米軍にバカ爆弾とよばれた人間ロケット弾について ~ 米軍の記録写真から見る「桜花」

 

かつて、若者に死を強制し、大人がそれを美しいと賞賛し神格化する国があった。

 

そしてその国ではいまだに、特攻や玉砕が美しいという大人たちがいる。清い死、という神話と、それを政治装置として利用する政治家と、その神殿としての靖国神社護国神社

 

特攻の構造とは何だったのか。

 

その国の国民が、万が一にでも、いまだに特攻の構造から目をそらし、特攻や玉砕を美しいとする言説に惑わされているとしたら、その狂気の深淵を、歴史学から宗教学に至るまでフルレンジで分解点検すべきだろう。

 

高須克弥は、憲法に何が書かれているか、もう一度勉強しなおしなさい。

 

アメリカ軍は、当初、日本軍の一式陸上攻撃機が搭載していた、重く巨大な爆弾を「ギズモ」(「なんかよくわからん仕掛け」的口語) と呼んでいた。まさか日本軍がそれに若者を乗せて飛ばしているなどと、考えもしなかった。

 

4月1日、読谷・嘉手納で米軍が「桜花」を接収

ところが、1945年4月1日、沖縄の日本軍の拠点であった北飛行場 (読谷) と中飛行場 (嘉手納) に米軍が上陸し、その日のうちに2つの日本軍の飛行場を制圧したとき、米軍は同時に桜印の桜花をろ獲。「桜花」のおぞましい狂気の実態を知る。

 

1-13

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Baka bomb found on Okinawa, Ryukyu Islands. AGC-14#272-L※B
沖縄本島で発見された「バカ」爆弾。
撮影日: 1945年 4月 3日

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

f:id:neverforget1945:20200311033107p:plainA Jap ”Baka” bomb, suicide weapon of the enemy airforce, is captured intact on Okinawa, Ryukyu Islands. The snubby, winged weapon is launched by a mother plane at a ship or emplacement. A pilot is locked in the explosive-laden suicide plane before starting his flight to death.
無傷のまま沖縄本島で接収された、日本軍の特攻兵器「バカ」爆弾。寸胴型で翼を持ち、艦載機である母機もしくは砲座より発射される。操縦手は、爆薬が積まれたこの特攻兵器に閉じこめられ、死への飛行に赴く。

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

1-18

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Japanese suicide plane ”Baka Bomb” abandoned by the enemy at Yontan airfield, Okinawa, Ryukyu Islands.
日本軍特攻機「バカ爆弾」。日本軍が読谷飛行場で放棄したもの。沖縄本島にて。撮影地: 読谷

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

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Okinawa, Ryukyu Retto - Left side of the Jap Baka plane. The insignia that appears on the nose of the ship is that of the Cherry Blossom Unit of the Kamikaze or suicide squadron. Baka is the recognition code name for the ship and is Japanese for fool.
左側面から見た日本軍特攻機「バカ弾」。機首のマークは神風特攻隊または自爆中隊「桜花」を表す。「バカ弾」は特攻機に対する識別コードであり、日本語で「ばか者」を指す。沖縄。(1945年)

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

米軍は、日本軍の狂気の産物、接収した自爆ロケット弾を "fool" (NARA) あるいは "stupid" (Pathe) を意味する日本語の "Baka" という認識番号で呼んだ。

 

 

この時点で、日本軍の桜花は、ただのひとつの「戦果」もあげていない。

 

一式陸上攻撃機 (一式陸攻) に総重量二㌧の桜花は重すぎ、相当の護衛機をつけなければ銃弾などかわすこともできない。自爆ロケット弾だけではなく、それを運ぶ母機もろともが追撃される。それでなくても身重な攻撃機の一式陸攻もろとも、目標地点ににつくまでにやられてしまうだろうというのが、声としてあった。それでも計画は変えられることはなかった。

 

1945年3月21日、第1回神雷桜花特攻隊、戦果なし。

1945年3月21日、この人間自爆ロケット弾の任務を負わせられた第一回の神雷部隊が九州沖にむけ出撃する。

 

出撃した一式陸攻18機、桜花15機、戦闘機30機のうち、重い桜花と母機ごと全機が米軍に撃墜され、ゼロ戦は30機中10機が未帰還 (出撃戦闘機のデータに各種あり)。戦果なし。

 

