2023年5月29日 首里占領から78年目の帰還、真和志町の獅子 ~ 「獅子には魂がある。道のりが長くても、きっと帰ってきますよ」

 

故郷にもどってきた獅子

沖縄公文書館所蔵の三枚の写真

沖縄県公文書館にある沖縄戦当時の獅子頭の三枚の写真が、沖縄戦で焼失したと思われていた首里真和志の獅子頭ではないか、と気づいたのは、獅子舞保存会のメンバーで沖縄高専1年生の学生、目黒仁士さん16歳だったというから、本当にすごい。

那覇市歴史博物館所蔵、戦前の首里真和志青年会の写真のなかの獅子と、

人物/首里真和志青年会 : 那覇市歴史博物館

沖縄県公文書館所蔵、戦利品の獅子。

 

米国海兵隊 MARINE CAPTURES JAP DRAGON-- Marine Pfc. Earl J. Drogosch, 27 of 1217 East 44th Place, Chicago, Ill., picked up this ceremonial dragon mask his first day on Okinawa. He intends to send it to his wife, Marjorie, who lives at the above address. Drogosch is【訳】戦利品の獅子頭を手にする海兵隊員。沖縄第1日目に祭祀用の獅子頭を拾った第5海兵連隊輸送部隊のドロゴシュ一等兵イリノイ州出身)。彼は、それを故郷の妻に送るつもりである。(1945年4月)

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

 

そして、この写真の記載記録をもとに、獅子舞保存会の副会長、山城秀倫さん39歳が SNS などでこの海兵隊員の遺族を探し出した。若い世代の連携が生きている。

 

山城さんとこの海兵隊員の娘さんにあたる70代の女性とのやりとりは90回にもおよんだという。獅子は父の形見として大切にされていた。

娘のボビーさんからのメール
「1945年に父が家に送って以来、私たち家族のもとにありました。私の父は誇らしげに、家の壁に飾っていました。1971年に父が亡くなり、私が52年間持っていました。正直に言うと、父や私のものだとは思えません。あるべき場所に帰れてとてもうれしく思っています」

78年ぶりにアメリカから帰ってきた地域の守り神 きっかけは戦前の一枚の写真 | OKITIVE

 

そうして、ついに、

2023年5月29日、

本当に獅子がもどってきた !

という歴史的な瞬間の投稿動画が、多くの人の感動をよんだ。

 

 

米軍は、戦地からの戦利品をお土産品として家に輸送することを許可していた。当然、兵士は日本兵に狙撃されるリスクを顧みず、沖縄各地で戦利品狩りに夢中になった。

こうした行為を、souvenir hunting 「お土産捜し」という名で米軍が許容してきた結果として、沖縄戦では多くの文物が大量に米国に持ち帰られたのであるが、それは明確に、戦場での looting「略奪行為」として定義されているものである。

 

日本軍や米軍が「無価値」とみなした、そのひとつひとつがその土地の共同体や人々にとって大切なものであったこと、沖縄のこうした文物が大量に失われたことが、日本の戦争に原因があることを再認識しておきたい。

土産物には不思議な熱意が示された。もし、日本人の死への決意がたいていのアメリカ人には説明しても受け入れられないとしたら、ほとんど無価値な日本の工芸品に対するアメリカ人の情熱も、奇怪といえる。歩兵のエネルギーの一滴たりとも無駄にせず、生き残ることが要求された作戦では、いちばん恐ろしいことのひとつが土産品狩りに行くことは全員が知っていた。…老練の兵士でも、あれほど苦しい思いをして身に付けた戦闘知識の基本原則を破った。冷静で注意深い男が、何かいいものを発見するために、洞窟に入っていく危険を冒したこともあった。

「天王山  沖縄戦原子爆弾(下)」(ジョージ・ファイファー著/小城正・訳/早川書房) 317頁》 

 

 

 2022年11月 - 「鳥肌が立ったんですよ」16歳の発見 

始まりは、16歳の学生の気づきから。

「鳥肌が立ったんですよ」16歳がネットで見つけた写真 沖縄戦で焼失した「獅子頭」現存か

沖縄タイムス

2022年11月13日 15:00

 

