沖縄守備軍32軍参謀『神日誌』の「政府に対する連絡」、その驚くべき内容とは ~ 差別と不信感「沖縄守備軍」の実態

 

航空参謀 神直道 の脱出

1945年5月30日頃、米軍迫る首里の司令部壕から一人の参謀が本土に脱出する。沖縄戦への航空支援を要請するため、といい、そしてその脱出は成功する。

 

第32軍司令部壕は首里城地下にあり、直線距離にして約375m、壕の総延長は約 1,000mと推定されています。

第32軍司令部壕とは?|首里城の地下に作られた軍司令部の壕群調査・取組|第32軍司令部壕

 

 

 

戦後、沖縄戦の航空参謀であった神直道は、景教の研究者となり、靖国神社国営法にも反対スパイ論の否定、また軍による飛行場用地の強制接収について沖縄県のために証言するなどしたが、

 

沖縄戦当時、彼が沖縄の糸満漁師を招集しクリ船で沖縄を脱出した際、大切な秘密情報だと抱えていた書類には、いったい何が書かれていたのだろうか。

 

『神日誌』の中には、知れば6人の糸満漁夫も参謀を荒海に投げ出したくなるような、そんな驚くべき第32軍の記録が、そこに記されていた。

 

神日誌「政府に対する連絡」- その驚くべき内容とは

彼が持ち帰った『神日誌』には、沖縄脱出に際してだろう、日本政府への連絡事項の「政府に対する連絡」が記されている。

 

 神日誌 其2 第32軍参謀 陸軍中佐 神直道 (pdf 4 pp. 337-336)

 

政府に対する連絡

二、沖縄県人は支那人に似る、精神的中核なし、かつ無気力神社仏閣、極少

(註・ここでわかることは、日本軍は大陸からの植民地での侵略戦争の延長として沖縄に入ってきているということであり、老若男女、全県民を不眠不休で飛行場建設に動員、常識では考えれないほどの突貫工事をさせたのは、神参謀本人であったはずだが、にもかかわらず、沖縄人に対して怠惰で無気力という典型的なレイシズムの眼差しを差し向ける。さらに植民地で皇民化教育の装置として神社を設置したように、沖縄にもさらに神社が必要と考えている。)

 

三 軍隊に対する態度 消極的に協力
 (一)軍隊が来たから我々が戦闘の渦中に入りたりとするもの、すこぶる多し
 (二)学徒(防召)は駄目なり 召集しても皆自家に逃げ帰り 召集解除のやむなきに至る

(註・実際には学徒の召集は解除されておらず、大人と違い、反抗することも、死を恐れることも教えられなかった学徒たちは、時として兵士よりも厳しい斥候や連絡係、斬り込み、看護を強いられ、沖縄島で召集された学徒の半数以上が戦死している。首里の地下壕でも多くの学徒兵が使役されていたはずであるから、これも自明の偽情報である。)

 

 (三)本県人のスパイ 甚だしきは落下傘にて潜入(本県人)を目撃 追跡せることあり 電話線の故意切断

(註・これも典型的に流布された縷言であるが、それを事実のように記載。戦後のインタビューで、神直道は「精神異常者」がスパイとして連れてこられた、また「実際のことは知らない」と語っている。see. 神直道「逃げろとは言えなかった」 - Battle of Okinawa)

 

 (四)弾丸の中でも金をやらねば物資を分けてくれぬ 何を考えているか分からぬ

(註・補給 (ロジスティクス) なき日本軍の常として、第32軍は物資や労力をとことんまで地元から強制徴発し、労働力、食糧から、材木・石材、モッコや牛馬に至るまで住民に依存した。弾丸のなかでは、女性から老人に至るまで前線に弾薬運びをさせられ多くの県人が戦死している。また軍刀を振るっての徴発に代価が支払われた形跡はほとんどない。金を払うという当然のことすらしていないのに、金をやらねば、などと、いったい何を考えてるのか分からない。金は払ったとでもいうのだろうか。)

