毎日新聞 2023/6/23「機銃掃射、マラリア…510キロ離れた与那国島にも爪痕残した沖縄戦」

 

毎日新聞与那国島にも爪痕残した沖縄戦

機銃掃射、マラリア…510キロ離れた与那国島にも爪痕残した沖縄戦

6/23(金) 16:00配信
毎日新聞

 

1944年10月の空襲体験などについて語る大朝ハツ子さん=沖縄県与那国町で2023年6月12日午後0時28分、宗岡敬介撮影

 1945年4月1日に米軍が沖縄本島に上陸し、約3カ月にわたる日本軍との地上戦となった太平洋戦争末期の沖縄戦。地上戦がなかった沖縄県内の島々にも度々、米軍やイギリス軍の攻撃が加えられた。沖縄本島から約510キロ離れた与那国島でも44年秋以降、集落や日本軍の「見張り所」が攻撃され、避難中にマラリアにかかって命を落とす人も出た。島は日本の国境に位置し、台湾や中国に近い。空襲で家を焼かれた大朝(おおとも)ハツ子さん(87)は言う。「戦争だけは繰り返さないで」

【写真で見る沖縄戦】投降者に銃を向ける海兵隊

 44年当時、大朝さんは島の国民学校(今の小学校)の3年生だった。カツオ漁師だった父は兵員補充のための「防衛隊」として召集され、母らは学校の運動場で竹やりを突く訓練をするなど、島にも戦争の足音が近付いていた。大朝さんの家では空襲に備え、畑近くに掘っ立て小屋を作って着物や鍋などを運び込んだ。

 44年10月、幼い妹をおぶってガマ(自然洞窟)に向かう途中だった。飛行機の音が聞こえた。空襲警報はなく、集落の人たちは「友軍(日本軍)の飛行機だ」と万歳を繰り返した。その直後、「ピュッ、ピュッ、ピュッ」と音がした。飛行機は米軍の機体で、突然の機銃掃射に、大朝さんは慌ててガマに逃げ込んだ。

 集落には焼夷(しょうい)弾が落とされ、大朝さんの家も焼けた。「高い煙突のカツオ節工場があり、そこを目がけて攻撃された」と大朝さんは振り返る。与那国町史には、44年10月13日、久部良(くぶら)集落が米艦載機に攻撃され、大半が焼失したとある。「あのときは地獄だった」。焼け野原になった光景が大朝さんの記憶に残る。

 一家は焼け残った掘っ立て小屋で生活したが、ガマや山中に避難した住民の中にはマラリアに感染して命を落とす人が出た。大朝さんの同級生もその一人だったという。患者を見舞うために両親が外出する度、幼かった大朝さんは「米軍機の攻撃に遭わないか」と不安に襲われたという。

 空襲はその後も続いた。町史によると、島の宇良部(うらぶ)岳山頂にあった日本軍の見張り所が米軍の攻撃対象となり、兵士が機銃掃射の犠牲となった。45年春になると、米軍に代わってイギリス軍機が飛来し、攻撃を加えた。

 沖縄戦終結から78年。国境にある与那国島には今、陸上自衛隊の施設が置かれ、ミサイル部隊の配備も計画される。台湾有事の可能性がささやかれ、町は有事に住民が逃げ込むシェルター整備を国に求めている。「お互いが理解しあい、世界がいい方向へ向かってほしい」。島で育つ子や孫の将来を案じ、大朝さんは願う。【宗岡敬介】

https://news.yahoo.co.jp/articles/f76c0b1a9ffef050c85e5538ed1faa554dbcda0c

 

中日新聞沖縄戦の記憶が蘇る」

週のはじめに考える 沖縄戦の記憶が蘇る
中日新聞 2023年5月14日 05時05分 (5月14日 05時05分更新)


