沖縄「武田薬草園」とコカ栽培 ~ 日本軍の「軍用医薬品麻薬在庫」の行方

1945年4月中旬 - 薬草園の悲劇 沖縄「武田薬草園」とは 補給なき陸軍病院 菊の御門の「覚醒剤チョコ」!? 「本土決戦」のための日本軍「医療用麻薬ストック」 1945年4月中旬 - 薬草園の悲劇 1945年4月15日、米海兵隊は沖縄島上陸の2週間後には本部 (もとぶ) …

県立宮古高等女学校の学徒隊

昭和19年5月頃から、宮古島にも日本軍の部隊が配備されました。まもなく沖縄県立宮古高等女学校は、軍に接収され、疎開で空き屋になった民家を何か所も借りて教室に当てなければならなくなりました。10月10日の空襲では平良港に碇泊していた輸送船が…

琉球新報「歴史教科書:日本兵が「死になさい」 山城さんが証言 真実、後世に願い」(2009年9月27日)

歴史教科書:日本兵が「死になさい」 山城さんが証言 真実、後世に願い 文部科学省の教科書検定で、高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の日本軍強制記述が削除・修正されたのを受け、2007年に開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大…

どのようにして辺野古に米海兵隊基地「キャンプ・シュワブ」が作られたのか ~ 『辺野古誌』を読む

政府が批判されれば、とたんに紙吹雪のようにデマが飛散し、それに乗じて政府が優位な立場で相手を潰す。今、菅政権が日本学術会議に対してやっていることは、さんざん沖縄に対してやってきたことである。 さて今日は、辺野古の代表的デマの一つ。キャンプ・…

「戦利品」の運命 ~ 帰ってきた遺骨 (Stars and Stripes 2003年6月17日より)

第二次世界大戦の「記念品」 "souvenir" (土産品) か "loot" (略奪品) か 守られなかった沖縄の文化財 文物だけではない「戦利品」 祖国に帰った「戦利品」 第二次世界大戦の「記念品」 "souvenir" (土産品) か "loot" (略奪品) か 今回、情報士官だったカー…

田井等収容所 ~ 日本兵に殺されるより収容所に (琉球新報 2021年07月22日)

戦世刻んで 戦後74年 ~ 米軍拘束恐れ 壕を転々/収容所脱走で射殺「3度見た」/名護・田井等の島袋さん 琉球新報 ~ 山の戦争 日本兵が女性を殺害 當銘幸吉さん <読者と刻む沖縄戦> 日本兵に殺されるより収容所に 當銘幸吉さん 戦世刻んで 戦後74年 …

名護「田井等収容所」

名護市広報「市民のひろば 」 no. 585 (2020年) から抜粋。 名護市広報「市民のひろば 」 no. 585 (2020年) 山を下り、田井等収容地区へ 米軍は、沖縄本島石川以北に 13カ所の収容地を設け、中南部で捕らえた避難民を収容した。 名護市内では羽地村田井等、…

漢那収容所

沖縄島に設置された12の民間人収容所 金武村に侵攻するとすぐに、米軍は金武後方の池原一帯に飛行場の建設を開始した。上陸前の三月末に飛行場建設予定地一帯に爆弾を投下して地ならしをしていたという。この滑走路は四月下旬にはほぼ完成して、五月には小型…

勝山事件について ~ 米軍内のレイシズムとセクシズム

沖縄戦 - 多発する米兵の性犯罪と軍政府のネグレクト 三人の海兵隊員の死と戦時中の沖縄の秘された出来事 沖縄戦 - 多発する米兵の性犯罪と軍政府のネグレクト 女性が訴えても、「無かった」ことにされる米兵の性犯罪 第6海兵師団第22連隊第3大隊L中隊の海兵…

