一枚の写真が物語ること「うつろな目の少女」 ~ 日本兵から殴る蹴るの暴行をうけ右目を失明した当時12歳だった男性が訴える、「沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」

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《AIによるカラー処理》傷の手当を待つ少女。具志頭では軍医によるこのような治療が多く行われた。(1945年 6月21日撮影)

A young Okinawan girl waits to receive medical treatment. The military government's doctors are treating a number of such cases at Gushikhan.

写真が語る沖縄 詳細 – 沖縄県公文書館

 

1945年6月21日。

米軍は一枚の写真を記録している。

 

青ざめ、呆然として診療所で傷の手当てを待つ1人の少女、後に「うつろな目の少女」として知られるようになった写真である。

 

そしてこれも後にわかったことは、この少女は、実は少年であり、また、この少年が受けた傷は日本軍の兵隊によるものだということだった。

 

日本軍の兵隊は、ガマで、小さな12歳の子どもが大切にしていたリュックの中の黒砂糖をよこせと言い、その子どもを壕の外に連れだし、殴る蹴るの暴行をくわえた。堅い軍の革靴でちからいっぱい蹴り飛ばされ、顔面を殴られた。この写真は、米軍の診療所で治療を受けたときのものである。日本兵に殴られた右目は失明した。

 

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今回はかなり色彩薄めのカラー化に。

 

AI でカラー化すると、背景にある収容所内の診療所の様子が見やすくなり、そしてなによりも、この小さな12歳の子どもが、日本兵からどれだけひどい殴る蹴るの暴行を受けていたのかもうかがわれる。

 

首からひものようなもので手をつっているのもよくわかる。特に鼻から右側の頬にみられる傷とあざは酷く、確かにこれで右目を失明するほどの残酷な暴行だったことがわかる。衣服も、後ろの診療所内の少年の着ているものと比較してほしい。

 

日本兵はこの小さな子を文字どおり半殺しにしたのだ。たったひとかけらの黒砂糖を奪うために。

 

教科書の嘘許さず 大城さん、憤りで声震わせる

琉球新報

2007年8月28日

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「沖縄がいつまでもバカにされたままでいいのか。沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴える大城盛俊さん=那覇市天久の琉球新報社

 

 「うつろな目の少女」と題し、大田昌秀著「これが沖縄戦だ」(1977年出版)の表紙写真で紹介された兵庫県伊丹市の大城盛俊さん(75)=旧玉城村出身=が来県、高校歴史教科書検定沖縄戦の「集団自決」に関する記述から日本軍の強制が修正・削除された問題で、沖縄県民はもっと怒って立ち上がらなければ」と訴えている。

 

 24日、琉球新報社を訪れた大城さんは、史実を歪める教科書検定の動きに「教科書が嘘(うそ)をついて、その嘘を教えられた子どもたちが大きくなったらどうなるのか」と懸念し、憤りで声を震わせた。


 表紙の“少女”の正体が大城さん。当時12歳で、育ての父に「男の子は兵隊にやられるから女の子になりすましなさい」と言われ髪を伸ばした。

 

 大城さんは、1945年4月1日の米軍の沖縄本島上陸後に家族と玉城村のガマ(壕)に避難したときのことを鮮明に記憶している。そこには200―300人の住民がいた。5月下旬、日本兵が入り込んできて「食料をよこせ」と銃を向けた。彼らは黒砂糖が入った大城さんのリュックサックを取り上げようとした。大城さんが「取らないで」とお願いすると、「生意気なやつだ」と壕の外に引きずりだし、激しく暴行。硬い革靴でけり飛ばされた大城さんは気を失った。殴られた右目は失明した。

 

 数日後、大城さんは米兵に助けられた。同写真は診療所の前で撮影された。

 

日本兵は本当に恐ろしかった。住民を『スパイだ』と決め付けて虐殺したところも見た。捕虜になれば男は戦車でひき殺され、女は暴行され殺されると言い聞かせ、住民を死(集団自決)に追い込んだのは日本兵だ」と厳しい口調で語る。


