徳元文子 (十六歳) 瑞泉学徒隊 有馬隊 捕虜になる 百名収容所で 名城収容所で再会 - 米須の生存者は・・・ 1946年6月、米須集落の帰村 以下、沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)の戦争証言をコンコーダンス…
米須集落の人口と戦争の犠牲者数 波平幸進(三十歳) サイパン引揚 1946年1月にサイパンから引き揚げ サイパン1944年6月10日 山城加那 (四十一歳) 防衛隊 徴用 - 恩納岳の食糧運搬 防衛召集 - 運玉森~弁ヶ岳の戦い 伊敷の野戦病院 米須で捕虜に - 伊良波収容…
金城幸栄 (十四歳) 小学高二 子どもを持つ母たちは壕を追われ 知念収容所の屋比久から瀬高収容所の大川へ 金城善昌 (十歳) 小学二年 アバタガマの追い出し 暗川の壕 6月23日 二見の収容所 - 栄養失調 大城亀吉 (四十三歳) 暗川の壕 カンメンポー クラガーの…
新垣力メ (四十一歳) 主婦 アバサーガマを追われて 轟の壕で マヤーガマ 伊敷 実 (十四歳) 小学校高等科二年 新垣キク (二十三歳) 家事 田井等収容所 新垣タツ(十七歳)家事 以下、沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育…
二、キナ樹の皮汁を飲んで命拾い 「米をつくるな、軍作業に」 12月25日に米軍上陸 三、盗った品を首にかけられて 戦後の食糧難と集団暴行 四、台湾疎開と食糧難 女手一つで、帰郷後の食糧難 台湾疎開の食糧難 八重山の食糧難 五、石垣島事件の戦犯として 194…
六、漁民の生活苦 トラック島から引き揚げて 七、良心の自由を細々と守る人びと 八重山農学校の奉安殿 八、日本は欲ばりだからね 九、牛馬や畳が盗まれないように 日本軍、供出のあげくに略奪 十、母と五人弟妹を失って 海軍飛行場周辺の連日の空襲 「避難」…
一、西表島炭坑坑夫の生活 炭鉱の搾取システム。炭鉱独自の貨幣 (キップ) 制で借金漬け 二、宇多良炭坑の生活 弾圧された社会運動 - 特高から逃れて 会社、警察、憲兵との愈着 三、台湾人炭坑労働者の生活 台湾人労働者の数、過酷な労働 借金地獄と逃亡とせ…
五、皇国大日本青少年隊 竹富島 - 軍事訓練が義務教育 - 自爆攻撃訓練 六、学窓から野戦病院へ 八重山高女学徒隊 - 軍の指揮下にあるも同然 部落の畳を女子学徒隊に盗ませる 学徒の労働 - 郵便貯金という欺き - 九月半ばまで 一、島民追い出して牛の強奪 竹…
一、「平得」飛行場建設の土地接収 1942年6月 - 強制接収、強制預金 1942年9月 - 建設開始 二、泥水飲んで飛行場作業 原田組と朝鮮人労働者「生かさず、死なさず」 平得飛行場と並行し白保飛行場も 三、青年学校生徒の白保飛行場建設 軍隊の手先となり二度と…
一、袖山部落考 宮古島飛行場 (平良飛行場) 建設 - 強制立ち退き 飢餓とマラリアで消滅した袖山の里 二、台湾疎開者引揚船栄丸遭難 栄丸遭難 他府県の教師や生徒からのいじめ 11月1日出港 栄丸遭難2 宮古島飛行場 (平良飛行場) に家屋敷畑もとられる キール…
伊良部の概況 部会長 「御真影を奉護」 村民をスパイ扱い 食糧供給の軍命伝達係 軍用肉供出の伝達係になる 下地島での竹槍訓練 戦時下の差別に生きる 差別される沖縄の人 宮古島西飛行場 (洲鎌飛行場) 建設 中隊長と愛人 終戦 漁撈班でいじめられる フィリピ…
皇国の道 「皇国の道」に生きた教師 或る校長 - 学童疎開 飢えと寒さにふるえて 3. 学徒動員 宮中鉄血勤皇隊 (多良間出身) 学徒動員 中学生の戦争体験 宮古中学の騒動 女学校 五、離島におけるもう一つの戦争 大神島 島内の蘇鉄もなくなって 大神島ウヤガン…
母と戦争 - 神風特攻隊 空襲下に出産して 市内の無差別爆撃 私は開業医でした 発電所主任、現場残留を命ぜられる 軍部の中枢にはかなりの資材食糧があったと 「宮古木工はズルイ」とたたかれた 「ありがためいわく」な時代 空爆の中の漁労班 - 見せしめの刑…
宮古島篇 戦時下の経済業務 軍とのトラブル 仲間〇〇日誌 こき使われいろんな物をみた役場吏員 朝鮮人慰安婦の遭難 生き残った慰安婦を陸軍の師団管理部へ連れて行く 特設工兵第505部隊長は何をしたか 現地入隊者 現地召集兵の証言 軍隊内のリンチ 女子報皇…
産業戦士 戦時下に製糖作業 米兵に襲われて 手榴弾を投げつける日本兵 護衛つきの食糧捜し 徴用から解放されて山中避難 国頭に避難、石川収容所、宮森小学校ジェット機墜落事故 戦争中に清明祭 長浜に残る → 石川収容所 配給の差別 国頭疎開 → 辺土名の収容…