「神日誌」第32軍参謀 陸軍中佐 神直道 (2-4 pp. 337-336)

 

実際、驚くべき内容である。極めて差別的であるだけではなく、明らかに神参謀が知りえていただろう事実から大きく異なる、意図的な偽情報が列挙されている。

 

これは、神参謀の個人的な覚書ではなく、おそらくは第32軍司令部の特使として帰還した際に、日本政府に対して連絡する内容をまとめたものと思われる。

 

こうした報告にある意図は、第32軍は自らの敗北を、沖縄県民のせいだと責任転嫁して政府に報告したかったものと思われる。神直道の後に脱出した森脇弘二中尉も脱出して本土についた途端に沖縄戦は沖縄人のスパイのせいで負けたと言いふらしたという。

 

これが「沖縄守備軍」と呼ばれた「皇軍」の、実態であった。

 

県庁と県警「警察別動隊」の結成

翌日の5月11日、県側もまた本土に派遣団をおくる。そうする必要性があったからである。これまで、県庁も県警も全面的に軍に協力し、米軍に協力する県民はスパイとして殺せという命令まで出していたほどである。第32軍と同じ内容であれば派遣する必要はない。神参謀の日本政府への驚くべき報告の内容を海軍を通して知り、独自の対応を迫られたのかもしれない。

島田と荒井が沖縄戦に敗色を感じ、緊急対策を講じ始めるのはこのころからである。… (296頁)

 

… 島田や荒井の慌ただしい動きから見て、大田少将ら海軍側から切迫した戦況について情報を得たと思われる。なぜなら、… 証言によれば、長参謀長はこの期に及んでも、戦況を聞きに来る警察部の情報連絡員や新聞記者に対し「もはや諸君は情報を聞く必要はない。そんな暇があれば、早くちょうちん行列の用意をしろ」とはぐらかし、島田や荒井に対しても、ありのままの戦況を腹を割って話すことはなかったからである。(297頁)

 

内務省への通信手段も制約され、わずかに電信で緊急重要事項だけでは発信しているが、これとて間もなく出来なくなる見通しだ。沖縄戦が始まってから今日まで、県民は砲弾の飛び交う中で時給自足のための食糧の増産に励み、日本軍の後方作戦にも協力し、我が国の勝ちを信じて献身的に働いて来たこの県民の姿を内務省に報告しておかなければならないが、現実はその手段がない」… 荒井は思い切ったように、再び口を開いた。

「そこで、内務省への報告の重責を負ってもらう警察特別行動隊(通称・警察別動隊)を編成することにした。君は今、警備中隊の分隊長として活動しているが、別動隊の隊員として沖縄を脱出し、あらゆる手段で東京へ行き、内務省沖縄戦の戦況を克明に報告してもらいたい」

《「沖縄の島守 内務閣僚かく戦えり」(田村洋三/中央公論新社) 300-304頁より》

 

この時点で、県側の警察別動隊のバックアップを申し出たのは、小禄の海軍司令部だった。陸軍第32軍は、自らの首里司令部壕の防備のため、小禄の海軍の主力部隊を鳥の羽のようにむしり取り始める、その頃のことである。

 

5月12日、別動隊職員が小禄の海軍壕を訪れた際には、主力の実働部隊をすべて抽出された混乱の中で、別動隊を支援はする話はどこかに消えてしまったが、6月6日、海軍大田中将は、最期の電文で県知事にかわって県民の状況を述べる。

 

東京新聞「元陸軍参謀のメモが語る沖縄戦」(2010年)

以下、東京新聞の2010年の記事をアーカイヴしておく。記事では、神参謀の報告内容のめて差別的な個所は省略してある。

 

こちら特報部-元陸軍参謀のメモが語る沖縄戦

東京新聞

2010年2月23日

 

