大浦崎収容所

 
 
山城さん一家は3月下旬~4月上旬ごろに米軍の空襲が激しくなった伊江島を舟で逃れ、対岸の今帰仁村の洞穴を転々としているうちに捕虜になった。収容所の環境は過酷で、米軍の食糧配給はわずか。大人たちはひそかに山を越えて畑に残った芋を探し、5歳だった山城さんの腹は栄養失調で膨れあがった。 まきを頭に乗せて運ぶ女性たち。大浦崎収容所の周辺とみられる=1945年7月撮影(沖縄県公文書館所蔵) まきを頭に乗せて運ぶ女性たち。大浦崎収容所の周辺とみられる=1945年7月撮影(沖縄県公文書館所蔵) 写真一覧  幼い記憶に、外で空き缶をたたいて大声で叫んでいる人のことが強く残っている。父に理由を尋ねると「戦争で狂ったんだ」と言われた。「木に首をつって死んでいた」「マラリアで亡くなった」。そんな話も度々耳にした。「収容所で多くの人が亡くなり、山に埋められたはずだ」