友軍に虐殺された父 主婦の戦争体験 (座談会) 乳呑児と老人をつれて 友軍に虐殺された父 今帰仁村湧川謝花恒義(十六歳) 今帰仁村で日本軍に最初にやられたのは、平良コウ何とかいう人だったと思います。アメリカ帰りです。スペイン語が話せる人であったです…
徴用と供出 今帰仁村の戦時状況(座談会) 少年団 親泊の戦争体験 徴用と供出 本部町具志堅石嘉波源竹(五三歳) 公務に就いている者は徴用を免れたが、私などは四回も伊江島行きを命じられた。徴用は、三週間ぐらいであったが、作業がきつい上に、食事も不足が…
本部の戦争体験 - 崎本部 青年学校と徴用 徴用の勤労奉仕 米軍上陸 - 崎本部 子供を三人かかえて - 崎本部 米軍上陸 - 健堅 船員- 健堅 本部山中への避難 - 瀬底 避難 - 大浜 息子をうしなって - 辺名地 久志まで食糧を運ぶ - 辺名地 収容所の頃 焼跡に涙を…
国頭山中の避難生活 大宜味村登野喜屋の住民虐殺事件 国の責任を 《沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)及び同第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)》 国頭山中の避難生活 国頭村奥間玉城清威(十歳) 私が戦争を体験したのは満十歳のときで、国頭村奥間に住んで…
伊平屋島の収容所 ヒ素のはいった井戸水 戦時中の伊平屋 伊平屋島への米軍上陸 艦砲に追われて 女子青年団員 伊是名の戦時状況 平山隊、与論島に アメリカ軍の上陸 - 10月頃? 日本兵の住民殺害 喜多政昭の虐殺 伊是名島の離島残置工作員 - 西村良雄 (本名・…
防衛隊 慶良間の渡嘉敷に 一兵士として 青年義勇隊 救護班員 小学生の体験 小学生の体験 集団自決 子どもの体験 一住民として 子どもたちをかかえて アハシャ壕の集団自決 コンコーダンス用に文字お越ししたものを便宜上公開しています。使用する際は必ず下…
粟国村の戦時状況 6月9日 - 米軍上陸 羽地の収容所への移送計画 訊問 - 日本軍はいないか 10月23日の帰村 無防備の島に上陸作戦 あだとなった偽砲 海兵隊 米軍基地建設 - 電波探知機 空襲・上陸・学校 佐々木という先生 - 離島残置工作員 戦時体験 基地建設…
渡嘉敷島の集団自決 甲種合格全国一の渡嘉敷村 秘匿基地の島 - 日本軍によって封鎖された島 27日の夜 - 恩納川原へ 8月8日に投降する 使者4人のうち少年2人を殺害 - 一方で赤松隊は安全に投降する 渡嘉敷村長の証言 赤松隊長の命令で、遮蔽物のない陣地裏の…
座間味島の戦闘 十・十空襲 3月22日 座間味の集団自決 阿佐部落と阿真部落 集団自決 壕生活 爆弾を受けて 山の中へ避難 女子青年団 宮城初枝 軍と共に 『沖縄県史』沖縄戦証言 慶良間諸島編 (2) コンコーダンス用の書きおこしを便宜上公開しています。誤字な…
阿嘉島と野田隊 青年義勇隊 - 中村仁勇 (十五歳) 野田隊 中学生、本島から帰省し義勇隊へ 米軍の上陸 - たった四隻の特攻艇 野田隊、切り込み隊を送りこむ 染谷少尉 小森中尉の投降 日本兵は「玉砕」などしていなかった 敗戦と島の食糧難 野田隊、住民を処刑…
渡辺憲央「久米島に生きて」 十・十空襲 南部への敗走 本島脱出 久米島へ 「いやな予感鹿」- 鹿山部隊の陰湿さ 陸軍だけの寄合 仲村渠さんの説得 屋嘉収容所で鹿山隊長と会う 「谷川ウタは私の娘」 同胞の骨を拾って 沖縄戦中の朝鮮人 あいまいな点 吉浜智改…
沖縄戦証言 中部離島編 《沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)》 中部離島(PDF形式:1.7MB) 資料コンコーダンスとして文字おこし作業の途中です。文字化けなどありますので、使用する際は、正しくは上記のリ…
《沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)および沖縄県史第10巻(1974年沖縄県教育委員会編)》 津堅島・久高島(PDF形式:1MB) 資料コンコーダンスとして文字おこし作業の途中です。文字化けなどありますので、使用する際は、正しくは上記のリンクあるいは図書館…
大東諸島戰時日誌 南大東島の戦時状況 食糧事情と疎開 慰安所 部隊 空襲と艦砲 コンコーダンス用のテキストを公開しています。誤字脱字などがありますので、必ず下記から原典をお確かめください。沖縄戦証言 大東島《沖縄県史第9巻(1971年琉球政府編)およ…
宮古中学校の生徒たちは、1943年には主に海軍飛行場の設営作業に当たり、44年からは陸軍に中飛行場、西飛行場の設営に動員されるようになった。中飛行場の設営作業では、作業中に土砂が崩れ落ちて4名の生徒が生き埋めとなる事故が起きたりもした。 9月には、…