 「神(じん)日誌」と題した報告書がある。沖縄戦を逃れた元陸軍参謀が残したメモ集で、戦時下の沖縄県民が日本軍にいかに非協力的だったかと告発する驚くべき内容だ。視点を変えれば、沖縄県民の慟哭(どうこく)と怒りの声が文字の向こうから聞こえて来るような貴重な資料でもある。普天間移設問題が迷走中。辺野古陸上案も急浮上した。また沖縄に犠牲を強いる事態にはならないだろうか。結論を出す前に歴史に学びたい。

 

「政府に対する連絡
一 (略)
二 沖縄県人は(略)精神的中核なし 且(かつ)無気力 神社仏閣極少
三 軍隊に対する態度 消極的に協力
 例

(一)軍隊が来たから我々が戦闘の渦中に入りたりとするもの頗(すこぷ)る多し
(二)学徒(防召)は駄目なり 召集しても皆自家に逃げ帰り 召集解除の止(や)むなきに至る(略)」(原文のかなは片仮名)

 

 沖縄戦に関する資料を集めた内閣府沖縄戦関係資料閲覧室(東京都千代田区)にある「神日誌」(写し)。一部の研究者には知られた同書には、沖縄県民が旧日本軍への協力に消極的だったとつづられた部分がある。

 

(三)本県人のスパイ 甚だしきは落下傘にて潜入(本県人)を目撃 追跡せることあり 電話線の故意切断
(四)弾丸の中でも金をやらねば物資を分けて呉(く)れぬ 何を考えているか分からぬ」

 

報告は沖縄県民をスパイ扱いしている。

 沖縄戦で指揮を執った大田実海軍中将が沖縄県民の奮闘ぶりを伝えた有名な電報と、かなり趣を異にしている。

 

 大田中将の電報は「県民は青壮年の全部を防衛召集に捧(ささ)げ(略)若き婦人は(略)看護婦 烹炊婦は元より砲弾運び(略)」までしたと伝え、「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と訴えた。

 

 日誌を残した陸軍の神直道中佐とはどんな人物だったのだろうか。

 神氏の著書「沖縄かくて潰減(かいめつ)す」などによると、1911(明治44)年仙台市に生まれ、陸軍士官学校を経て、航空部門を歩み、大本営参謀などを経て、少佐だった1945年3月に参謀として沖縄に赴任。その後、中佐に昇進。98年に亡くなった。

 

 米軍が沖縄を激しく攻撃していた45年5月末、神氏は上官の命令で沖縄脱出に挑む。漁師の支援を受け、糸満から小舟で夜陰に紛れながら10日あまりかけて鹿屋基地へ。東京に戻り、戦況を伝えて援軍を求めた。

 

お互い不信感

 大田中将の電報と大きく食い違うメモは、このころに書かれたらしい。沖縄戦に詳しい関東学院大林博史教授は、根底には軍と県民側は、沖縄戦前から双方に不信感があったとみる。

 

 「軍内部には沖縄県民に対して『もともと日本ではなかった。言葉も通じないから、何を考えているか分からない』との不信感があった。沖縄県民側も、最初は日本軍に期待していたが、戦闘が進行するにつれて『軍が来たからこんなことになった』との思いが強くなった。それまでに徴用や食料供給などでひどい目にあってきたので、最後は逃げたのだろう」

 

 「そんなことを書いていたなんて、信じがたい」。琉球大学名誉教授の大田昌秀・元沖縄県知事は神日誌の内容に驚く。大田氏は沖縄師範学校在学中に鉄血勤皇隊に動員され、沖縄戦を戦った。当時、首里の司令部壕(ごう)で何度も神氏の姿を見かけた。三十代で意気盛んだったという。その神氏と大田氏は終戦後、言葉を交わした。東京で学生生活を送っているところを訪ねて来たという。

 

 話題は、飛行場を造るために軍が接収した沖縄の農地の返還訴訟だった。「私が農地を取り上げた本人。裁判で証言してもいい」と神氏は語った。言葉から、沖縄への謝罪の気持ちがにじみ出ていた。その時の印象と日誌の記述は、大きく食い違っている。