一式陸攻には、通常一機につき、主操縦士、副操縦士、搭乗整備員 (機銃兼任)、射爆員(機銃兼任)、主偵察員 (機銃兼任)、副偵察員 (機銃兼任)、電信員 (機銃兼任)、7~8人が搭乗する。重い桜花を抱いたまま、18機のすべての一式陸攻が犠牲となった。

 

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[証言記録 兵士たちの戦争]“人間爆弾” 桜花 ~第721海軍航空隊~|NHK 戦争証言アーカイブス

 

1945年4月1日、第2回神雷桜花特攻隊。戦果なし

 

再び6機が出撃。濃霧の中、海や山に激突する機が続出。米軍側には戦闘報告はないまま、出撃した6機中4機が未帰還となった。戦果なし。

 

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[証言記録 兵士たちの戦争]“人間爆弾” 桜花 ~第721海軍航空隊~|NHK 戦争証言アーカイブス

 

そんな中、読谷と嘉手納に上陸した米軍が、無傷のままの「桜花」を鹵獲。もちろんだが、米軍の技術者が丹念にその自爆兵器の構造を調査し報告する。

 

アメリカ公文書館の写真から

桜花の隊員が「ああこれがわしの棺桶か」と実感したという、小さな「コックピット」。爆弾制御解除の取っ手と簡単なハンドル。

 

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View of the interior cockpit of the Jap Baka plane on Okinawa, Ryukyu Retto Island.
日本軍特攻機の操縦席。沖縄。 

 

一トンを超える巨大な弾頭が桜花の半分以上の重量を占める。

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US personnel disarming the warhead of an Ohka, Yontan Airfield, Okinawa, April 1945

読谷で、桜花から弾頭を取りはずしている人員。

Yokosuka MXY-7 Ohka - Wikipedia

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Okinawa, Ryukyu Retto - Low Angle Rear View of the Jap Baka plane, showing cone where 3 rockets are placed. These charges may be fired either singly or simultaneously, at the pilots discretion.
後方から低い角度で見た日本軍特攻機。三個のロケット弾が装填される円錐状の箇所が見える。ロケット弾はパイロットが(飛び込もうと)決心した時に一つずつあるいは同時に発射されるのであろう。沖縄。

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Baka's cockpit, looking forward, showing stick and instrument panel. Okinawa.
【和訳】 日本軍特攻機「バカ弾」の操縦席。操縦桿と計器盤が見える。沖縄。撮影日: 1945年

 

一トン以上もの爆弾に推進力を付けただけの人間ミサイル。日本軍は、これ一つで戦艦を撃沈することができるという「特攻」の大義にしがみついた。実際にはほとんど「戦果」がなかったにもかかわらず、だ。

 

沖縄の日本軍拠点 (読谷・嘉手納) で接収された無傷の桜花の分析情報は、米軍だけではなく、連合国にも共有された。

 

ろ獲後、さっそく沖縄の第10陸軍司令部に教育用に展示された桜花。

 

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The BAKA bomb was a new Jap rocket plane which was carried like a torpedo under the fuselage of a standard type mother plane. (Betty, Helen, etc.). It was launched from the parent aircraft in the air and flown by a suicide pilot. The BAKA bomb was 20 ft lone, and had wingspan of 16 feet, and weighed 4200lbs. Construction was of aluminium, plywood, or other types of light wood. The bomb was attached to the plane by a single shackle located forward of the cockpit; it could also be carried and launched at night by a radar-equipped mother plane. Speed average was estimated to be about 400 to 450 miles an hour at level flight. The warhead was made so as to carry 2000 lbs. of explosives. Okinawa.
バカ弾は日本軍のロケット推進ミサイル戦闘機、ベティ (註: 三菱 G4M つまり一式陸上攻撃機の連合軍コードネーム)、ヘレン (註:中島 Ki-49 一〇〇式重爆撃機連合軍コードネーム ) などの母機胴体下から飛び立ちパイロットによって操縦される。バカ弾は長さ20フィート、翼幅16フィート、重さ4200ポンド。アルミニウム、ベニヤ板などからできており一つの掛け金で操縦席の前方に留められている。レーダー装備の母機なら夜も発射可能。平均時速400〜450マイルで、弾頭は2000ポンド(907.2kg)の弾薬を詰められるように設計されている。沖縄。

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Okinawa, Ryukyu Retto - Left side of the Jap Baka plane showing the pilots position. Baka is the recognition code name for the ship and is Japanese for fool. To this date (11 May 1945) the Baka has been little used and has been very ineffective.
左側面から見た日本軍特攻機「バカ弾」の操縦席。「バカ弾」は特攻機に対する識別コードであり、日本語では「ばか者」を指す。この日(1945年5月11日)まで「バカ弾」はほとんど使われずその効果を発揮していない。沖縄。
撮影地: 沖縄 (1945年5月11日)