沖縄戦で焼失した「獅子頭」現存か

 沖縄戦で焼失したと伝えられていた那覇市首里真和志町の獅子頭が、米兵に戦利品として持ち去られ、現存している可能性があることが12日までに分かった。地元真和志町の“定説”を覆したのは、同町獅子舞保存会のメンバーで沖縄高専1年生の目黒仁士(じんと)さん(16)。インターネットで画像検索し、銃と獅子頭を持つ米兵の写真を見つけ出した。

「たとえ離れた場所にあっても、うちの地域を守ってくれている獅子。お帰りなさいを言いたい」

文化財の返還に取り組むNPO法人琉米歴史研究会と一緒に、在りかを探している。(中部報道部・平島夏実)

 

特徴は額の三日月 

真和志町の獅子は300年以上の歴史があるとされ、琉球王朝時代に首里王府から贈られたと伝わる。特徴は額の三日月。三日月の入った獅子は真和志町と南風原町神里の2体で、かなり貴重だという。

 目黒さんは小学生の頃から、旗頭をしながら獅子舞を見てきた。「最初の獅子は沖縄戦で焼けてしまったから、公民館にあるのは2代目」と聞いて育った。

 

 獅子舞保存会が結成された今年6月、獅子を戦前の姿で作り直そうという話が出た。目黒さんが「真和志町」をキーワードに画像検索すると、那覇市歴史博物館所蔵の白黒写真が出てきた。青年会と写っている獅子は確かに戦前の真和志町の物だと、獅子に詳しい専門家に確認してもらったという。

 さらに公文書館のサイトで検索したところ、獅子を持つ米海兵隊員の写真が3枚ヒットした。獅子の額には三日月。戦前作られた物に間違いなかった。

 

米国に持ち帰った可能性

 「鳥肌が立ったんですよ。米国に持ち帰られたなら、まだ残ってるかもしれない」。報告を受けた保存会の先輩たちにも、驚きが広がった。

 

 10月下旬、保存会の玉城博健(ひろたけ)会長から琉米歴史研究会の喜舎場静夫理事長(71)が相談を受けた。手掛かりは3枚の写真に書かれたメモ。「祭祀(さいし)用の獅子頭を拾った第5海兵連隊輸送部隊のドロゴシュ1等兵(イリノイ州出身)。彼はそれを故郷の妻に送るつもりである」とあった。

 

 1等兵が存命でなくても、家族を捜し出せればヒントが見つかる。数々の文化財を約40年間にわたって取り戻してきた喜舎場さんは言った。

「獅子には魂がある。道のりが長くても、きっと帰ってきますよ」

「鳥肌が立ったんですよ」16歳がネットで見つけた写真 沖縄戦で焼失した「獅子頭」現存か | 沖縄タイムス

 

そして、・・・

2023年5月29日 - 78年ぶり、獅子の帰還

“守り神”78年ぶりに米国から里帰り 首里真和志町の獅子頭 沖縄戦で米兵が持ち出す 保存会が捜した方法とは?

琉球新報 
2023年5月30日 11:36

 

米国で見つかり、返還された獅子を開封する保存会のメンバーら=29日、那覇市真和志町(大城直也撮影)


 沖縄戦で焼失したと思われていた那覇市首里真和志町の獅子頭が米国で見つかり、真和志町の人々に29日、返還された。昨年、同町獅子舞保存会が県公文書館所蔵の写真などを調べ、米兵が持ち出したことが判明。フェイスブックで米兵の遺族を捜し、返還にこぎ着けた。29日は住民らが集会所に詰め掛け、米国から空輸された獅子の入る箱を開封した。78年ぶりに里帰りした守り神を「お帰り」と迎えた。

(略)

 獅子舞保存会の山城秀倫副会長(39)はフェイスブックで同じ姓の人物を検索し、顔が似ている男性にメッセージと米兵の写真を送った。7カ月後、突然「私の祖父だ」と返信が来た。男性が親戚に尋ね、フロリダ州に住む米兵の娘が持っていることが判明した。

 

 娘は父の形見として獅子を大事に保管していたが、事情を知ると「探してくれてありがとう。あるべき場所に返されるべきだ」と快く返還に同意したという。

 

 29日に獅子の箱が開封され、迫力ある姿が現れると歓声が上がった。獅子舞保存会の玉城博健(ひろたけ)会長(45)は

「奇跡だ。獅子が笑っている気がする」と涙ぐんだ。

 

