伊平屋島 飯井敏雄氏 邸宅

 

飯井敏雄(いいとしお)氏邸宅

特攻攻撃で撃墜され、伊平屋村民の助けで九死に一生を得て、その後は、伊平屋村に居を構え、伊平屋村の発展に尽力した飯井敏雄(いいとしお)元中尉が住んでいた邸宅です。

 

概要

 飯井敏雄氏邸宅は、水上爆撃機「瑞雲」の搭乗員で、第2次世界大戦の末期、特攻攻撃の際に、伊平屋島上空で瑞雲は墜落し、伊平屋島の人に助けられ、戦後は伊平屋島の復興に力を尽くしました飯井敏雄元中尉が居を構えていた邸宅です。

 

ヒストリー

 飯井敏雄氏は、1945年5月10日、慶良間島に集結した米国戦艦隊を襲撃するために、奄美大島の古仁屋基地から水上爆撃機「瑞雲」で飛び立ちました。ところが、与論島上空で、米国軍の夜間戦闘機2機と遭遇し、空中戦になりました。その後、伊江島付近上空で、地上から米国軍に捕捉され、強烈なサーチライトを当てられ、幻惑され、目測できなくなり、米国の軍艦に体当たりすることもできず、被弾を受け、飛行機は海上へと墜落しました。飯井氏は、幸いにも部下と共に一命は取り留め、海上を漂い、2人で伊平屋島を目指して、およそ30㎞を12時間かけて泳ぎ切りました。伊平屋島の800mほど手前の永良部岩近くで力尽きていたところを、浜辺の住民たちに助けられました。その後、同年6月3日、日本軍が守備していない伊平屋島に米国軍が上陸しました。この時、島の軍人は、飯井氏とその部下の2人だけでしたが、逡巡した結果、持っていたピストルを土の中に深く埋め、島の人たちと同じように、島民となり、米国軍に降伏する道を選びました。島民たちと共に田名の収容所に収容されましたが、解放後は、伊平屋島の島民となって、野甫島のグンサナ森に居を構え、伊平屋島の復興に協力しました。

 

ワンポイントアドバイス

 飯井氏は、第2次世界大戦後の大分県からの宇垣中将の最後の特攻攻撃の証言も行っており、城山三郎が証言を得るために来訪したとも伝わっています。
 個人宅なので、訪ねる際は伊平屋村役場に確認が必要となります。

I

内閣府沖縄総合事務局 沖縄文化・観光ポータルサイト