 沖縄県はあす本土復帰から五十一年を迎えます。県内には復帰前同様、多くの在日米軍専用施設が残り、日本側への返還は進んでいません。名護市辺野古では米軍基地の新設も強行されています。
 中国の軍事的台頭を受けて、自衛隊の離島配備も進みます。日本の領域を防衛するためとされますが、沖縄県民には七十八年前の沖縄戦=写真は旧日本軍が機銃陣地として使用していた教会、沖縄県公文書館所蔵=で、軍が住民を守らなかった記憶が蘇(よみがえ)ります。
 戦後二十七年間の米軍統治に苦しんだ沖縄県民が一九七二年の本土復帰で望んだのは「基地のない平和の島」でした。しかし、期待は裏切られ、県内には今も在日米軍施設の70%が集中します。
 復帰のころ本土と沖縄県在日米軍施設の比率は四対六でした。今では三対七に広がっています。本土では住民の反対などで米軍施設の閉鎖、日本側への返還が行われたのに対し、沖縄では遅々として進んでいないからです。
 沖縄では米軍だけでなく、自衛隊も着々と増強されています。
 鹿児島県から日本最西端の沖縄県与那国島まで千二百キロに及ぶ南西諸島は長い間、沖縄本島以外に陸上自衛隊部隊が配置されていない「空白地域」でした。
 しかし、中国の軍事的台頭と海洋進出の加速を受けて南西地域防衛の強化が打ち出され、与那国島に二〇一六年、情報収集を任務とする沿岸監視隊が発足します。
 一九年には沖縄県宮古島と鹿児島県・奄美大島に、今年に入り沖縄県石垣島に駐屯地が開設され、ミサイル部隊が配備されました。与那国には電子戦部隊とミサイル部隊も置かれる方向です。
自衛隊の配備が相次ぐ
 二二年十二月に改定された国家安全保障戦略など安保三文書は沖縄を「安全保障上極めて重要な位置にある」と明記し、沖縄に駐留する陸自第一五旅団の師団化やミサイル部隊の増強、有事に南西諸島に人員や装備を輸送する機動展開能力の向上などを打ち出しました。「基地のない平和の島」どころか逆行する動きが続きます。
 玉城デニー県知事は今年二月、県議会で次のように語りました。
 「安保環境が厳しさを増していることは認識するが、二度と沖縄を戦場にしてはならないとも考える。国民的議論や地元への説明がないまま、沖縄を含む南西地域を第一線とする安保三文書が策定されたことは、激烈な地上戦の記憶と相まって、県民に大きな不安を生じさせる」
 知事をはじめとする県民が自衛隊配備に不安を感じる背景には、太平洋戦争末期の沖縄戦があります。民間人を巻き込んだ激烈な地上戦で当時の県民の四分の一が犠牲になりました。
 旧日本軍の軍人がガマと呼ばれる自然の洞窟に避難していた住民を追い出したり、住民を集団自決に追い込んだという証言が残ります。沖縄の人々にとって軍隊は住民を守る存在ではないのです。
 加えて、沖縄県民を不安にさせているのが、岸田文雄政権が「憲法の趣旨ではない」とされてきた「敵基地攻撃能力の保有」を容認し、外国の領域を直接攻撃できる長距離ミサイルを沖縄に配備する方針を打ち出したことです。
 安倍晋三政権が成立を強行した安保関連法で、歴代内閣が違憲としてきた「集団的自衛権の行使」が可能になっていますから、台湾有事で米中の武力衝突が起き、政府が日本の「存立危機事態」に当たると認定すれば、集団的自衛権を行使して他国同士の戦争に加わる可能性は否定できません。
 その場合、沖縄の自衛隊や米軍基地が攻撃対象になり、住民の被害も避けられません。沖縄が再び戦火に巻き込まれるのです。
攻撃の対象となる懸念
 浜田靖一防衛相は、陸自石垣駐屯地の開設記念式典で「南西諸島の防衛力強化は国を守り抜くという決意の表れだ」と訓示しましたが、沖縄を再び、本土を守るための盾や捨て石にしようとしているようにも見えます。
 玉城知事は二月、東京で開かれた県主催シンポジウムで、長距離ミサイルの沖縄配備について「かえって地域の緊張を高め、不測の事態が生じる懸念を持つ。沖縄が攻撃目標とされることを招いてはならない」と強調しました。
 政府や本土に住む私たちは、沖縄県民の声に誠実に耳を傾けなければなりません。沖縄が「基地のない平和な島」にならなければ、真の本土復帰とは言えず、日本の戦後も終わらないのです。

https://www.chunichi.co.jp/article/689555