台湾・虎尾飛行場と龍虎隊
虎尾飛行場
台湾南部の虎尾飛行場 (こび) は赤丸で記す。
1945年の米海軍資料から、台湾における日本軍の飛行場
主に赤トンボ (九三式中間練習機) など陸上練習機が置かれ、練習航空隊として予科練卒の初歩訓練が行われた。しかし、・・・
赤トンボ (九三式中間練習機)
機体が木製で布張りされた練習機。
「赤とんぼ」は、旧日本海軍の「九三式中間練習機」。翼が二つある複葉式のプロペラ機で、橙色の機体からそう呼ばれた。エンジン以外は木と布。「中間」とは中級コースを意味した。機関銃や無線機はなく、時速150キロで飛行した。
複葉で布張りの九三式中間練習機(通称・赤とんぼ)に250キロの爆弾を積んで、夜間に洋上を飛ばなくてはならない。離陸だけでも至難の業だった。「どうすれば編隊を率いて敵機からのがれ、成功できるのか」。眠れない夜が続いた。
龍虎隊の出撃
1944年11月、沖縄海軍航空隊で偵察や対潜哨戒任務を行っていた搭乗員が石垣島に派遣されて「石垣島派遣隊」として編成された。1945年4月には、連合軍が沖縄に進攻してきて沖縄戦が開始され、翌1945年5月、「石垣島派遣隊」は台湾の新竹基地に移動し第132海軍航空隊に編入されることとなったが、その際に全搭乗員が志願の有無にかかわらず特攻隊員に任じられた。それも、今まで操縦してきた、水上偵察機や艦上爆撃機ではない、複葉練習機の本機での特攻出撃と聞かされて、搭乗員たちは驚きを隠せなかったという。特攻隊員は虎尾基地に移動して猛訓練を行った。
1945年
5月20日 --- 第1龍虎隊 8機 墜落
6月 9日 --- 第2龍虎隊 8機 墜落
7月29日 --- 第3龍虎隊 8機 (内1機はパンクで離陸できず)
第1と第2の経験をへて、第3龍虎隊では、宮古島飛行場 (平良飛行場) を経由し慶良間沖に出撃した。赤トンボ初の戦果として、駆逐艦キャラハンを沈没させ、1隻が大破、2隻が損傷し、4隻で75名の戦死者と129名の負傷者をだした。
原田文了さん証言
第132海軍航空隊の教員を務めた原田文了さん証言
台湾の虎尾飛行場
Q:台湾行かれたのはいつぐらいのことですか?
19年の末。もう年が迫ってね。押し迫って。
Q:行かれた最初のころはどういうことをされていたんですか?
やっぱり、百里原(茨城)におるときにね、私の分隊長がね、青木と言って大尉だった。その人が中佐になってね、「虎尾(台湾)に行け」と。…
Q:行かれたときは虎尾の隊はどういう状態だったですか?
これはもう、まあ普通の練習の93中練(九三式中間練習機)が100機ぐらいあったわね。それと各所からレンショで百里原から来たり、台北から来たりして。それからジャカルタから来たりしてね。集まった兵隊が180人おった。おったね。まあそのときはまだ特攻を始めるとは言っていなかったですよ。
練習機の特攻部隊
Q:そのときの気持ちは覚えていらっしゃいますか?
別に何だね。特攻隊と言ったってなあ。そのときにピンと来たのは、あ、日本もいよいよ飛行機がないと。飛行機がないので練習機まで特攻機にしたと。… それは来たね、ピンと。練習機を特攻機に使って勝てるはずがないんだもの。そんなこと言ったら大変なことになるけどね。そんなこと言えないけどね。… 足らん飛行機がいい飛行機かと思ったら練習機。… 内心はね、はああって思った。
… 普通、赤とんぼ(練習機のこと)ね、卒業するでしょ。それで来た人を特攻にする。特攻の練習するわけだね。
Q:その飛行機で特攻をするわけですか?
同じ飛行機。中練。中間練習機。そのころ飛行機がないんですよ、一つも。実戦機が。もう全然ね。ないんです。他でみんな・・・。
Q:そんな練習機、赤とんぼで特攻なんかはできるもんですか?
いや、それですわ。大西中将って言ってね、第一航艦の司令長官。この人が特攻を作ったでしょ。作って、飛行機が足りないものだから、練習機でもって特攻に使ったわけ。陸軍だったら白菊っていうね。あれも練習機ですわ。だから海軍だったら93中練(九三式中間練習機)、中間練習機ですわ。これを特攻に使った。私は思った。あれはもうね、特攻に使っても速力が遅いし、ね。機銃も全然積んでいないし。防御も全然ない。あれはもうただ行くだけですわ。行く途中で全部落とされてね。しまいに訓練するのがしんどかったです。こう言ったらいかんけどね。したってあかん。向こうまで到達するまでに全部落とされる。
練習機なんぼあってもあかんのです。1000機あっても1万機あってもあかんもの、全部落とされる。結局向こうの士気を高めるだけですわ。アメリカのね。何機やった何機やったって。1機入るんだけどね。だから何ともならんですわ。特攻と言ってもね。それは特攻訓練はしました。これはもう砂袋積んでみたりね。それから月に向かって突っ込んでみたり、太陽を背にしてね、突っ込んだり。そんなのあかんですわ。・・・太陽を背にしていうの、そんなの全然。・・・なんぼでも行けるものね。結局ほら、計器飛行ね。あらゆる訓練をしました。ひととおりのね。
Q:どうして昼間は飛べないんですか?
