民主主義がどんどん埋め立てられている ~ 戦後76年 遺骨が眠る土砂を沖縄の新基地建設に … 元日本兵や若者たちから抗議の声

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戦後76年 遺骨が眠る土砂を沖縄の新基地建設に…元日本兵や若者たちから抗議の声

北海道(HBCニュース) - Yahoo!ニュース

シリーズでお伝えしているSDGs北海道から未来へ。戦後76年の今年、SDGsのゴールの1つ「平和」について考え、戦争体験を語り継ごうとHBCの若手記者6人が伝えます。  

 

沖縄戦では、沖縄県民に次いで戦没者が多いのが北海道です。いまだ沖縄に眠る遺骨を含んだ土砂が、アメリカ軍の新しい基地の埋め立てに使われようとしています。沖縄出身の記者が取材しました。  

 

沖縄戦で組織的戦闘が終結した6月23日。沖縄にとっての「終戦の日」です。この日、私は小樽で取材をしていて、午後には札幌で行われたある抗議運動を取材しました。  

 

「私たちは知らんふーなーはできません、してはいけないことです」(沖縄戦で親族を亡くした・渡名喜隆子さん)  

 

訴えているのは、沖縄のアメリカ軍新基地建設で埋め立てに使われる土砂についてです。  

 

「戦争で無念で亡くなった人たちの埋まった土地を使って、また戦争をするための基地を作る。遺骨で埋まってる人たちに対し2度殺されるのと同じだと思う」(沖縄戦で親族を亡くした・渡名喜隆子さん)  

 

2018年から土砂の埋め立てが始まった辺野古足りない土砂を、未だ遺骨が埋まっている激戦地だった本島南部から採取しようという案が浮上。  

 

「沖縄と、それから埋もれている遺骨の方たちをないがしろにしてると思います。この戦争というのは日本全体で起こした戦争なのに、それで亡くなった方をさらに戦争のために土砂を使うということはあり得ないと思う」(渡名喜隆子さん)  

 

私の実家がある八重瀬町も候補地の1つに含まれていました。  

 

遺骨は沖縄だけの問題ではありません。沖縄県民に次いで戦没者が多いのは北海道出身の兵士でした。  

 

迫撃砲の弾が目の前に落ちて、後ろにいた人が5、6人みんな怪我した。死んだ人やら、生きてても歩けない人やら…埋葬は一切しないです。全部、土をかけるまねをする。埋めてやりたいのが本心だけど、埋めることもできないし。腹に土をかけてやるだけ」(濱本俊則さん)  

 

陸軍歩兵第32連隊として沖縄戦に参加した日高町の濱本俊則さん。  

 

「ここは十何人か沖縄に行っている。一緒に行ったのは11人か12人。帰って来たのはいないです。ここらへんには。ほとんど全部死にました。殺されたのかな?どっちが正しい?」(濱本俊則さん)  

 

足に残る撃たれた傷跡は戦場の過酷な記憶を思い出させます。  

 

「死体がごろごろ…一番可哀想だと思ったのは母親が子供を背負ってここから半分になっている。片方に子供が泣いている。母親が死んでる。道路の反対側に母親の胴体がある。そういうのがずっと何十メートルも何百メートルもあった」(濱本俊則さん)  

 

どこまでも続く血の轍。ともに沖縄で戦い散った仲間は骨すらも故郷に戻ることができませんでした。  

 

「(遺骨を)持って歩いている人は初めはいた。『戦友の奴を持っていくんだ』ってポケットにちょっと入れて。そのうち自分も死ぬ。みんなポケット入れたり歯を入れたり、どこの骨の部分だって小さい骨持っていたけど持ってきた人は…帰ってきた人がいないんだもの」(濱本俊則さん)  

 

沖縄では、これまでに18万柱あまりの遺骨が収集されましたが、およそ2800柱は、今も土の中で眠っています。  

 

「虫けらより悪い。人間らしく扱ってくれない。どういう考え方してるんだろう」(濱本俊則さん)  

 

遺骨の埋まった土砂をアメリカ軍の基地建設に使われるかもしれない。濱本さんは静かに切り出します。  

 

「今のところどうしようもない。俺らのために亡くなった方々だから、一緒に戦ったんだし、それ以上の事言っても果たして(国に)届くのどうか…」(濱本俊則さん)  

 

県民投票で7割以上が反対しても、新基地の建設を強行していく政府。埋め立てられているのは海だけではありません。  

 

民主主義がどんどん埋め立てられている。自分たち1人1人の中に民主主義の火を消してはいけない。今生きている我々大人の責任ここで戦争を止めなきゃいけない。ここから先へは絶対進めさせない」(辺野古埋め立ての中止を求めている齋藤丈士さん)  

 

この日の抗議運動には、若い世代も参加していました。  

 

「(戦争の記憶を)受け継いでいくというのは語る人が少なくなって難しいことなんだけど、受け継いでくれた物語を、つくってくれた人たちの思いを無駄にしないように、いっぱい見ていっぱい知ることが自分の中では今一番に頑張ること」(参加した中学1年生)  

 

私が沖縄を離れて7年。 道内のテレビや新聞で、基地の問題についてあまり報じられていないと実感する一方、取材では、県民でなくても沖縄を思い熱心に訴える人たちと出会えました。  

 

取材を通して、改めて、まずは沖縄について知ってほしい、そして問題について一緒に考えていきたい、そう強く思いました。

 

南部は南部でも、この地のを埋め立てに使うという。

信じられますか。

 

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現在その一帯は、平和祈念財団が管理する霊域参道となっており、

