沖縄戦とベイリー・ブリッジ ~ 陸軍中野学校のゲリラ部隊に召集された少年兵

ベイリー・ブリッジとは

ベイリー・ブリッジは軍事用に規格化されたプレハブの橋梁であり、その画期的技術は英国で1941年に戦争省の文官ドナルド・ベイリーによって開発され、ライセンスは連合国内で共有された。コンポーネントがシンプルに規格化されており、イギリス、アメリカ、カナダで大量生産され、第二次世界大戦の連合国側の勝利に大きく貢献した。

 

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ベイリー橋 (Bailey Bridge) とは、現地でユニットを組み立てるだけでクレーンも必要なく構築できるプレハブ工法のトラス橋であり、1930年代、英国戦争省の文官ドナルド・ベイリー(英語版)によって発案された。わずか数十名で数時間単位で構築しうるその工法は、まさに工学上の奇跡的発明といえるもので、その軍用の仮設橋は第二次世界大戦でイギリス軍、アメリカ軍、カナダ軍に広く活用され、連合国の勝利に大きく貢献した。現在も緊急の交通路を確保するためなどの仮設橋として広く活用されており、また発展途上国ではベイリー橋が恒常的なインフラとして使われている場合も多い。

ベイリー橋 - Wikipedia

 

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Wikipedia Commons - U.S. Army Bailey Bridge Construction Manual, p. 83. PDF

 

現在も仮設橋として世界中で利用されているベイリー・ブリッジであるが、基本的な規格は開発当時とほとんど同じものである。その工学上の奇跡ともいえるベイリー・ブリッジの組み立て動画はこちらでご覧ください。

 

  

クレーンも必要なく、小さな橋なら数時間単位で、大きな橋なら1日単位で架け直しが完了する。

 

沖縄に上陸した米軍の工兵隊は、すぐさまベイリー・ブリッジを導入、日本軍が破壊した橋の横に次々と真新しい鋼鉄の橋を架け、それを誇るかのように多数の写真記録を残している。

 

橋梁の破壊 - 陸軍中野学校と護郷隊

米軍の上陸に備え、橋梁や道路の破壊工作を担ったのは、陸軍中野学校の出身将校に組織された2つの秘密部隊、第三遊撃隊 (第一護郷隊)第4遊撃隊 (第二護郷隊) であり、いずれも10代半ばの沖縄の少年たちを防衛召集して構成したゲリラ部隊であった。

 

米軍が上陸する前に橋を壊したのは全部僕ら橋脚に爆薬を撒いて火を点けて、導火線一cm一秒だから、泳いで逃げて行く時間を計算して。またこーんな大きな松を倒したり。

三上智恵『証言沖縄スパイ戦史』(集英社新書) (2020) Kindle

 

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沖縄総合事務局 金武ダム PDF

 

しかし、道路や橋梁の破壊は、実際には牛馬や徒歩で避難するしか方法のない住民の手足を奪い、さらに住民の苦しみを引き起こすことにしかならなかった。

 

沖縄本島中南部から北部へと、住民たちは家財を馬車やリヤカーなどに積んで避難しようと押し寄せてきていた。落ちた橋を見た避難民たちは荷物を持って逃げることを諦め、身ひとつで川を越えるしかない。また、橋を壊した本来の目的だったアメリカ軍の進軍も止められなかった。アメリカ軍は、工兵隊が壊れた橋の代わりに鉄板を渡し、すぐに補修してしまったという。橋の破壊は、アメリカ軍に打撃を与えられなかったばかりか、沖縄で暮らす市民たちを苦しめるものとなったのだ。橋の周辺を監視していた元少年は、そのとき目撃した光景が忘れられないという。「おじい、おばあ、子どもたちが泣いていた。車も馬も捨てて命からがら歩いていくしかなかった」

NHKスペシャル取材班「少年ゲリラ兵の告白―陸軍中野学校が作った沖縄秘密部隊―」(Kindle 450-456) 新潮社

 

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沖縄戦の絵】赤子を担いで渡河

昭和20年3月下旬ごろ、沖縄本島南部の南城市大里から本島北部に向けて疎開のため避難をしていたときのこと。今の金武町から更に北に向かう山の中でのある夜、あったはずの橋がなくなっていた。日本軍によって壊されていたのだ。川に行く手を阻まれ、当時23歳だった金城さんは生後1か月の長男を抱え、月明かりの下、川を歩いて渡った。胸のそばまで浸かった水は冷たく、産後間もない身体にこたえたが、『長男にかからないように』、ただそれだけを考えながら歩いた。72歳になる義母(白髪の女性)も冷たい川に入り、大勢の避難民とともに黙々と川を渡った。どの顔も不安な表情でいっぱいだった。金城さん『川を渡るとき、心は固くなり他の人を思いやる余裕はなかった。戦争は人間から人間らしさを奪う。絶対にやるべきではない』

赤子を担いで渡河 | 沖縄戦の絵 | 沖縄戦70年 語り継ぐ 未来へ | NHK 沖縄放送局む

 

住民の避難を大きく妨げた日本軍による交通インフラの破壊は、しかし対米軍にはさほどの障害にはならなかった。というのも、米軍はブルドーザーで簡単に障害物を除去し、鉄骨のベイリー・ブリッジやポンツーン (浮橋) で次々と渡ってきたからである。

  

米軍が記録した沖縄戦のベイリー・ブリッジ

米軍の工兵隊は、日本軍が破壊した橋梁の上に、あるいは横にベイリーを構築し、その技術を見せつけるように記録写真に収めた。

 