 1983年、喉頭(こうとう)がんで声帯を失ったが、人工声帯で沖縄戦の実相を全国各地で語り続ける。講演は23年で1120回を数えた。


 大城さんは「日本は戦争で日本を守るために沖縄を犠牲にしてきた。あのとき恐ろしくてガタガタ震えたことをいまでも忘れられない。60年以上たったいまも、基地が押し付けられ、沖縄は日本に踏みにじられ続けてきている」と話す。さらに「教科書が嘘をつこうとしている。こういうことを許すわけにはいかない」と憤りを見せた。
 (深沢友紀)

 

日本軍がガマに手榴弾を投げ入れる。

neverforget1945.hatenablog.com

 

「うつろな目の少女」大城盛俊さん、沖縄戦を語る-石垣で平和講演会

石垣経済新聞

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 沖縄戦アメリカ兵が撮影した写真「うつろな目の少女」で知られる大城盛俊さんを講師に迎え、平和講演会「沖縄戦で起きた本当の話」が6月21日、石垣市民会館中ホール(石垣市浜崎町)で行われた。

 

 同講演会は戦争の実相を正しく理解し、二度とあのような悲惨で愚かな過ちを繰り返さず、沖縄県民が身をもって体験した平和と命の尊さを語り継ごうと実施されたもの。世界平和の鐘の会沖縄支部設立20周年記念事業として、同支部石垣市が共催した。

 

 大城さんは旧玉城村(現在の南城市)出身で、沖縄戦を全国に訴える会会長を務めている。「うつろな目の少女」と題された自身の写真を偶然目にしてから、沖縄戦の本当の姿を伝える語り部として活動するようになった。喉頭がんで声帯を失っても発声器を使い、精力的に活動を続けている。

 

 戦時中、大城さんは12歳。育ての親に「男子だと兵隊に連れて行かれる」という理由で、女の子の格好をさせられていたという。戦火を逃れるためにガマ(沖縄の方言で洞窟(どうくつ)の意味)で身を隠していた際、日本兵一かけらの黒糖を奪われそうになった。抵抗した大城さんは殴る蹴るの暴行を受け、その時に殴られた右目は失明した。「殴られた後はもうろうとして、何も分からなかった」と大城さん。その後、米軍に保護された大城さんは診療所で治療を受ける。「うつろな目をした少女」はこの時に撮られたものだった。

 

 生みの母親は大城さんとは別のガマにいた。大城さんを訪ねてきた母親は、その帰り道に日本兵にスパイと疑われ、ガマに手榴弾を投げ込まれ殺害された。大城さんは何度かハンカチで涙を拭いながら、当時の状況を生々しく語った。

 

 大城さんは日本兵沖縄県民をだまして、食べ物を奪い、揚げ句に銃を向けた」と非難し、集団自決についても、「あれは自決ではない。日本兵により追い込まれて起こったもの」と訴えた。「戦争での後遺症があるが、負けていられないと頑張ってきた。命あれば、明日は明るく開ける」と大城さん。

 会場には子どもから大人まで多くの市民が訪れ、大城さんの一言一言を重く受け止めていた。

 

 少年は戦後、19歳でひとり本土に向かったが、40代になり家族で沖縄に戻る。たまたま入院していた病院でこの写真を見かけ、それが自分だと名乗り出た。(なぜ少女の姿をしていたかは、本書を)

 

 そして当の学者、大田昌秀氏(のちの沖縄県知事)と出会い、やがて自らの体験を語り伝え始めた。が、苦難は続く。喉頭がんで声を失い、伊丹に移り住んだとたん、阪神淡路大震災で家を失う。しかし…。

 

 この少年、大城盛俊さんのことを、大田昌秀氏は「戦争を生き延びた沖縄の子どもの象徴」のような「不屈の闘志」を持って生きてきた人だ、と言う。

 

 「軍隊が住民に銃を向けた」幼い体験。そのことへの怒りを忘れず、一方で生き抜くための冒険に満ちた青年期。子どもには実に優しく、権力を振りかざすものに対しては怒りを抑えない姿勢は今も健在で、その語りは多くの子ども・大人の心を揺さぶってきた。