敵の飛行機おるから。敵さんがおるけんね。それと向こうは電波探信儀(レーダー)で。電探ね。これでもって何を発進したって、進むよね。何機で来るって。全部分かっているんだからね。機械で。日本の。日本の中練だって言って、日本の戦闘機隊が何機来よるって、それも全部分かるからね。1から10まで。もう出発するときが分かっているんだもの。
Q:そうやって赤とんぼで特攻していく若者たちの先生をなさっていた。
そうそう。
Q:どういうお気持ちですか?
これはもう、死にに行くだけですわ。かわいそうに。中学校4年卒業した16~17はね。この・・・、少年航空兵。これもそう。16~17(歳)やね。かわいそうですよ。…
Q:実際の出撃のときは、原田さんはどういう役割を担われた?
別の・・・。並んでね。並んで帽振れぐらいですわ。帽子を取ってね。
Q:直掩(えん)で行かれたのではなかったでしたっけ?
それは1回だけ。
Q:それは1回目の出撃、2回目の出撃、どっちのときですか?
1回目。1回きり。大体士官でもね、上の人は行かないんです、案外ね。あの大きな戦争でもね。大尉まで。少佐は絶対に行かない。大尉までの人が隊長で行くんですわ。
Q:何時頃、どういうことをしてどういうふうに出て行ったってことを覚えていらっしゃいますか?
夕方7時頃ね。6時半頃だった。出たけどね。もう薄暗うなってね。昼行きよったら全部やられるもの。すぐに。といって7時でもあかん。向こうは探照灯でバーッと照らすから。あかん。だからどないにしても練習機は練習機。どないにしてもいかんわ。練習機で向こうの敵機を落とすわけにいかんもの。何も持っとらん、手ぶらだもの。ただ自分が操縦していくだけだものね。機銃でもあればね、また撃てるけど何もないもの。哀れなもの。ほんまに死に行く特攻隊だわ。死にに行くのよ。哀れなもんだった。だからかわいそうだったな。やっぱり。帽振れはしたけど、ニコッとして飛行機に乗って行くけどかわいそうですよ。あれは。行く人はね。死にに行くんだもの、だって。必ず死ぬんだもの。不時着せん限りは死ぬんだからね。必ず。不時着すればねそれはまた、けがしてでも助かる場合はあるし。
「特攻精神ニ欠クル点アリ」
練習機で飛べるわけがないと知りながら、不時着すれば「特攻精神に欠ける」と烙印を押される。
Q:赤とんぼの練習特攻隊は戦果を上げた記憶はあんまり・・・
ないね。戦果はね。戦果はないです。… 不時着もね。赤とんぼで不時着って言ったら、まあ台湾沖か沖縄に行ったかどっちかだけどね。たいがいもう途中で全部やられてる。私が1回護衛機、援護機でね、行ったときも全部やられた、途中でね。だって向こうは20機もいて、こっちは6機ぐらいで空戦してもしょうがないもの。あと残った飛行機も全部やられてしまう。
Q:あと発動機不調っていうのがすごく多いんですが。
エンジン不調っていうね、エンジンね。どういうふうな意味か。不時着しとる。「特攻精神ニ欠クル点アリ」と。… 特攻精神が欠けとるて。特攻精神を持っとらんということよ。持ってとらんから与那国島へ不時着したと。中にはそんな人もあるかも分からんですわね。
Q:そういうことってあったんですか?
私の知る隊ではないね。私の隊は182人おったけど、全部与那国行っとらんですけどね。36人しか行っとらんけどね。1人不時着して、与那国にね。これはエンジン不調で。ぐらいで。聞かんね、あとは。「特攻精神ニ欠クル」欠けとるといっておる・・・。これはお母さん1人、息子1人の場合もあって。気が引けるだろうと思うわな。これも天候不良だね。与那国がいちばん近いからね。対岸と沖縄の中間だろうね。たいがい不時着しとるね。…
Q:発動機不調でそんなにみんな帰ってくるはずはないと。
わしはそう思うね。
Q:だから特攻精神が不足しているっていうふうに書いてあるんですけど。そんなことはあるんですか?