沖縄戦証言 北谷町砂辺

北谷町砂辺篇 砂辺の収容所 頻繁にあった強姦事件 - SMP の証言 クマヤーガマをでて クマヤーガマ - 砂辺の避難壕 漢那の捕虜収容所 コンコーダンスのために便宜的にテキスト化しています。いくつか文字化けなどがありますので、必ず沖縄県史で正確な文章を…

『沖縄県史 第9巻 / 第10巻』 沖縄戦証言 ~ 旧中城村村役所 篇

喜納昌盛 中城村村議会議員として - 疎開を拒む 比嘉太郎との再会 福山への移動 島袋民間人収容所 福山民間人収容所での生活 宮城善八 コンコーダンス用の書きおこしです。誤字などがありますので、必ず原典をお確かめください。《沖縄県史第9巻(1971年琉球…

『沖縄県史 第9巻・第10巻』 沖縄戦証言 ~ 西原町 幸地 篇

幸地(西原村) コンコーダンス用文字お越しの作業中です。参考にされる方は必ず原典をお確かめください。 《沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)》 幸地(西原村) 時一九六九年十一月十七日場所与那英弘区長宅…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 上原座談会 (西原村)

上原座談会(西原村) 喜納信政 戰争協力 屋良ウシ 屋良ツル(五十五歳) 上原座談会(西原村) 宮城 聡時 一九六九年十一月二十日場所 字上原公民館 解説 出席者で一番若い方が現在、満七十歳で、戦争を生き抜かれた高齢者ばかりだった。満で八十二歳、七十九歳二…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 西原村村役所

大城康秀 大城政吉 大城孝敏 名城ビーチで 新垣正義 以下、内閣府ホームページ 証言集 で公開されている『沖縄県史第9巻』(1971年琉球政府編)および『沖縄県史第10巻』(1974年沖縄県教育委員会編)の戦争証言をコンコーダンス用に簡易な文字起こしで公開…

『沖縄県史』 9-10巻 戦争証言 旧首里市

大城志津子 那覇、十・十空襲 首里 南部へ移動 海軍司令部壕で 南部を彷徨う 捕虜になる 久志の病院で手術を受ける 真和志村出身者が集められ米須に 真和志村民、豊見城嘉数に 以下、内閣府ホームページ 証言集 にある『沖縄県史第9巻』(1971年琉球政府編)…

『沖縄県史』 9-10巻 戦争証言 銘苅

銘苅 コンコーダンス用の書きおこしです。誤字などがありますので、必ず原典をお確かめください。 《沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)》PDF の人骨を拾い集める仕事を、真和志村民がしたのであった。その…

『沖縄県史』 9-10巻 戦争証言 旧那覇市

嘉手納崇徳 第一回の疎開と第二回めの疎開 (対馬丸事件) 第三回目の疎開と十・十空襲 スパイ容疑をかけられる 戦艦大和のデマ スパイの容疑をかけられる女子学生 軍隊内の暴力 捕虜になる - 厳しい CIC の尋問 現在の那覇市 旧那覇市 「新県道」が開通したこ…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 南風原村

与座庄三郎 百名収容所 赤嶺保信 壕がない 新垣孝太郎 戦争に協力できるものだけ残れ 百名収容所 カナアミ 妻子を宜野座収容所から呼び寄せる CP ~ 帰村の手続き 百名の病院 - ダンプカーでおろされる病人や遺体 大城徳盛 武部隊 ~ 台湾で 神谷安盛 宜野座…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 東風平村

「南へ下がりなさい」 南部に追われて 「一番こわかったのは、友軍の兵隊」 以下、沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)の戦争証言をコンコーダンス用に簡易な文字起こしで公開しています。文字化け誤字など…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 港川

港川(具志頭村) 田尻正次 県庁 ~ 繁多川の壕 ~ 百名 百名民間人収容所と CIC 漢那民間人収容所 - 惣慶の住宅づくり 長嶺孝子 軍命令 ~ 15歳で弾薬運び 真壁~大渡~玻名城 捕虜になる~当山収容所と垣花収容所 大浦崎収容所 玉城裕康 防衛隊 - 新城から安…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 新城

