沖縄戦 日本軍という組織の特質 メモ

 

80年前の日本軍の様式を見ていくとき、ああこれは、今の日本社会の構造、そのものだな、と思わせられることが多々ある。日本の軍の構造は、今の日本政治の構造であり、日本企業の構造でもあった。

 

つまり、日本社会は、何も変わっていないのではないか。

 

「戦争美談」から学ぶことは何もないが、日本の戦争の「歴史」から学ぶことは多い。日本にとって、何が欠けており、何が大切で、何が弊害なのか。

 

学ぶことは多々ある。

 

日本軍の戦争

力への恐怖と崇拝

かれらの生活は、ただ労苦とあきらめの生活であった。かれらは、抽象的な技巧を丹念につくりあげ、抽象によって考え、抽象によってかたり、結局なにひとつ言わないための、複雑きわまる儀礼を考えだし、目上のものにたいして、かつて人間が感じたことのないほどの激しい畏怖をいだきながら生きている、抽象的な国民であった。

ノーマン・メイラー『裸者と死者』1945年9月3日 『次々と降伏する日本軍部隊』 - 〜シリーズ沖縄戦〜

 

絶対的な力の支配

「軍というところは真空地帯」「一般世間の常識は通らない。上官、先輩から殴られて半殺しの目に遭わないよう、理性や感情、判断力を働かさずに、言われたことを機械的に遂行する。」

石部隊所属兵 1945年9月4日 『こんな国のために死ぬもんか』 - 〜シリーズ沖縄戦〜

 

結局、権力に与る (あずかる=分け前をいただく) ことが大好きである。

軍部とともに威張り、私たちを戦場へ駆り立てていた警察幹部が、そのころには米軍の下で威張っている。

1945年9月5日 『祖国という観念』 - 〜シリーズ沖縄戦〜

このタンメーは、日本軍に情報提供していたのだが、日本が負けたらすぐ寝返って、アメリカへすりよって軍作業の班長をしていた。実に要領のいい人間だった。

久米島の戦争を記録する会『沖縄戦 久米島の戦争』インパクト出版 (2021年) - Battle of Okinawa

 

力と様式の前に、個の存在と生命の価値は限りなく希釈された。

(青酸カリ入り) ミルクが壕の入り口付近から順番に配られていた。…「誰じゃ、逃げるのは」と、慌てた衛生兵が拳銃を続けざまに撃って、岡氏を殺そうとしていた。

野戦病院からの撤退 1945年5月26日 『大移動の意味』 - 〜シリーズ沖縄戦〜

 

人間は、「人」ではなく「兵」でしかなかった。

「全部、後始末しろ」命令を言い渡した隊長は数十人の部隊を引き連れ、陣地を出て行った。…「集落の外れに、負傷兵を集めた小屋があったんです。僕はそこへ行って、手りゅう弾を投げ込みました。」

玉砕せよ ~沖縄戦~ 具志頭でのできごと - Battle of Okinawa

 

縦社会の「命令」だけが「絶対」であり、容赦なく「犠牲」を求めた。

これが山(部隊)だとわかると治療させません。絶対ほかの部隊の兵隊は治療してはいけないといわれていたんですよ。

徳元文子 (十六歳)『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 米須 ( 2 ) - Battle of Okinawa

 

しかし戦争というビジネスは、現場のフィードバックがないまま、上からの絶対命令だけで勝利できるような生半可なものではない。

 

精神論と絶対権力だけで勝利できると思った日本軍は、そもそも、横糸がなく、また下糸もなかった。上糸の力だけでうごかせると思い込んでいたのだ。

 

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