ人、戦争に対する決意が低い人、不平不満の言動をなす者等を探し出し日本軍へ報告するなど、いわゆる防諜活動が主だった。 国士隊は、米軍上陸前の1945年3月1日~7日にかけ旧羽地村和国民学校で護隊中隊長 竹中素 (中野学校出身者) らが教官となり、実技訓練では戦闘射撃や築城、講義では精神訓話や秘密連絡等々を受けている。訓練終了翌日(8日)、「特務機関設置準備幹部会」が名護町内の幸地新松宅で開かれ、3月12日、 伊豆国民学校において国頭支隊長宇土武彦列席のもと 「国士隊」が結成されたのである。

 

国士隊がどこまで日本軍と密に関わっていたのかは不透明だが、ヤンバルでは白石部隊が、住民が関与したと考えられるスパイ容疑者リストの手帳を持ち、住民虐殺を行っていた。八重岳に近い伊豆味山中で虐殺された本部国民学 校長照屋忠英はその一人である。

 

軍事極秘文書で、国頭国士隊の保管文書だった「秘密戦ニ関スル書類」。国士隊名簿や報告書等も記されている。(国立公文書館所蔵)

 

川満かわみつあきら 1960年コザ市生 まれ。沖縄大学大学院沖縄・東アジア地域 研究専攻修了。 名護市教育委員会文化課市 史編さん係会計年度任用職員。著書に「陸 軍中野学校沖縄戦」(吉川弘文館)。