南風原・喜屋武区の壕

 

南風原・喜屋武区の壕

4人の遺骨眠る?~ 野原さん「米軍機にやられた」

 南風原町兼城十字路から県道5号を大里村へ向かう。昨夏、公開された映画「ひめゆりの塔」のロケ現場跡地と看板が掲げられた辺りが同町喜屋武区。そこに4柱が眠っていると思われる壕がある。区の西はずれにある野菜畑の傍らにこんもりとした雑木で覆われた所がその壕の位置。入り口は全くふさがり、跡形もないが、壕の中程と思われる個所にポッカリと一つの穴があいている。

 

 「四つの遺骨が埋まっているのは多分この壕だと思う」―と証言するのは野原広正さん(70)=同町喜屋武=と野原広啓さん=同=の2人。広正さんは戦時中に聞いたことだと話し、広啓さんは戦後になって、自らはっきり見たと語る。それぞれの証言が同一壕の話か確証はないものの、前後のいきさつからすると、2人とも同じ壕について話していると思われる。

 

 「あれは女房らを山原に疎開させた後だったから、4月の末ではなかったか。親類同士4世帯が入っていた私らの壕に1人の防衛隊員が入って来た。ついさっき、壕内にいる時米軍機に仲間4人がやられたと言ってね。中頭出身の人だった。その時は出身地の名も聞いた記憶があるが、もう覚えていない。足にけがしてたようだったが、たいした傷でもなかったんだろう、手当てもせずに水だけ飲んで出て行った」と広正さん。

 

 時間は日の暮れる30分ほど前だった。その時刻は民間人も兵隊も畑にイモを掘りに行ったり水をくんだりしていた時間。「やられた防衛隊員も恐らく食事の準備でもしてたんだろう。米軍機に見つかって急いで壕に逃げ込んだに違いないが、壕もろとも爆撃されたのでは」ともつけ加えた。

 

 もう1人の証言者・広啓さんはこう話す。「その遺骨は木材に頭を挟まれて横たわっていた。私が下りていったのは壕の中ほどにある縦穴からだが、本来の入り口からその遺骨が見える辺りまでは崩れ落ちていた。奥の方はまだ埋まってなくて、真空管やコード類、ブラウン管のような物まで電気製品の部品が散乱していたから軍が使っていた壕だと思う」。

 

 広啓さんが昭和22年8月ごろ、この壕に入り込んで白骨を見つけたのは全くの偶然から。「終戦直後、この辺りは焼け野が原。バラック小屋でも建てようと思えば、壕で使われていた木を探すよりなかった」と区の近くにある壕内から気を集めていたからだ。

 

 「私が下りていった穴は、入り口が直撃で崩れたショックで陥没したような穴。そこから入り口まで約7、8メートルもあるだろうか。土砂で埋まっている下には、もっと遺骨があるかもしれない」―と広啓さんは言う。

 

 先日、南風原町援護係・城間正喜さんに案内されて訪れたその壕跡は、喜屋武区から、そう離れてはいない。三十数年前、“ハゲ山”だった辺りは木々の緑で包まれている。平和のたたずまいの中で、戦争映画のロケで静寂を破ることもある、沖縄戦最激戦地の一つ喜屋武。壕に埋もれた“無縁仏”は、何を思っているだろうか。

(「戦禍を掘る」取材班)

1983年9月13日掲載

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