1945年4月4日『沖縄攻略のためのインフラ整備』

4月4日と5日、そして10日11日の大雨で、せっかく踏みならされ、固まっていたハイウエーは、延々とつづくトラックでめちゃめちゃにされ、泥沼となってしまった。かと思うと、今度は干天には道路の表土は粉末となり、はげしい軍車両の交通量は雲のようなほこりをたてて、時として前の車蓋もみえなくなるほどだった。

工兵隊は珊瑚礁岩を使い、あるいは新しく掘り起こして石をとり、砂利を運び、こわされた村落から砕石を採り、石灰岩を使って主要道路を拡張し、舗装した。橋で幅が狭すぎたり、アメリカのトラックや戦車を渡すには弱すぎるものは、臨時的に野戦用ベイリー・ブリッジで架橋した。これは簡単に組み立てたり、取りはずしたりできるものである。

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 99-100頁より》

 

1945年4月18日『戦場の女性たち』

牧港の入江には、4月18日の夜から19日にかけて、夜のうちに4つの橋をかけなければならない---攻撃部隊が夜のうちに渡河できるような歩行橋1本と、ベイリー・ブリッジ2本、これは砲兵隊用のもので全長約30メートル、そして補給物資を積んだ2トン半トラックの通行にたえうるようなゴム製の船橋1本である。… 工事はすべて秘密裏にやることが非常に重要であった。が、工事自体が大工事であり、しかも日本軍の陣地からはすべてまる見えとあって、相手にわからないようにすることは極めて困難だった。

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 189頁より》

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上から、二本のベイリーブリッジ、歩行橋、ポンツーン (浮橋)

US Army in WWII: Okinawa: The Last Battle [Chapter 8]

… 南国の陽が落ち、あたりが暗くなって間もなく、ブルドーザーが動き出し、歩行橋やゴム舟橋近くの地面をならし、入江の端に資材が積めるようにした。闇夜の中を、工兵隊は静かに邪魔されることなく作業をはじめた。午前零時までには約100メートルの歩行橋が完成し、午前3時にはベイリー・ブリッジができ上がった。

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 191-192頁より》

 

1945年4月21日『郷土沖縄を救え・郷土は自分で護れ』

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米国海兵隊: Close-up of Bailey Bridge.
ベーリー橋のクローズアップ写真 1945年 4月21日

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

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米国海兵隊: Large Bailey Bridge constructed where concrete bridge was destroyed by Jap demolitions.
日本軍破壊部隊が壊したコンクリート製の橋跡に建てられた大きなベーリー橋
撮影日: 1945年 4月21日

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

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米国海兵隊: Large Bailey Bridge constructed where concrete bridge was destroyed by Jap demolitions.
日本軍破壊部隊が壊したコンクリート製の橋跡に建てられた大きなベーリー橋
撮影日: 1945年 4月21日 

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

護郷隊は橋の破壊を命じられたが、米軍はまたたく間に再建した。

当時15歳で護郷隊に召集された大城さんの証言

最初に、アメリカが攻めて来たら、まず橋から撤去しないとどんどん橋を越えて来るからと言って、橋を壊す仕事をやった。上陸前に。そうなんだがよ、もう、アメリカはすぐ鉄のパイプでこっちに橋を架けてから、すぐ車が通れるようにしていた。大変だったなあ、あれは。急いで橋壊してもすぐ修復するから、これではいけないなと言って。火薬はあった。ダイナマイトは、あれに信管つけてから金武の方の橋はあれで爆破して壊しもした。… アメリカは鉄骨持って来て敷いて、車はどんどん通るのを見ていて、まさかこんな風とは思わなかった。壊したら遮断されるから車通れないとしか日本の人は考えていないわけ。橋さえ撤去すればもう機能しないから、ということで日本はこういう策しかしなかった。勝っているのか負けているのか、何も情報がないから、後で南部のことを聞いてびっくりした。砲弾も何も、ない。橋を壊せば戦争がストップすると、…。

三上智恵『証言・沖縄スパイ戦史集英社 (2020/2/22)》

 

1945年4月20日『後方で進む基地建設』

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Old Jap bridges, lower left and upper right, paralleled by new CB-built Bailey bridge near Hiza [Hija], Okinawa thrown up overnight to provide two-way traffic for hard-pressed army on south front.

写真左下と右上には、日本の古い橋が見える。それらと並列して架かっているのは、建設大隊が新たに建設したベーリー橋。比謝近くにて。この橋は、南部戦線で苦戦している陸軍に二車線道路を提供するために、きわめて短い期間に建設された。(1945年4月20日撮影)

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

1945年5月11日 『警察別動隊の沖縄脱出』

安謝川のベイリー

第6海兵師団工兵隊は、5月10日の夜から11日に深夜にかけて、熾烈な砲火のなかを安謝川にベイリー・ブリッジ(浮橋)を架け、攻撃支援部隊の戦車や重砲類を渡河させた。

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 339頁より》

1945年5月11日 『警察別動隊の沖縄脱出』 - 〜シリーズ沖縄戦〜

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米国海兵隊: First tank crosses the repaired bridge. The Japs in a suicide demolitions exhibition blew up the bridge. The enemy demolition team couldn't get away and 9 Japs were killed by the explosion.
修築した橋を最初に渡る戦車。日本軍の自爆行為によりこの橋は爆破された。その時、日本軍の爆破班は逃げられず、9人が死亡した。1945年 5月12日

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

 

1945年5月24日 『絶好の空襲日和』

安里川のベイリー

未明になってベイリー・ブリッジ構築がはじまり、その日の午後2時30分には作業も完了、戦車1輌は日が暮れる前に渡河用意をした。その同じ日に、偵察中隊2個分隊安里川下流を渡り、なんら抵抗をうけることなく、那覇北西部の街にはいっていった。

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 403頁より》

1945年5月24日 『絶好の空襲日和』 - 〜シリーズ沖縄戦〜

 

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