➀ 「北霊碑」(北海道)

➁ 「大和の塔」(奈良県

➂ 「紀乃國之塔」(和歌山県

➃ 「因伯の塔」(鳥取県

➄ 「島根の塔」(島根県

➅ 「ひろしまの塔」(広島県

➆ 「讃岐の奉公塔」(香川県

⑧ 「大分の塔」(大分県

➈ 「東京の塔」(東京都)

➉ 「魂魄の塔」

⑪ 「開南健児之塔」

⑫ 「有川中将以下将兵自決の壕」 (シーガーアブ)

が、その土地周辺をかこむようにある。

特に ⑫ 「有川中将以下将兵自決の壕」 (シーガーアブ) に関しては、確実に地下で熊野鉱山の採掘予定地内に伸びて拡がっていることが既に分かっている。

 

 

グーグルアース 糸満市 熊野鉱山

 

● 取材にあたって  

遺骨と土砂の話をするときに、どうしたら北海道との関係を見出せるか?HBCでやる意味って何だろうって考えたときに、「その遺骨の中にも北海道から参加した兵士がいるんだよ」ということが道民にとっても他人事ではない問題というのがありました。

 

● 心に刻まれた「取材メモ」  

(インタビューをした元日本兵の濱本さんが)迫撃砲が目の前に落ちて、仲間が5、6人いて、その半分ぐらいはすぐに死んでしまったという話をされていて、「その後どうしたんですかって?」と聞くと「土を腹にかけて終わった」「埋葬したくてもそんなことする余裕がなかった」と…。  

 

戦争では、当たり前といえば当たり前ですが、亡くなった人を供養するとか、怪我をしている人を助けるという当たり前のことができなくなるし、「敵を見たら殺せ」になるし「赤ん坊が声を上げても殺せ」になるし、命がすごく粗末に扱われます。  

 

結局、日本兵だった濱本さん自身も、その後ろにいる人たちも、誰も助けてあげる人はいなく、でもそれも当たり前として処理される。当時、そうやって死んだ仲間を弔うことすらできない。でも北海道から来ているから、親族なんてもちろんいない。仲間がみんな死んでしまったら遺骨を持って帰る人もいない。「じゃあ誰が国のために戦って命を落とした兵士たちを弔うのだろう?」と考えたときに、誰もいなくて、そのまま野ざらしにされてしまう。「弔う」ってそういうものでは無い。結局、人の尊厳というか、思いがどこにも行かなくなってしまう。  

 

今回「遺骨と土砂」というテーマの取材だったからこそ、死んだ仲間の腹に砂をかけて終わったっていう話は、「それが戦争なんだな」と改めて実感しました。

 

● 実感した戦後76年  

去年、別の戦後企画の取材で知り合った方がいて、今度もその方に話聞こうと思い、アポイント取ったところ、亡くなっていたことがわかり、その人からもう話聞くことができなくなりました。その人から話を聞くことは一生ないと思うと、すごくもったいないことしたなという思いがあって…。  

 

今回は日高にいる元日本兵の方に取材できたのですが、その人も今年白寿迎えられて、来年はもう100歳になるということで、自分の血になるように聞けるだけ聞こうと心がけていろいろ話をしてもらいました。  

 

「遺骨と土砂」は沖縄の抱える基地問題の中の1つではあると間違いなく思うのですが、ただ単に沖縄の抱えている基地問題ではなくて、そもそも人道的に自分たちの祖先を弔うことができない。しかもそれが、戦争の相手国だった国の基地の足場になるって言われたときに、人道的にどうなの?という事を伝えられるようにしました。

 

● 19歳まで暮らした沖縄は…  

19歳まで沖縄にいましたが、沖縄にいた頃は基地問題に対して熱心だったかというと、そうではなく、小さい頃から毎年毎年祖父母から戦争の話、じいちゃんが体験した戦争の話、ばあちゃんが体験した戦争の話、親戚からも正月などに聞くこともありました。  

 

実際に、おじいちゃんもおばあちゃんも撃たれた傷はあって、「ばあちゃんどうしたのその手?」などそういう話をすると、小さい頃から戦争の話、実体験が身近にあったな、ということは感じていました。今は沖縄から離れたからこそ、沖縄により強い関心を持つというか、北海道に今いる自分だからこそ沖縄に向けて何かできることはあるのではないかと感じます。

 

● 取材を終えて…  

核ごみも結局「どこかでやらなきゃいけない」みたいな話も出ていて、寿都と神恵内が手を挙げているから「じゃあそこで」となっていますけれど、地元や周りの人たちも含めて反対している人はやっぱりいるわけです。「多数派=正しい」とは限らないわけで、いろいろな意見を戦わせてこそ本当の最適解が、民意が得られるのではないか、そういう「少数派を切り捨てて行き着く先は何だろう?」と思うと、また歴史を繰り返してしまうように思います。  誰かが関心を持って、それが広まってくれれば今回の基地問題にしろ、核や各地域が抱えている問題にしろ、それは「その地域の問題」ではなくなり「日本の問題」になって解決策がとられるようになるかと思います。

戦後76年 遺骨が眠る土砂を沖縄の新基地建設に…元日本兵や若者たちから抗議の声 北海道(HBCニュース) - Yahoo!ニュース

 

米須の土地は、土砂でも廃棄物でもない。

日本の戦争で多くの兵士と住民が亡くなった。土地が白く見えるほどだったともいわれる南部の土地を、米軍基地建設の埋め立てとして使うという、その精神の在り方は、戦時中の日本軍体質とほとんど変わりがない。

 

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