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This Japanese Baka Suicide Plane was captured on Okinawa, Ryukyu Retto, and is now on display at 10th Army Headquarters. Plane is released by a mother ship, and is driven by rocket propulsion on the tail. A 2250 pound explosive is carried in the nose and the plane is directed to the target by the pilot.
この日本軍特攻機「バカ弾」は沖縄でろ獲され、現在第10陸軍司令部に陳列されている。特攻機は母機から飛び立ち、後部のロケット推進力によって進む。機首には2250ポンドの爆薬を乗せ、目標に向かってパイロットが舵を取る。
撮影地: 沖縄 (1945年7月1日)

 

兵器研究のために本国に送られた。

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A Jap suicide plane captured shortly after Marines and soldiers landed on Okinawa attracts attention on Yontan airfield. Leathernecks and soldiers look it over. Several of the planes were found on the island in original crates straight from the factory in Japan, and were rushed to the U.S. for examination by technical experts.
海兵隊と陸軍兵が沖縄に上陸した直後に鹵獲(ろかく)された日本軍特攻機。読谷飛行場で注目を浴びている。それを調べる海兵隊員と陸軍兵。特攻機のうち数機は、日本本土の工場から出荷された箱に入ったままの状態で発見され、技術者による解析のため急ぎ米国へ送られた。(1945年 4月17日)

NAM (Naval Aircraft Modification Unit) が本国に持ち帰り検証。

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the A Japanese suicide plane ”Baka” captured intact by U.S. Marines when they invaded Okinawa. The plane is being studied by experts at NAM Unit. Baka, has a fuselage nearly 20 ft. long and a 16 ft. wing span. Nose of plane carries a 2,645 pound bomb and back of the cockpit are three rockets which can be fired at same time or alternately. 26 June 1945.
海兵隊が上陸したときに鹵獲(ろかく)した日本軍の特攻機、いわゆる「バカ」。海軍航空機改修部(NAM=Naval Aircraft Modification)の専門家が調査中。全長約20フィート、全幅16フィートで、機首に2645ポンドの爆弾を搭載。操縦席の後方に3つのロケットエンジンがあり、同時または交互に作動させることができる。(1945年6月26日)

 

日本の降伏後にも大量の大型バカを発見

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This jet-propelled suicide bomb, called Baka 22, was to be launched from a large bomber and guided to targets by a Kamikaze pilot. It is larger than Baka II, a rocket-propelled guided missile which was used effectively by the Japanese at Okinawa. Navy Air Technical Intelligence Officers found Baka 22 in the Empire after Japan surrendered.
ジェット特攻機「バカ22」。爆撃機から発射され、特攻隊員が目標に向かって操縦。ロケット機の「バカⅡ」よりも大型。「バカⅡ」は、沖縄戦で日本軍により効果的に使用された。米海軍の技術諜報官が、日本降伏後に「バカ22」を発見。

 

どれだけ「戦果」があがらずとも、桜花の製造は続けられた。

11型は755機、22型は50機。

 

桜花作戦の「戦果」

最終的に、桜花爆弾55名、母機の陸攻365名、援護戦闘機10名、建武隊89名、神雷爆戦隊9名、神風特別攻撃隊187名、その他戦死・殉職者で114名の合計829名。この犠牲でもって撃沈することができた駆逐艦は、4月12日の駆逐艦マンナート・L・エイブル、一艦だけであった。

 

