日本軍の戦争
力への恐怖と崇拝
かれらの生活は、ただ労苦とあきらめの生活であった。かれらは、抽象的な技巧を丹念につくりあげ、抽象によって考え、抽象によってかたり、結局なにひとつ言わないための、複雑きわまる儀礼を考えだし、目上のものにたいして、かつて人間が感じたことのないほどの激しい畏怖をいだきながら生きている、抽象的な国民であった。
力の支配
「軍というところは真空地帯」「一般世間の常識は通らない。上官、先輩から殴られて半殺しの目に遭わないよう、理性や感情、判断力を働かさずに、言われたことを機械的に遂行する。」
結局、権力に与る (あずかる=分け前をいただく) ことが大好きである。
軍部とともに威張り、私たちを戦場へ駆り立てていた警察幹部が、そのころには米軍の下で威張っている。
このタンメーは、日本軍に情報提供していたのだが、日本が負けたらすぐ寝返って、アメリカへすりよって軍作業の班長をしていた。実に要領のいい人間だった。
力と様式の前に、個の存在と生命の価値は限りなく希釈された。
(青酸カリ入り) ミルクが壕の入り口付近から順番に配られていた。…「誰じゃ、逃げるのは」と、慌てた衛生兵が拳銃を続けざまに撃って、岡氏を殺そうとしていた。
「全部、後始末しろ」命令を言い渡した隊長は数十人の部隊を引き連れ、陣地を出て行った。…「集落の外れに、負傷兵を集めた小屋があったんです。僕はそこへ行って、手りゅう弾を投げ込みました。」
これが山(部隊)だとわかると治療させません。絶対ほかの部隊の兵隊は治療してはいけないといわれていたんですよ。
メディア統制と流言蜚語の拡散
力の暴走
はけ口
無責任