ここまで情報があれば、なんとか、搭乗していた隊員も特定できるのではないかと思い、まとめておきます。
尾翼に「牽牛」(けんぎゅう) と銘のある双発機。牽牛とは、年に一度、7月7日の七夕の夜に天の川を渡って彦星と織姫が出会うという牽牛・織女伝説の牽牛に由来する。
1945年7月2日の米海軍の記録写真では、本部(もとぶ)半島の南側の海岸で発見されたとして記録されている。
米国海兵隊:Jap plane found on south coast of Motobu Peninsula--Rudder Assembly. 本部半島の南海岸で発見された日本軍機の方向舵。1945年7月 資料コード:0000112271 写真番号:87-03-3
米国海兵隊:Jap plane found on south coast of Motobu Peninsula. 本部半島の南海岸で発見された日本軍機。1945年7月2日 資料コード:0000112287 写真番号:94-30-1
米国海兵隊:Side view of Jap plane found on South coast of Motobu Peninsula. 本部半島の南海岸で発見された日本軍機の側面。1945年7月 資料コード:0000112287 写真番号:94-38-2
九九式双発軽爆撃機で尾翼のマークと白いラインに特徴があるのは・・・飛行第90戦隊とみてよいだろうか。
飛行第90戦隊/軽爆撃機隊(隼魁第2381)
◆使用機種
九七式軽爆撃機、九九式双発軽爆撃機◆部隊史
飛行第九大隊を改編。第三飛行集団隷下。
飛行第90戦隊第3中隊所属機、“牽牛号” のプラモデル !
●飛行第90戦隊第3中隊所属機、“牽牛号”を再現いたします。本機は昭和20年春の沖縄戦に出動し、九州沿岸に不時着した機体です。塗装は上面:暗緑色、下面:灰緑色。マーキングは垂直尾翼の“牽牛”及び横位置の帯が白色、90を図案化した円形の戦隊マークと縦位置の帯が黄色です。
おっと、これだ。すごいなあこのサイト ⇩ カラー写真もまだほとんどない時代のものを、どのように調べているのだろうか。
これが牽牛だわ。
II型 飛行第90戦隊第3中隊 沖縄
99双軽における特攻
何度も特攻出撃し、何度も生還した佐々木伍長の話が有名です。私も生前の佐々木さんのインタビューを見ました。佐々木さんは本当に素直な人なんだと思いました。若い頃の写真にもそれがわかります。それと心で動く人だと思いました。岩本大尉への信頼が70年以上経っても伺えました。
飛行機乗りにしてみれば、ヤリのような信管を付けた双軽を見たときは愕然としたと思います。愛機でもあった双軽がただの人間爆弾になっていたのですから。佐々木さんは何回も生還できた要因はいくつか考えられます。
一、心酔する岩本大尉の言葉。二、岩本大尉の双軽における急降下爆撃という無謀な作戦への厳しい訓練のおかげで操縦が熟練していたこと。(双軽は急降下は無理です。できて降下角度30度くらい)三、岩本大尉が双軽を改造して爆弾を手動で落とせるように改良したこと。四、岩本大尉や上官たちが意味のない命令のために無駄死にしてしまったこと。五、レイテ湾で目標になったのが輸送船が多かったこと。 --佐々木さんには体当たりしなくても急降下して爆弾を落として帰ってくる操縦は楽勝だったのでしょう。
最後は自分も特攻出撃すると出撃する隊員たちを鼓舞した猿渡大佐が自分を命令で殺そうとしたこと、そして隊員を置いて台湾に逃げたと知ったときは意地でも死ぬまいと思ったでしょう。ただ、終戦後引き揚げ時に彼を見た時に何か言いたかったんじゃないかとインタビューアーが聞いたとき、何か言ったら刺し違いになるからと。それより母に会いたかったと。それを聞いて、佐々木さんは狂気の戦争の中でも人間を失っていなかったんだと思いました。
だれもが、シロウト考えで申し訳ないんだが、なぜこんな立派なのものを、得難く優秀な若者を張り付け、特攻として「消費」しなければならないのか、日本軍は最低限のコスト・ベネフィット・アナリシス (損益分析) をした上での戦略を立てていたのか、正直なところを聞きたいものだ。
川崎 キ48 九九式双発軽爆撃機
米軍は通称 lily と呼んだ。
The pilot of the Japanese Ki-48 “Lily” bomber (Type 99) of the Imperial Army Air Force at the helm of his aircraft. Ki-48 (Type 99) – medium two-motor Army bomber. Crew of 4 people. The Allies had a code name – “Lily”.
The pilot of the Japanese Ki-48 Lily bomber at the helm of his aircraft
米国海兵隊: Instrument panel for Jap plane found on south coast of Motobu Peninsula.
本部半島の南岸で発見された日本軍機の計器盤。1945年7月 資料コード:0000112287写真番号:95-02-3
米国海兵隊:Portion of pilot cockpit. 操縦席の一部。1945年 7月20日 資料コード: 0000112287 写真番号:95-02-2
米国海兵隊:Gunner's turret--rear view--on Jap plane found on south coast of Motobu Peninsula. 本部半島の南岸で発見された日本軍機の砲手の機銃座(後方からの写真)。1945年7月 資料コード:0000112287 写真番号:95-01-4
米軍が所沢陸軍航空整備学校から接収した九九式双発軽爆撃機の図面。四人乗り。
Manual for operating Type 99 (Models 1 and 2), twin-engined light bomber, published by Tokorozawa Army Air Maintenance school, October 1944. Report No. 15n(13), USSBS Index Section 2 (文書名:Records of the U.S. Strategic Bombing Survey ; Entry 41, Pacific Survey Reports and Supporting Records 1928-1947 = 米国戦略爆撃調査団文書 ; 太平洋地域調査報告書及び作成用資料) (シリーズ名: The Aircraft Industry (final report and original draft): Publications and manuals in Japanese only)
飛行第90戦隊は1945年4月から5月にかけて宮崎県の新田原基地から沖縄方面に出撃していると記録されている。
1945・4・18 沖縄北・中・伊江島
1945・4・28 沖縄 新田原
1945・5・18 沖縄 新田原
1945・5・24 沖縄 新田原
1945・5・28 沖縄 新田原(参考: 村井信方編『飛行第90戦隊史』飛行第90戦隊会1981年)
新田原から出撃した飛行第90戦隊の記録になにか手がかりが残っているのではないか。
あるいは、ほとんど損傷がない状態であるで、沖縄に配備する予定だった特攻機だったのかもしれない。
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