桜花の戦歴

3月21日 九州沖航空戦において四国沖の機動部隊に向け第一回神雷桜特別攻撃隊出撃(陸攻18・桜花15・戦闘機32)。母機ごと桜花全機撃墜・護衛戦闘機1喪失。戦果なし
4月1日 沖縄上陸部隊に向け第二回神雷桜特別攻撃隊出撃(陸攻6・桜花6)。LST1隻大破・輸送艦1隻小破。突入2を含め陸攻桜花各4喪失
4月2日 第一建武隊出撃(爆装零戦30)、揚陸艦1隻大破 突入機を含め4機喪失
4月3日 第二建武隊出撃(爆装零戦22)、護衛空母ウェーク・アイランド中破。突入を含め6機喪失
4月6日 第三建武隊出撃(爆装零戦19)、戦果なし・18機喪失
4月7日 第四建武隊出撃(爆装零戦12)、正規空母ハンコック損傷・突入1を含む9機喪失
4月11日 第五建武隊出撃(爆装零戦16)、戦果なし・13機喪失
4月12日 第三回神雷桜特別攻撃隊出撃(陸攻8・桜花8)。駆逐艦マンナート・L・エイブル撃沈。同スタンレー大破。陸攻2機帰還。(註・6機喪失)
4月14日 第四回神雷桜特別攻撃隊出撃(陸攻7・桜花7)。全機喪失第六建武隊出撃(機数不明)、戦果なし・6機喪失
4月16日 第五回神雷桜特別攻撃隊出撃(陸攻6・桜花6)。戦果なし4機喪失桜花5機喪失。第七建武隊出撃(爆装零戦12)、戦果なし・9機喪失第八建武隊出撃(爆装零戦12)、戦果なし・5機喪失
神風特別攻撃隊出撃(零戦32機)
4月28日 第六回神雷桜特別攻撃隊出撃(陸攻4・桜花4)。戦果なし陸攻2・桜花3帰還。
4月29日 第九建武隊出撃(爆装零戦12)。駆逐艦ハガード、同ヘイゼルウッド撃破・10機喪失
5月4日 第七回神雷桜特別攻撃隊出撃(陸攻7・桜花7)。駆逐艦シェイ撃破。陸攻5喪失、桜花6喪失

5月11日 第十建武隊出撃(爆装零戦4)、戦果なし・全機喪失
第八回神雷桜特別攻撃隊出撃(陸攻4・桜花4)。駆逐艦ヒュー・W・ハッドリー撃破・陸攻1・桜花1帰還。陸攻桜花各3喪失
5月14日 第十一建武隊出撃(爆装零戦5)、戦果なし・全機喪失
5月25日 第九回神雷桜特別攻撃隊出撃(桜花3機、陸攻3機)
6月22日 第一神雷爆戦隊出撃(爆装零戦8)、戦果なし・7機喪失
第十回神雷桜特別攻撃隊出撃(陸攻6・桜花6)。掃海駆逐艦エリソン・揚陸艦2籍撃破。陸攻桜花各4喪失
8月11日 第二神雷爆戦隊(爆装零戦5)、戦果なし・2機喪失

第七二一海軍航空隊 - Wikipedia

 

大人たちが送りだした特攻

 

死ぬことを運命づけられた特攻の若者たちは、死と隣りあわせの妙な明るさの中で、ただただ現実を受け入れるしかなかった。

 

夜中に外に出て声にならぬ声で叫ぶ者もいた。寺の門をくぐり、住職に「死とは何か」を聞く者もいた。住職はこう答えたという。

 

我々僧籍のもんが、その魂を、永久に弔いしますから。安心して行ってください。

 

人殺しをしても、死んで極楽にいけるんですかという問いには、

 

あなた、国のために行かれるんですけ、絶対あの、地獄行くようなことは絶対ありません。

 

実家は仏教なのに、靖国や護国の「神」になったらどうするのだろう、という、しごくまっとうな問いかけには、

 

昔は、神さんも仏もな。一つじゃったんですね。それで、安心してください。その後、色んな、偉い人が出てきて。何宗じゃ、かに宗じゃ言うのを作ったが。昔は一つじゃったんじゃから、そう心配することは要りません。

 

こうやって、宗教者までもが若者たちを特攻に押しだしたのだ。

 

証言記録「“人間爆弾”桜花 ~第721海軍航空隊~」ぜひパソコンをテレビに接続し、ご家族でご覧ください。

人間爆弾「桜花」 ~第721海軍航空隊~ from Aaron Williams on Vimeo.

 

 

 

なぜこの国の人々は真実とはほど遠い特攻や玉砕の「美談」に酔いしれるのだろうか。そこにはどんな政治的宗教的力学が潜んでいるのだろうか。

 

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中森明夫「戦争のおかげで」発言 ← いい年して沖縄戦の本質を何も知らないこの国の「大人」について - ご近所のネトウヨさん

 

いまだに、お国のために死ぬことは美しいと、若者たちに言い聞かせる大人たちが、この日本にうようよといる。

 

そんな言葉は、

若者たちを死に追いやる醜いまやかしでしかないということを、

辛抱強く子どもたちに伝えてほしい。

 

大田正一。桜花を立案し、「俺が乗る」とゴリ推しした男は、戸籍を消し、名前を変え、生き延びた。

 

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