伊江島 第502特設警備工兵隊出撃之地

 

第502特設警備工兵隊出撃之地

戦跡 本島周辺離島 伊江村

沖縄県伊江村西江上1955
第502特設警備工兵隊出撃之地

 

伊江島飛行場の整備・保守を主たる任務としていた工兵隊までもが出撃したことが、沖縄戦の苛烈さを物語っています。

 

 第502特設警備工兵隊の出撃場所に、部隊の生存者によって1995年に石碑が建立されました。その石碑の後ろに壕がありますが、鍾乳石が見られる自然壕です。


ヒストリー

 第502特設警備工兵隊は、宜保中尉以下約800名が配属されていましたが、現地招集の住民義勇隊が半数以上を占めており、戦力としては微弱なものであったとされています。1945年4月16日未明にブルース少将率いる米海兵隊6000人の部隊は伊江島に上陸し、島の中央部に有った飛行場を制圧しました。日本軍は飛行場を中心に分断され、第502特設警備工兵隊は東側の本隊から孤立してしまいました。本隊と連絡もままならない中、工兵隊は4月16日の夜から米軍に斬込みをかけました。石碑の裏に4月16日に出撃したと記されており、武器は1人2個の手榴弾と竹槍で、玉砕覚悟の特攻でした。最期の出兵の際に、宜保中尉はこれ以上の攻撃は不可能として、「少人数に別れ敵中突破。本隊・井川部隊に合流せよ」と解散命令を出しました。その時、工兵隊の生存者は180名に過ぎなかったといわれています。


ワンポイントアドバイス

 西江上の米軍演習場に向かう道の途中の米軍提供施設区域内にあります。

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