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人種隔離政策と沖縄戦
アメリカでは奴隷制廃止から1960年代の公民権運動に至るまで特に南部では厳しい人種隔離政策 (segregation) が行われていた。アフリカ系アメリカ人に武器を持たせないために黒人は軍隊から排除されていたが、第二次世界大戦になると若干数の黒人部隊が編成され、多くは非戦闘部隊 (non-combat) として後方に配属。一部のヨーロッパ戦線での活躍 (バッファローソルジャーやタスキーギエアメン) を除き、多くの場合黒人部隊は兵站業務や基地建設などに配置された。公民権運動にさきがけ米軍内の人種隔離政策が撤廃されたのはトルーマン大統領による1948年7月26日の行政命令からである。
海軍建設大隊 (CBs) においても、人種隔離部隊のトップに南部出身の白人将校を据えるなど、黒人部隊の運用そのものにも多くの問題が内在した。また太平洋戦線で大型爆撃機用の滑走路建設などに携わった陸軍航空工兵大隊の半分以上は黒人部隊であった。しかし、彼らを記録にとどめた写真は非常に少ない。彼らを「見えない存在」に落とし込む軍内の強烈な人種差別は、また米軍支配下の沖縄にも、さまざまな負の影響をもたらすことになる。
Negro tent area at the American Military Government hospital for natives on Okinawa, Ryukyu Retto.
米軍政府病院の黒人居住区。沖縄。(1945年6月15日撮影)
※ アフリカ系アメリカ人は「ニグロ」と呼ばれ、黒人部隊は隔離された部隊として駐屯した。
沖縄戦最中の45年5月23日、米太平洋地区陸軍は第10軍に対し「戦後軍事編成に際しての黒人部隊の参入」に関する調査を実施している。… 第二次世界大戦下米軍は、軍隊組織において「分離部隊」と呼ばれる人種分離 (隔離) 政策をとっており、沖縄地区での黒人兵調査は時便を得たものであった。
米第10軍の回答によれば、沖縄戦の期間中最大で8,024人の黒人兵が派遣され、このうち3個高射砲大隊を除き、黒人兵全員が戦闘以外の任務についていると報告している。沖縄戦の全期間を通し、18万人から20万人の米兵が駐留したが、黒人兵の割合は全体の5%程度とみてよいだろう。… 報告書からわかるように、沖縄戦で黒人部隊がついた任務は後方部隊任務が中心で、それだけに民間人や日本兵捕虜等と接触する機会が多かったと言える。
《保坂廣志『沖縄戦下の日米インテリジェンス』(2014/5/20) pp. 183-4》
Colored troops have a little jive session aboard troop transport enroute to Okinawa in Ryukyus.
沖縄に向かう兵員輸送艦上にて、スイングのリズムにのせてジャズを楽しむ黒人兵ら。
Negro soldiers attend services, 504th Bn.
第504大隊の礼拝に参加した黒人兵 (1945年)