 獅子は6月18日午後2時~4時に首里公民館3階で展示される。

“守り神”78年ぶりに米国から里帰り 首里真和志町の獅子頭 沖縄戦で米兵が持ち出す 保存会が捜した方法とは? - 琉球新報

 

フェイスブックで探して、というのもまたすごい話だ。湿度が高いフロリダでの保存状態もとても良かったのではないか。78年前の写真と変わらない、美しく迫力ある姿だ。

 

1945年5月29日 - 首里占領からちょうど78年目

これが真和志町の獅子であることはドロゴシュ氏の親族から返還されたことからも確実である。とすると、興奮書簡所蔵の写真について、最初の記事から気になっていたことだが、撮影時期が4月というのは、米軍記録写真に時々ある「記載間違い」の可能性がある。

というのも、実際には首里城占領されたのは、5月29日、ちょうど獅子が返還された日の78年前であるからだ。

Google map: 沖縄県那覇市首里真和志町

1945年5月29日 『首里城に侵入した海兵隊』 - 〜シリーズ沖縄戦〜

首里城・・これこそ、米軍が長い間、沖縄の日本軍のシンボルとして、ねらってきたものであったのだ。午前10時15分首里城はA中隊によって占領された。

《「沖縄 日米最後の戦闘」(米国陸軍省編・外間正四郎訳/光人社NF文庫) 432頁より》 

 

 

獅子の返還が、5月29日であったのは、ちょうど首里占領から78年目に合わせて送ってもらったのではないか、と思った。

しかし、関係者の方にお聞きしたところ、これがまったくの偶然ということで、意図したものではないらしいということ。いったい、こういう偶然があるものだろうか。

 

獅子には魂がある。

まさに78年目の「帰村」であった。

 

 

実はもう一枚、獅子頭の写真が・・・

実は沖縄公文書館の写真の中にもう一枚の獅子頭の写真がある。

前者のもの (海兵隊撮影) とはことなり、こちらは海軍による記録写真のもよう。

米海軍: A Jap ceremonial dragon being inspected by Cpt. R.J. Albrecht in front of a hut in a coastal town of Okinawa two days after the islands invasion.【訳】 祭事用の龍を調べるアルブレクト大佐。沖縄侵攻2日後、海岸沿いの町にある小屋の前にて。1945年4月3日

写真が語る沖縄 – 沖縄県公文書館

 

とても見づらい写真なので、人工知能 (AI) でカラー化し明度調節してみると、さらに情報としてわかりやすいものになる。

一見して、真和志町の獅子とは異なる獅子のようだ。

 

 

撮影日時について

上記の真和志町の獅子の撮影日時が誤記であるとしても、こちらの海軍写真は、より詳細な情報として記載されており、正確なものである可能性がある。島の侵攻から二日後というと、4月3日。の海岸沿いの町。

 

撮影場所について

AI でカラー化するとわかりやすくなる。背景に映る地平線が、海で、こちら側は小高い丘陵地にある。これから場所か特定できないだろうか、と思うが、実際には範囲が広すぎる。

4月1日の上陸から、3日にはもう米軍は沖縄島の南北を分離する形で、東西の海岸に幅広くリーチしている。占領地で、前線ではないことを考えれば、東海岸ではなく、読谷・嘉手納かどこかの西海岸側かもしれない。

 米軍、沖縄島を南北に分断

1945年4月3日『日米両軍の作戦変更』 - 〜シリーズ沖縄戦〜

 

獅子頭の形状について

明度調節し AI で色付けし、拡大すると・・・

棒をもった男と、宮から引き出された獅子・・・、どのような状態なのかよくわからないが・・・。青い獅子に見える。しかし人工知能の色付けでは、赤はときどき青色に変換されることがあるので、赤である可能性もぬぐえない。

 

この獅子も戦利品として持ち帰られたのではないか。

 

もし戦利品となって流出していれば、この獅子も故郷に帰りたいと思って、どこかで淋しがっているのではないか。

 

この獅子について、何か情報をお持ちの方は Twitterメッセンジャーやブログのコメント欄にメッセージで教えていただけると幸いです。

 

 

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米軍の首里占領からちょうど78年目。
先日5月29日、首里真和志町に獅子が帰還した。
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沖縄高専学生が画像検索で発見➡️特定➡️保存会の副会長がFBで米兵遺族を捜し連絡➡️返還

そうして獅子の「帰村」は78年ぶりに果たされた。