小禄・海軍壕

琉球新報『戦禍を掘る』出会いの十字路

[12 小禄・海軍壕]後断たぬ遺骨、遺品

“一帯の地下は壕だらけ”

 「小禄の地下は壕だらけですよ。埋没している壕を掘り起こせば、遺骨はどこからでも出てくると思います」と語った人がいた。その言葉が決して大げさとは思えないほど、那覇市小禄には、あちこちに壕がある。

 

 沖縄戦小禄豊見城地区は旧日本海軍が配置されていた。沖縄方面根拠地部隊を中心にして、厳、山根、礎、護などの部隊があり、約1万人の兵がいたが、各部隊とも最初の仕事は壕造りだったといわれ、いたる所に壕が造られた。そのひとつが安次嶺自治会と当間自治会館に挟まれ、こんもり盛り上がった敷地にある。

 

 当時、壕の一帯は山根部隊が配置されており、この壕も同部隊が使用したものと思われる。約3300平方メートルの丘に、壕口が現在分かっているだけで10カ所。そのほとんどは草や土、コンクリートでふさがって(ふさいで)いるが、中には石ころだけでふさいだ所もあり、掘り返すのは容易だと言う。

 

 当間自治会の上原修一さん(41)は説明する。「この壕は4年ほど前から宮城太郎元会長が国、県、市に再三調査を呼び掛けていたそうですが、現在まで何もなされていません。2年前に私は家を建てたのですが、その建築中にも軍が使ったと思われるかわらがたくさん出てきました」。上原さんの家は道をへだてて壕の隣に建っている。その反対隣には安次嶺自治会館が建っているが…。

 

 「昭和32年だったと思いますが、今の自治会館以前に建っていた公民館の建設中に2柱遺骨が発掘されました。近くに共同墓地があったので、そこに収骨しました」と公民館建設に携わった人は話す。

 

 また、壕近くに住む金城初一さん(74)が、25年前家の敷地内に井戸を掘った時には、土の中から赤れんが、灰、ガスマスクなどが出てきたほか、注射器など病院用器具も出てきた。このことから、この壕は同部隊の病院ではなかったかと推測されている。

 

 壕内に入ったことがのある上原清孝さん(45)は語る。「復帰前年の秋だったと思いますが、壕の中で不良学生が遊んでいるということで、警察や琉球政府の人ら10人ぐらいで中に入りました。地面は泥だらけで雨ぐつの音が“ジュワジュワ”と響いてました。遺骨ですか、ありましたよ、4柱ほど。骨はバラバラになり、泥に埋まってたので、頭ガイ骨だけ拾いました。その時は遺骨を探しに中に入ったわけではありませんから、気に留めませんでした。恐らくもっとあるんじゃないですか」

 

 十数年前に丘の一部を削った時も1柱出てきた。昨年8月宅地造成の工事中にも1柱発掘された―など、足元を掘れば遺骨が出てくる壕に、だれもが「どのくらいの遺骨が埋まっているかは分からないが、必ずまだある」と確信している。

 

 壕の調査を急がねばならないのは、何も遺骨収集のためだけではない。壕のある丘の上に現在、家が2軒建っている。もし、その地下に壕があるなら埋めてしまわねば危険極まりない。家の基礎工事で穴を掘ると、「スポッ」と下が空洞になっていたと言う話を取材中、2度聞いた。

1983年8月30日掲載