心にあることを言ってはいけない、書いてはいけない言葉が大量にある時代、書いたものが軍によって検閲されている時、あなたなら、どのように「自分の最期の言葉」をつづりますか。
思ったこと、言いたいことが、言えない時代に、自分の特攻と死について書け、と命じられれば、あなたなら何を書くだろうか。
そういう想定作業をすっ飛ばしたままでは、
特攻隊の遺書を読むことはできません。
このような究極の軍の規律と機密の極限状態において書かれたものは、朝起きて食事し、テレビを見てから、学校にいき、あるいは職場で、ため口で昼飯食い、スーパーで買ったハーゲンダッツ食いながら衛星放送きいてるような、そんな普段の言語モードで読んで理解できるものではなく、また理解できたと思い込むべきではありません。
いわば、このような圧倒的な規制と検閲と極限のもとで書かれた若者たちの文章は、死を救済として賛美する奴隷制のもとで歌われた宗教歌、黒人霊歌の解釈のように、あるいは、強い政治的・社会的・言語的・倫理的な規制を強いられた社会で記される黙示文学のように、その背景と歴史を理解したうえで解釈されなければならない。
でなければ、背景を知らず黒人霊歌を「読んで」、当時のアフリカ系アメリカ人はみんな早く死んで極楽浄土に行きたがっていた、「自分にはできない宗教観を持ったすごい人たち」などと思い込むだろう。
ー 実際にはどうなのか。「奴隷たち」はみんな早く死んで極楽浄土に行きたがっていたのか。否、それどころか、その歌には、暗号のように、奴隷制からの解放をもとめた人々の慟哭が結晶のようにちりばめられていたのである。黒人霊歌の読み方は、暗号解読のように、コード化された言語を解除しながら解読していかなければならない。
特攻隊の「遺書」を、「できるだけそのまま展示する」ことで、すばらしい、自分には想像できない、感動した、立派だと思う、あんなふうに純粋に生きたい、などというミスリードな感想がうじゃりと量産されるのはそのせいである。
「特攻伝わらぬ現実」
朝日新聞 2014年4月30日
鹿児島県南九州市知覧。
第2次大戦末期、飛行機「ごと敵艦に突入する「特攻作戦」の基地があった。跡地には知覧特攻平和会館が立ち、若い隊員の遺影と遺歯で埋めつくされている。
一「自分にはできないことをしたすごい人たち」。福岡市の男子大学生(1)は会館で思いを強めた。映画「永遠の0」がきっかけだった。家族を思い、生還を願う腕利きパイロットが、最後は特攻隊員となる物語だ。「遺書は達筆すぎて、読めたのは『一撃必沈】ぐらい」。でも「国を守ろうという使命感を感じた」。
1975年の開館以来、1700万人が訪れた。特攻関連の映画があると、若い来館者が増えるという。
会館から約1キロ、街の中心部を流れる荒川沿いに、「富屋食堂」と香かれた民間の資料館がある。隊員たちが通った店を移築した。
「全体主義の国家は最後には敗れる」「明日は自由主義者が一人この世から去っていきます」。隊員が憲兵や上官の目を盗み、軍に渡した遺当とは別に、食堂の女将鳥浜トメさんらに託した手紙だ。涙さんの孫で館長の明久さん(8)は「平和会館だけでは伝わらぬ姿を伝えたい」と話す。
特攻隊員を逮縁に持つ福」島さん(8)は「記憶が風化し、断片的なエピソードを切り張りした美化が広がっている」と心配する。「原点」と考える遺書は傷みが激しく、2011年、南九州市に、世界記憶遺産への登録を勧めた。市は翌年、準備会を設立。アドバイスを求めた有識者の一人からこう指摘された。
「これまで平和会館が伝えてきた「物語」では、世界に誤解を与える」と。
館内の語り部は、隊員が「命をかけて家族や祖国を守ろうとした」と話す。だが特攻隊員として、九州の別の基地にいた倉掛宮一さん(5)=福岡市=は「志願じゃない。強制ですよ」と訴える。隊員に選ばれ、失神する仲間たち。逃げだして憲兵に捕まり、自殺した人もいたという。「逃げても地獄、突っ込んでも地獄。これが特攻ですよ」
有識者も海外から「美化」ととられぬよう、「当時の実態がわかる説明が不可欠だ」と訴え続けた。
市の担当者は「何が『美化』なのかよくわからなかった」と振り返る。来館者は、涙を流して遺替を読んでいる。戦争を繰り返すなというメッセージは、伝わっているではないかー。
市が運営する平和会館は「なるべく解説をしない展示」を心がけてきた。勝ち目はうすいと知っての無謀な作戦と強調すれば、「無意味な死なのか」と遺族や関係者が反発するかもしれない。右翼団体の街宣車が会館前に来て、構成員が軍服のような姿で行進したこともあった。実態に触れることは、極力避けてきた。
市は有識者に「国内で政治問題になる。むずかしい」と答えた。会館の展示にも、記憶遺産の登録申請にも、有識者の訴えは、反映されなかった。
懸念は当たった。市が今年2月、ユネスコに登録申講すると、中国や韓国が「軍国主義の美化」などと反発した。
英国BBCやエコノミスト誌、豪州のテレビ局なども批判的に報じた。
知覧を知る右翼団体「全日本愛国者団体会議」の矢野隆三議長(B)は「特攻隊員は究極の愛国者。その精神を海外は理解できない」と、記憶遺産への登録には否定的だ。一方で、「特攻は愚かな大将が始めた、二度と繰り返してはならない作戦。負の側面を隠す方がおかしい」とも話す。
「海外の誤解を解きたい」。南九州市の和出勘平市長は、批判も覚悟のうえで、「若い隊員たちの苦悩や葛藤が伝わるよう展示を見直す」と語る。「志願」の強制も含めた当時の実態を知るには、生き残った元隊員への聞きとりが必要だが、高齢化で一刻を争う。「遺書だけ見ればわかってもらえる、という考えは通じないんですね......」