それはあるかも分からん。中にはね。それはうちの第1回の1名が与那国に不時着したわね。これも理由がね、聞けへんもの。そういう人もあるかも分からない、中にはね。エンジン不調って10機が10機とも。10機のうち8機、7機もね、エンジン不調っていうことはないわね。中には1機や2機はね、それはあるかも分からん。そのね、でもそんなことはないと思うけどね。と思うが、私はね。
Q:それだけ難しい特攻だったんでしょうね。
難しい。それで練習機だもの。速力は遅いし、もうね、ネコにネズミと一緒。狙われたらおしまい。相手は機数が多いしね。ようけ来ているし。こっちは戦闘機が3機や5機いたところでどうにもならないもの。1機に10機ほど来たらしょうがないもの。もうね。なぶり殺しって言うか。哀れだ、ほんまね。ほんまに。ネズミの死にかけにネコが何匹も寄ってたかってやるようなものだわね。ましてや練習機だもの。速力は遅いし、大きな荷物を積んどる。爆弾ね。自由は利かんしね。
Q:そしたらやっぱりこう・・・
あとゼロ戦が1万機か、せめて5,000機あればね。沖縄はあんなになっていないと。沖縄に1,000隻の船団が来ていたって言うから、向こうはね。1,000隻だって。
ブログ註・せめて特攻が一万機というが、先島群島を封じ込めていたのはイギリス太平洋艦隊イラストリアス級の重装甲空母である。特攻攻撃で沈むようなものではない。
Q:そしたら特攻精神が不足したと言われたとしても、その方々を責められないですね。そんな無謀だったら。
上の人は責めるけどね。結局は責めるものね。特攻って死ぬためにあるのではないかというので責めるけどね。
Q:責められるんですか?
責められるんです。これはもうね、3日に1回かね、4日に1回、戦闘に行ったものね。もう毎日。それが海軍省の偉い人の考えですわ。
赤とんぼの出撃・龍虎隊
Q:特攻を護衛する・・・
特攻機は大体18機で行きよった。私、2回特攻に行きましたけどね。1回目は18機いて、1機は与那国島に不時着して、エンジン不調で不時着して。17名ですね。1名の戦果は分からんだけど、16名は落とされました、途中で。1人は分からない。
Q:それも赤とんぼ?
赤とんぼ。もう飛行機がないの、全然。うちの隊はね。赤とんぼばかり。全部赤とんぼ。それはかわいそうだったですよ。これ泣くわけにいかないしね。みんなの前だからね。自分の教え子だもの、これね。技能優秀であったの、これね。結局ね、技能の優秀な人間から順番にやらされたの。飛行機がないからね。
Q:何人ぐらいの生徒さんを特攻に送り出されたんですか?
特攻は36人。18の2で、1人戻ったけどね。35人だね。2回。それで今度終戦になったでしょ。終戦に。3回目に終戦になった。
Q:全て練習機ですか?
全部。練習機が100機ぐらいあったね。…
Q:ちなみに、出ていった特攻隊の名前は・・・
龍虎隊。龍虎。龍虎隊ね。
爆弾をロープで機体に縛りつけた
Q:出撃して行った若者たちは、この赤とんぼじゃ無理じゃないかなと思っていた?
思っただろうな、それは。それはもう10人が10人思ったと思うわ。
Q:どう思っていた?
これはもう赤とんぼでは。機銃も何もないんだもの。手ぶらだもん。
Q:それは出撃する若者たちも分かっていたんですか?
分かっている。飛行機を見たら分かる。何も付いていないもの。付いとるのは爆弾だけで。下のな、腹。飛行機の下にな。爆弾を付けとるだけだもの。その爆弾は不時着しても爆発するで。・・・悪かったら。それで最初はね、爆弾はね、引き手を引けば落ちよった。しまいにはくくっておったで。落ちないように。というのは、落として不時着する人間が多いために、もう不時着しても爆弾が爆発するようにな。こんな太いロープで縛っておった。縛って、飛行機に縛り付けておったもの。最初はそうじゃなかった。引き手を引けばみんな爆弾は落ちよった。そうしたら海の中に爆弾落として戻ってきたり、不時着して戻ってきたりしよった。それが多かった。不時着な。それでエンジン不調だ、何だかんだ言って戻ってきよった。それでこれではいかんって言ってくくったんだ。飛行機にくくって。そうしたらもう死ななきゃしょうがない、しまいには。そういうことがあったな。
Q:それは赤とんぼでも最初はレバーで爆弾は落ちるようになっていたんですか?
なっとった。こう開いてな。こう乗っているわな。これで落ちよった。しまいに爆弾をくくった。そうしたら落ちんわけだ。そこまでしたわけだ。それで私は余計にみんなかわいそうだった。そんな分かっとるんだもの、そんなこと。おまえは死ねと言うのと一緒だもん。
犠牲となった少年航空兵
誰しも自分が死んでもいいと思う人はおそらくないと思うね。最後に生き延びて帰りたいと思うのは本心だろうね。まあかわいそうなことはかわいそうな、17~18ですよ。それはかわいそうに、本当にね。それはかわいそうだ。まだ学校を出たばかり。中学4年。私もそうだけど。・・・17や。それが七つボタンの制服にあこがれてね。宣伝したんだな、七つボタンで。七つボタン・・・あれにつられてみんな行ったんだな。兵隊になったんだ。それがもうみんな。だからね、特攻隊で死んだ人はほとんどそれ。少年航空兵の17~18か。二十歳以上の人はおらんですよ。みんな17~18の人ばかり、死んだ人。
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