 

 さらに、沖縄戦最終盤に神氏が本島を脱出した経緯にも触れる。

 「神氏は敵の包囲を突破し、糸満から東京へ戻った。糸満の漁師ら数人が決死の思いで協力したから、奇跡の帰還が成功した。県民を悪く言うとは思えない」

 沖縄県民には生命、財産など持てる物すべてを投げ出して日本軍に協力したという思いがある。「日誌の内容を知ったら県民はたいへん怒るだろう」と大田氏は語る。

 

 しかし、日誌が沖縄県民を痛烈に批判しているのも事実。そのように書かれるに至った理由は陸軍内の対立とみる。

 大本営から来た八原博通大佐は持久戦を主張したのに対し、やはり大本営から来た神少佐(当時)は航空作戦だった。そして八原大佐に軍配が上がった。「神氏は地元の人を徴用して飛行場を十数カ所造った。しかし、米軍に使われてはいけないと壊した。そこから住民と対立が生じたかもしれない」と話す。

 

 では、日誌に書かれた「スパイ疑惑」は事実だったのだろうか。

 「神氏はほとんど壕にこもっていた。分かるはずはない。スパイとして処刑された人はいたが、八原大佐も『根拠はなかった』と認めている」と全面否定する。

 前出の林氏も「日本軍が負けたり、不利になったりするとスパイ論は必ず出てくる。負けるはずのない天皇の軍隊が、スパイのために苦戦しているのだと。シンガポールもそうだった」と話す。

 

 軍と県民と相互に芽生えた不信感。

 大田氏は「沖縄防衛軍ができた時、島外から来た兵隊が『お前らも守ってやる』と偉そうに振る舞っていた。しかし、実際には食料、水を奪われ、自分たちが掘った壕からも追い出された。ぬれぎぬで殺された人もいた」と振り返る。

 沖縄戦での県民の犠牲者は軍の犠牲者を上回ったとする説もある。「米軍より日本軍が怖い」という当時の発言も記録に残っている。

 

 そして60年以上を経た今も、悲惨な戦争の記憶は消えてはいない。だからこそ県民は基地の存在に敏感だ。

 「沖縄は現在も米軍の占領下にある。安保は国益、アジア、太平洋地域の平和のために不可欠と政府は説明するのに、本土はその負担を引き受けようとしない」と大田氏。実際、日本にある米軍基地の75%が沖縄に集中。港も米軍管理の所が多く、本島の上空域の半分近くが振られている。基地を押しつけられる状況を「沖縄差別」ととらえ、政府への反発が強まっている。

 

 大田氏は「沖縄独立を主張する政治団体などの看板が公然と掲げられるようになっている」と、現況を説明。「県民は基地にうんざりしている。環境保護の面からも問題がある辺野古普天間飛行場を移設すれば政府、民主党への信煩は失われるだろう」と警告する。

 

神直道は戦後のインタビューでこう語っている。

軍隊は敵のせん滅が役目。住民を守ることは作戦に入っていなかった。

沖縄戦を生きのびた参謀 ~ 神直道「軍隊の目的は、国民を守るものではない」 - Battle of Okinawa

 

そして住民を守ることは今も作戦に入っていない。

考えてみてほしい。米軍も自衛隊も、美しい言葉で基地を作るが、住民に具体的な住民救済の方法や避難経路を示したことがあるだろうか。

それはそもそも、作戦にも目的にも入っていない。

 

住民は大事だが作戦にとっては足かせになる。純粋に軍事的な立場からは住民を守るゆとりはない

沖縄戦を生きのびた参謀 ~ 神直道「軍隊の目的は、国民を守るものではない」 - Battle of Okinawa

軍は住民をこれでもかというほど利用するが、いざとなると「足かせ」といい、弾雨の中に追い出す。

 

そして敗色濃厚となれば、住民はスパイだ、住民のせいだ、と責任転嫁し、住民に刃を向けるのである。

 

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