 

 大城さんはまた、子ども全国交歓会と沖縄の子どもたちとの交流の架け橋となった。20年を経て、それは韓国・朝鮮などアジアの子どもの文化交流に発展したが、今も熱く支援する。

 

 現在は体調がすぐれず、講演が難しくなっている。が、沖縄の変わらぬ基地の状況や集団的自衛権を認めた政府への憤りは一段と高まり、子どもや若者に託す思いは募るばかりだ。

 

 本書は、刊行委員会による半年をかけた聞き取りをベースに書かれた。大城さんの願いに添って、沖縄や沖縄戦のことを知らない人、小中学生や若者にもわかりやすいようにと、図やイラスト、写真、用語解説などが豊富に使われている。「大城さんが暴行を受けた歳と同じ〝12歳〟が読める本を」との思いからだ。話を聞いたことのある人にとっても、戦前・戦後もあわせ初めて知る新鮮なエピソードが満載だ。

どくしょ室/大城盛俊が語る 私の沖縄戦と戦後 ―軍隊は住民に銃を向けた―/大城盛俊著・刊行委員会編・発行 本体800円+税/子どもや若者に託す平和の思い

 

 

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蛇足【ネトウヨ沖縄戦】②

 

歴史の断片をしったげに振りまわし、無知と傲慢を竹ヤリにして、自論と妄想をあたかも真実のように語り拡散してきたネトウヨ狼魔人が、この写真についてかなりいろんなことを書き、大田元知事の批判をぐだぐたと拡散している。興味深いのは、ざっと読んだだけでも狼魔人等という人物が、沖縄戦についての知識も断片的で、物わかりの芳しくない御仁であり、文章を読んで理解する際に四苦八苦しているのがわかる。

後日、「12歳の少年が何故女装していたの」と知人に聞かれ、記事を改めて読み返してみたが、記事の意味が良く飲み込めなかった。・・・それでは、少年はヤルが少女ならヤラない鬼畜兵が沖縄に集中していたのか。換言すれば沖縄に集結した日本兵はホモ集団だったのか

「うつろな目の少女」の秘密! - 狼魔人日記

この新報の記事を読んで、なぜ女装をしていたのかよく飲み込めないというほうが不可解である。やっとコンテキストが理解できたとみると、こんどは「兵役逃れ」だといいだす。どうしようもない。

「女の癖に生意気だ。おや、貴様男だな。 兵役拒否したな!」といって殴られたと言う方が自然だろう。」・・・本土各地では「うつろな瞳をした少女」として講演を続けられても現地の沖縄では実質上の「徴兵拒否」がばれてしまうのを恐れて琉球新報も講演を避けたのではないか。

妄想もここまでくると笑いを禁じ得ない。12歳の時に兵役拒否したと恐れて沖縄で講演しなかったとか、勝手に話を作り出す。

 

狼魔人のだいたいの歴史ネタはパターン化されており、若干の歴史の断片と妄想のブリッジで構成されている。歴史の断片しか書かれていないので、知識が無い人には、むしろそのシンプルな虚構=ブリッジがとてもわかりやすく感じる。本当であればもっと複雑な歴史背景にあるものを。それをきれいにすっ飛ばす。そして妄想で組み立てる。単純である。で、結論は、この写真は本当は少年であるにも関わらす、大田知事は「うつろな目の少女」だとウソをついている、などと言いだすわけである。バカすぎて笑える。お前は「うつろな目の少年」とでも書いているのか !?  あるいは、大城氏が病気を克服し発声器を使って講演をするのを、プロの講演者ではないかというが、大城氏が語り部として本土で活躍されているということも読みとばしているのであろう。プロネトウヨが言える筋合いの話ではない。

 

沖縄のネトウヨ歴史デマに気をつけたい。

 

蛇足【ネトウヨ沖縄戦】①

【Archive 2-13】農林鉄血勤皇隊 見捨てられた学徒隊 - 日本軍は先に退却、食べ物さえ日本軍にうばわれた - Battle of Okinawa