火炎放射器 (flame thrower)

書きかけ記事です。

 

火炎放射器 (flame thrower) とは、ナパームを圧縮空気で噴射、ターゲットに付着し焼夷する。対塹壕戦で多用された。

 

焼夷兵器としては、特定通常兵器使用禁止制限条約 III に記載され使用禁止の対象となっているが、火炎放射器自体は、現在も日本の自衛隊を含め多くの軍が装備品の中に入れている。

 

 

アメリカ軍においては、1978年に国防総省火炎放射器の使用を一方的に停止して以来、装備品から排除されている。最後の仕様はベトナム時代の M9-7 であった。

 

ナパームの製造

沖縄の補給基地でガソリンと

米国陸軍通信隊: 混合作業場の火炎放射器用燃料     
1945年 6月13日     化学部隊

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

米国陸軍通信隊: The flame thrower fluid mixing plant. Gas drums in foreground, mixer on platform.
火炎放射器燃料混合作業場。手前はガソリンのドラム缶。台の上にあるのはミキサー。 1945年 6月13日  化学部隊

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

軍隊内の人種隔離政策で人種隔離されたアフリカ系アメリカ人部隊が補給作業などの非戦闘業務に関わっていたことがわかる。

米国陸軍通信隊: Men are transferring flame thrower fuel from the mixer into 55 gallon drums.
ミキサーから55ガロンドラム缶に火炎放射器の燃料を移し替える兵士達     1945年 6月13日     化学部隊

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

 

火炎放射器

太平洋戦争で、アメリカ軍は、日本軍が構築した塹壕を掃討する有効な兵器として多用した。ナパームの火焔が敵兵に届かなくても、酸素消費と排煙で洞窟内を掃討することができた。

しかし、火炎放射器を装着する兵士は、日本兵の激しい恐怖と憎悪の対象となったため、携帯する兵士の犠牲の多さも問題となった。そのため後に火炎放射装甲車が導入された。ベトナム戦争まで継続して使用されるが、兵士の PTSD の深刻さも社会問題となった。

 

米国海兵隊: One of the best weapons yet devised to flush the little men out of their caves. This photo, taken at Ie Shima, shows a Marine shooting the searing blast of the flame thrower into a cave that is hidden by the underbrush. This is just one of the many weapons used to root out the Japs from their caves by Marine Air Group 22's ground troops.
これは洞窟から日本兵を追い出すのに最も有効な新型兵器のひとつ。伊江島で撮影されたこの写真は、薮で覆い隠された洞窟の中に火力の強い火炎放射器を発射している海兵隊員を捉えている。第22海兵隊航空群の地上部隊が、壕の日本兵を根こそぎにするのに用いた多数の武器のひとつ。     伊江島     1945年 6月

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

米国海兵隊: This is what dead Japs look like when Marines Throwers finish with them.
海兵隊火炎放射器を使用した後の、日本兵の死に様。    

撮影地: テニアン 1944年8月     

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

米国海兵隊: These are some of the Japs that made a last stand against Marine Flame Throwers.
(コンクリート製の小屋で) 海兵隊火炎放射器に最後の抵抗をした日本兵たち。     
撮影地: テニアン 1944年8月     

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

 

火炎放射器のなめつくすナパームの火焔は、敵だけではなく、それを使う兵士の心も焼夷し続けた。それは死ぬまで続く悪夢であった。

My great granddad was a flamer. He used it overseas in WW2, he died when I was only like 8. He said he could never get the screaming and smell of burnt flesh out of his head, it just stuck with him up to the day he died. RIP Papaw Ed

私の曽祖父はフレイマーだった。彼は第二次世界大戦中に海外でそれを使用し、私がまだ8歳くらいのときに亡くなりました。彼は、叫び声と肉が焼けた匂いが頭からこびりついて離れず、死ぬ日まで彼をさいなむんだと言いました。安らかにパパウエド

Flamethrower vs. Spider Trench - YouTube

My father was in the 18th combat engineers in the US Marine Corps 2nd Division in WW2. Combat engineers were trained in flamethrowers and demolition. He carried his flamethrower on Tarawa, Saipan, and Tinian. He was in combat at Guadalcanal but that was before we used flamethrowers. He trained as a combat engineer in Wellington NZ before the landing on Tarawa. How he survived 4 battles I do not know. He had nightmares his entire life. Ordinary men did extraordinary things.

私の父は第二次世界大戦中、米国海兵隊第2師団の第18戦闘工兵に所属していました。戦闘工兵は火炎放射器と破壊作戦の訓練を受けました。彼はタラワ、サイパンテニアン島火炎放射器を携行しました。… 彼が4つの戦いをどうやって生き延びたのかはわかりません。彼は生涯、悪夢を見ていました。普通の人が並外れたことをしたのです。

US M2/M2A1 Flamethrower - YouTube

 

火炎放射装甲車

沖縄戦では、第32軍の反斜面陣地 (reverse slope defense) に対処するため、首里の攻防 第1線 で初めて火炎放射装甲車を導入した。

塹壕をまず火炎放射器で焼き払い、その後に馬乗りで入り口に手榴弾や爆薬で爆破する戦法を、blowtorch & corkscrew と呼んだ。