具志堅政賢 新里壕 島英正 ガンガラー壕での避難生活 ギーザバンタ - 国頭突破 松村香代 島袋壕から新里壕へ 仲里美恵子 新里壕の立ち退き 伊敷で - 夫との別れ 保志門トシ 南部を彷徨う 捕虜になる - 辺野古へ 佐久田シズ 南部を彷徨う 島袋に帰り、捕虜と…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 真栄里

真栄里 (旧高嶺村) 栄里之塔 - 真栄里の犠牲者 国吉真孝 (二十九歳) 第二次防衛隊 防衛隊 - 患者輸送 壕からの追い出し 海軍兵にもらったカンパン陸軍兵に奪われる 暁部隊の兵士に手榴弾「自決」をとめられ 歩兵第32連隊にスパイとして処刑されかかる 食糧探…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 国吉

検証すべき課題 与座岳の殲滅 真栄里の虐殺について バックナー中将の戦死と関連あるのか 国吉の遺骨収集 神谷良儀 (三十九歳) 第二次防衛隊 第二次防衛召集 伊良波収容所、沖縄系通訳が沖縄語でこっそりと 大湾朝次郎 (三十六歳) 警防団長 警防団とスパイ狩…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 与座

伊敷敷親助 (三十二歳) 疎開引率 大宜味村への集団疎開を引率する 久志の大川での疎開 - 食糧難 兵隊たちが盗る 金城亀二 (三十歳) 第二期防衛隊 真栄里の特攻艇 糸満のクリ舟を特攻艇基地に運ぶ 弾薬運び 糸満の南で捕虜に、嘉手納へ 捕虜のハワイ移送 伊敷…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 山城

マヤー壕 (マヤーアブ, マヤーガマ) マヤー壕を追いだされ 妊娠中で壕から追いだされ 壕を接収し、住民を注射で「処分」 以下、沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)の戦争証言をコンコーダンス用に簡易な文…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 米須 ( 2 )

徳元文子 (十六歳) 瑞泉学徒隊 有馬隊 捕虜になる 百名収容所で 名城収容所で再会 - 米須の生存者は・・・ 1946年6月、米須集落の帰村 以下、沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)の戦争証言をコンコーダンス…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 米須 ( 1 )

米須集落の人口と戦争の犠牲者数 波平幸進(三十歳) サイパン引揚 1946年1月にサイパンから引き揚げ サイパン1944年6月10日 山城加那 (四十一歳) 防衛隊 徴用 - 恩納岳の食糧運搬 防衛召集 - 運玉森~弁ヶ岳の戦い 伊敷の野戦病院 米須で捕虜に - 伊良波収容…

『沖縄県史』 9-10巻 沖縄戦証言 真栄平

金城幸栄 (十四歳) 小学高二 子どもを持つ母たちは壕を追われ 知念収容所の屋比久から瀬高収容所の大川へ 金城善昌 (十歳) 小学二年 アバタガマの追い出し 暗川の壕 6月23日 二見の収容所 - 栄養失調 大城亀吉 (四十三歳) 暗川の壕 カンメンポー クラガーの…

『沖縄県史』9-10巻 戦争証言 名城

新垣力メ (四十一歳) 主婦 アバサーガマを追われて 轟の壕で マヤーガマ 伊敷 実 (十四歳) 小学校高等科二年 新垣キク (二十三歳) 家事 田井等収容所 新垣タツ(十七歳)家事 以下、沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育…

『沖縄県史』9-10巻 戦争証言 八重山 ( 5 )

二、キナ樹の皮汁を飲んで命拾い 「米をつくるな、軍作業に」 12月25日に米軍上陸 三、盗った品を首にかけられて 戦後の食糧難と集団暴行 四、台湾疎開と食糧難 女手一つで、帰郷後の食糧難 台湾疎開の食糧難 八重山の食糧難 五、石垣島事件の戦犯として 194…